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(1)パリへ [2003春パリからベルリンへの旅]

 2003年春の旅はイラク戦争が始まって間もなくのころ。おまけに中国のサーズ騒ぎもプラスして、のほほんと旅に出るのは気が引けました。イラク戦争は3月に始まったのですが、こちらはほぼ3か月~半年前には旅のプラン作りは完了していました。そしてオペラのチケットも無事手に入っていたので、諦めることは不可能です。パリで会う友人や前後してイタリアに出かける友人とも励ましあって、思い切ってGO~!ということになりました。



旅の日程 17泊19日

パリ(6)~ボローニャ(4)~ウィーン(2)~ベルリン(3)~ウィーン(2)


旅のMAP




イラク戦争のため当初予定していたJALとエール・フランスのとの共同便(パリ行き)が減便になったため、ロンドン経由で行きました。


4/8(火)千歳8:00→関空10:05/11:50→ロンドン16:15/18:50→パリ21:00


Paris/Grand Hôtel Malher 6泊


 関空はこの戦争と中国のサーズ(重症急性呼吸器症候群)騒ぎのため閑散としていました。それでもJALのロンドン便はほぼ満席で離陸。順調な飛行でロンドンには定刻より早い到着。バスでのターミナル移動のうえ、待ち時間が3時間で疲れてしまいました。空港内のショップではユーロもお札しか受け取れないといいますし(小銭は持参)…日本円2000円だけ両替して飲み物などに使いました。パリには夜に到着。震えるほど寒くタクシーでマレのホテルへ(40€)。

部屋は5Fで狭いけれどバスタブ付き。昨年のサン・ルイ島のホテルと違って階ごとに停まるエレベーター、暖房もよく効いて、気持ちよく就寝。


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(14&15)トリノ&帰国 [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]

10/16(水)


 昼のチェックアウト時間まで、ぎりぎり部屋で過ごし長旅の前の休養。ランチはホテル近くのカジュアルだけれどと、勧められたレストランで、トリノ最後の食事を愉しみました。午後からはトリノ市内の観光。もう一度昨夜通ったガッレリアGalleria Subalpinaへ。写真はWikiから拝借


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ここは古本屋さんやレトロな切符売り場の映画館など。古き良き時代のトリノを想わされる場所です。

そしてトリノの聖骸布があるというドゥオーモにも行ってみました。高校がカソリック系のミッションスクールでしたから、キリストの磔刑の後に十字架から降ろされて遺骸を包んだ布にキリストの姿が印されたという話は詳しく聞いた覚えがありました。せっかくトリノに来たのだからと・・・しかし、ドゥオーモには等身大の写真が残るだけでした。でも熱心に祈る信者さんたちの姿。。。

追記:本物の聖骸布は専用の博物館に移され展示されています。


☆トリノのドゥオーモ

15世紀の終わりごろにルネッサンス様式で建立。白い大理石ののファサード。3つの扉口。内陣から続く階段を上るとサン・シンドネ礼拝堂(以前はここに聖骸布が保管されていました)




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街の散策とカフェのお茶タイムをしているうちに出発の時間になりました。トリノに入ったときと同じルートでミラノ・マルペンサ空港へ戻ります。

トリノ17:07→ノヴァーラ18:11/18:1530→ミラノ・マルペンサ空港19:10頃/21:30→


ノヴァーラまでの列車が数分遅れはらはら、おまけに乗り場も間違えてしまいましたが、バスも15分遅れて発車したのでセーフ!バスには地元のおばさまグループが数人いて、運転手さんと顔見知りらしくお喋りで賑やか。そのうちロンバルディア名物の濃い霧が立ち込めてきて、対向車が見えないくらいに・・・一瞬ヒヤリの場面で急ブレーキ!危ういところでした。おばさまたちのお喋りも静かになって・・・空港に無事到着。


10/17(木)→成田16:10/18:20→千歳19:55


その後は順調に乗り継いで、札幌の我が家に帰着。治安が悪いという南イタリアのプーリアを主に回った旅でしたが、終わってみれば体調や天候もまずまずで、良い旅でした。それも夫の理解があったからこそ(諦めているのかも 汗)と感謝しつつ終わります。



タグ:トリノ
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