(8)レッチェ~ターラント [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
朝はゆっくり起床、美味しい朝ご飯で元気いっぱい。午前中はレッチェのドゥオーモまで行ってみました。ホテルで一緒になったツアーの添乗員さんの話では、ジプシーの泥棒に注意とのことだったので、きょろきょろ歩きましたが、それらしい人も見かけないし、観光客の多いところには女性警官も見張っているので安心でした。とにかく、バロックはあまり肌に合わない感じが強いので、ドゥオーモもサーッと見学して終わりました。
↓レッチェのドゥオーモ広場
↓レッチェの円形闘技場跡
↓レッチェのホテルをチェックアウトして
昼頃の列車で(ブリンデシ経由)ターラントヘ。特急なので追加料金を13€支払いました。
↓車窓から雨に煙るターラントの街が見えてきました。
ターラントに着く頃は雨が激しくなってきたので、タクシーでドゥオーモに寄ってからホテルへ。ドゥオーモは内部を修復中でした。ドゥオーモのある旧市街はこういう町は初めてといっていいほど、荒れ果てた感じなので、運転手さんに治安はどうですか?と訊いたら大丈夫だよとのこと。見かけはボロボロでも悪い人はいないって、と自分にも言い聞かせました。雨が降ると寒いので、バスタブ付きの部屋に替えて貰いました。ロフト形式、螺旋階段の2階に大きなダブルベット、洗面所がついています。1階にはキチネット、ここもNYと同じにコンロなし。居間も広く、独りでは寂しいくらいな感じ。レセプションの女性に近くのレストランを教えて貰って、さっそく遅めのランチ。旧市街への橋の近くにある海鮮レストラン、ここはナント!!7皿の前菜、これだけでお腹がいっぱいになってしまいました。ワイン、水、ケデザート、チップ込みでも17EUR★★★でした。港町なので、蛸、イカやムール貝がさすがに旨いのです。
↓ホテル
↓ホテル近くの街並み
夜はお湯をもらって持参のカップラーメンですませました。
↓メゾネットの部屋
↓侘しくカップラーメンを食べる
(7)レッチェ(オートラント、ガラティーナ) [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
朝食のとき、日本人のツアーの方たちと一緒になりました。添乗員さんに「お一人ですか?」と大変驚かれ、この町はジプシーもいるので気をつけてといわれました。でも、あのモルフェッタの男の子たち以外はジプシーとか怪しい人達には一度も会っていないのです。
10:30発のSUD=EST線でオートラントへ。乗り換えのマリエからはバス。車窓からは相変わらずのオリーブ畑が見えてますが、次第にオリーブの木々も細く、岩のめだつ荒涼とした風景に変わっていきます。丘の上のオートラント駅に着いたのは12時近く、港方向の旧市街を目指して歩きました。聖堂が閉まっていたらランチを先にしようと思いながら、迷ったり、絵葉書買ったり、Informationに寄ったり、のんびり行ってみると、開いていました。
↓Google Mapより Otrantoの旧市街 茶色の大きな屋根が大聖堂です。
↓旧市街へは城壁の門から入ります
☆オートラントの大聖堂 Cattedrale
プーリア・ロマネスクの傑作とされ、州では一番大きな教会です。献堂は1088年ですが薔薇窓は15世紀、ファサードの扉口は17世紀に加えられています。
教会正面の扉口上の薔薇窓はレース編みのモチーフのよう。プ-リア地方の柔らかい白い石だからこのような繊細な窓が造れたのでしょう。これらの薔薇窓はプーリア・ロマネスクのなかでも最も魅力的なものです。
↓プラン(左クリプト)
ここの12世紀のモザイクはエミール・マールの著書「ロマネスクの図像学」で知りました。ア-サ-王(フランスではアルチュール王)の物語がフランスからモデナ(司教座大聖堂/扉口の彫刻)を経てここまで伝わってきたとのこと。他にもアレクサンダー大王や12ヶ月のカレンダー、そして圧倒的な旧約の世界・・・。タンパンや柱頭彫刻に繰り広げられた聖書の世界がここではモザイクに表現されています。身廊の中央部は入れませんが、左右の側廊はモザイクの上を直に歩いて鑑賞出来ました。復活祭のころ訪れた友人の話では中央部のモザイクの上に椅子が並んでいたそうです。私が訪れたときは教会内は半分工事中だったのですが、お目当てのモザイクは充分見学できました。写真は残っていないのではっきりした記憶はないのですが、カメラ禁止だったと思います。
↓左「アーサー王」 右「アレクサンダー大王」
↓レッチェで購入した本(モザイクの写真が多い)
↓バベルの塔
さて、次は地下のクリプトと、階段を降りようとしたら2時だからキュウゾといって皆追い出されてしまいました。お昼休みが終わったと思って来た人達(ガイドブックを信じて)はお気の毒。その人たちは当然文句を云うと、「わしだって、おなかがすくんじゃ」とかなんとか・・・昼休みの時間も鍵を持っている係員の気分次第なのが、いかにもイタリア。
オートラントの聖堂を出て時計を見ると、次の列車が30分後にあります。もうひとつの古代からの教会はあきらめ、急いで駅に戻りました。午後の汽車通学の中高校生で大賑わいの列車に乗ってガラティーナへ。ガラティーナへは2回も乗り換えて(待ち時間はほとんどなくスムーズ)到着。
ここも旧市街に入って迷っていると、粋な横縞のTシャツのおじいさんがひょっこり現れて、サンタ・カテリーナ・ディ・アレッサンドリア教会まで案内してくれました。徒歩10分くらいの路をグルグル回りながら・・・これでは迷うはず。
ところがようやく辿り着いた教会は内部が修復の工事中。おじいさんも遠い日本から来たのだからと一生懸命工事の人に頼んでくれたのですが・・・工事監督さんから危険だからと断られて。
マルケ派?といわれているフレスコ画を天井だけチラリと覗いただけ。残念でしたが親切なおじいさんには、本当に感謝でした。握手をしてアリベデルチ・・・だが、その手をなかなか離してもらえないの。歳はとってもイタリア男.(笑)。
タンパン上部にはアレクサンドリアのカテリーナの小さな彫刻、玄関柱廊にはお決まりのライオンの台座。後期プーリア=ロマネスクなのでアーキトレーブのレリーフは手がこんでいて、聖女の教会らしい優美さもあります。左の回廊は見学できました。後陣に回ってみたのですが、他の建物がびっちり隣接しています。それでも粘って写真を撮っていると、にゃーにゃー子猫が擦り寄ってきて。そういえば、この日はまともな昼食をとっていません。「空腹はあんた(猫)だけじゃないよ」。帰りの時間まで教会前のBARでスィートポテトと紅茶で休憩。
☆サンタ・カテリーナ・ディ・アレッサンドリア教会Santa Caterina di Alessandria
14世紀に建てられた後期プーリア・ロマネスク様式の教会。中央扉口は両側をライオンの台座に支えられた円柱に挟まれ、タンパン上部にアレクサンドリアのカテリーナの小さな彫刻。(写真はGoogle Earthより)
↓内部は天井の高い身廊。15世紀前半のフレスコ画(ジョットの影響がみえる)
帰途は迷うことなくInformationに寄り、親切なお嬢さんに地図(帰りにもらってもね)や教会のパンフレットなどいただきました。
ガラティーナ駅はトイレの鍵を借りて自分で開ける方式になっていました。(こんなのは初めて)。駅長さんの帽子やら駅員さんのレール切り替え作業などが、ノスタルジック。オホーツク海に近い、今は廃線になった故郷の駅を思い出しました。そういえば日本の鉄道はイタリアを参考にしたもの?
レッチェでは駅からホテルまでタクシーなので、ついでにサンティ・ニコロ・エ・カタルド教会へ寄ってもらいました。ここからようやく自分で撮った写真になります~ほっ!
☆サンティ・ニコロ・エ・カタルド教会SS Nicolo e Cataldo
街の中心から少し離れた墓地の敷地内に建っています。12世紀末にレッチェ伯によってロマネスク様式で建てられた教会ですが、ファサードと薔薇窓のほかはバロック様式で改築されています。
↓教会の墓地の方向
夕食は近くに中華料理の看板が出ていたので、旅の中間でもあるし、このへんで中華もいいかなと行ってみたのですがが・・・お客さんは私一人、隅の方でここの店の家族が食事をしているだけ。。。ヨーロッパで食べた中華料理でも最低かな?という不味さ。★なし。
(6)オストゥー二~ブリンデシ~レッチェ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
☆サンタ・マリア・デル・カサーレ教会Santa Maria del Casale
この教会は13世紀末に建てられたロマネスク=ゴシック様式のもの。内部の14世紀の壁画が残っているので、ロマネスクの教会というより壁画が目的で立ち寄りました。ところが扉は固く閉まっていて、張り紙には内部は10/1〜15まで修復中と書かれています。カラフルな外観だけ目にとどめて市内に戻り、サン・ジョバンニ・アル・セポルクロ教会へ。
☆サン・ジョバンニ・アル・セポルクロ教会San Giovanni al Sepolcro
聖地から帰還した聖堂騎士団によってロマネスク期(11~12世紀)に創建された聖堂。扉口にライオンが支える柱廊式の小玄関。参考書ではやや変形の集中式プラン、8本の円柱と周歩廊↓
ここは内部は修復中との情報を事前に得ていたのですが、路地の奥にあり静かで、足場もなく工事している気配はありません。鍵はかかっていたのですが扉の隙間からカメラをさし込んで内部を撮影。イギリス人らしいカップルも閉まっているのでがっかりですねと話していると、すぐ隣りの家からおばさんが出てきて、ブツブツ怒りながら、扉を少しも開かないようにがっちり閉めてしまいました。遠くからきたのだから見学したいと頼んだのですが、無理でした。。。この後はドゥオーモを見学
ドゥオーモはロマネスク期の創建ですが、ファサードは18世紀に改築されています。内部の床モザイクを見学後、駅に戻りました。距離も時間も短いのにタクシー代60EUR・・・ここはぼられたみたい。駅のBARで軽食のランチを済ませ、レッチェ行きに乗車。
レッチェのホテルはサンタ・クローチェ聖堂の近く、着いたときは気が付かなかったのですが、夕刻外出のときホテルをでると目の前に西日に輝く壮麗なファサードが見え驚きました。
↓レッチェのサンタ・クローチェ聖堂(ホテルの方向から&夜景)Google Earthより
↓サンタ・クローチェ教会(絵葉書)
バロックはあまり好きではないのですが、サンタ・クローチェは別格です。大迫力、渾身の傑作、ただただ恐れ入りまするって感じ。ここを観ただけで感動しつつも疲労感が増しました。
ホテルは昨年ペルージアで泊まったホテルと同じリーディングホテル・グループ、高級感のある内装が贅沢な気分です。レッチェはなかなか洒落た街、BARやショップも都会的な店が多くサンタ・クローチェ見学後は付近を散策。ここの名産のお人形の工房カルタペスタ兼ショップがあったので自分へのスーベニールを購入。カルタペスタではないのですが、おばあさんになったら旅もできなくなるし、編み物でもしようかと思って。でも、体型だけは似たくなかったのですが。。。近づきつつあります【汗)。
帰途、ホテルの前にある書店で偶然オートラントのモザイクの教会の本を見つけ、時間もなんとかなりそうですし、レッチェはバロックばかりであまり興味はかきたてられないので、オートラントに行ってみたくなったのです。書店のマダムが「オートラントはぜひ行ってらっしゃい」と強力なご推薦。そのうえ行き方はここで尋ねてねと2~3軒隣の旅行代理店へ連れて行ってくれたのです。若い女性の社員が親切に列車の時刻、乗り換えなど調べてくれました。
それやこれやで暗くなるまであちこち歩いて疲れてしまい夕食はルーム・サービス。前菜はスモークサーモン、スパッゲティボンゴレ。味はまあまあ★★久しぶりにバスタブに浸かってのんびり。