(14&15)トリノ&帰国 [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
(13)トリノ(アスティ) [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
指揮:Jefrey Tate 演出:Jonathan Miller オーケストラ:トリノ・テアトロ・レッジョ管弦楽団
La contessa Madeleine:Elizabeth Whitehouse Il conte:Olaf Bar Flamand:Jonas Kaufmann
Olivier:Claudio Otelli Clairon:Doris Soffel La Roche:Franz Hawlata
休憩なしの1幕物の2時間余り、詩人と音楽家の恋のさや当てに名を借りた、オペラへの愛情告白ともいえる作品。歌手もそれぞれ水準が高かったのですが、予習のCDで聴いたClaironがオッターだったので、この役は不満。開幕前にハウラータの調子が悪いとのアナウンスがあったが、低音が少し響かないかな?くらいで、演技も巧いしで問題なし。特筆すべきはこのとき初めて聴いたテノールのカウフマン、凄い新人が現れた「見っけ!!」と興奮状態。(当時は色白細身のハンサム)。ただ最後の合唱は声が埋没してしまう程の線の細さで懸念が残りましたが。
情熱的なイタリア歌劇とはかけ離れた地味な作品なので、途中席を立つ観客が多くて驚きました。しかし、一方では文化の薫り高いトリノの名に恥じない熱心な観客も多数で、安堵。テイトの指揮も素晴らしくR・シュトラウスの曲想の奥深さを感じさせてくれるものでした。
(12)バーリ~トリノ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
(11)バーリ(アルタムーラ&マテーラ) [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
迫持ちアーチを持つ薔薇窓も綺麗。内部はミサの後の個々のお参りの最中。街の信仰篤い人々の交流が盛んなことが伺えました。
と感じました。タンパンの彫刻はなくなってしまって(最初からなかったのかも?)残念でしたが、大聖堂に較べるとよりロマネスクの素朴さが残っていて好ましく感じました。
ランチはこの近くの小道を入ったレストランで。しょぼい外観ですが、地元の方たちについて入店。秋の旬ポルチーニ茸の焼いたお皿は。。。あ~思い出すだけでヨダレがでそうです。プーリアの秋の味覚は最高です~!
早めにバス停へいきましたが、定刻より10分ほど早くやってきてガラガラのバス。私だけ乗せたらすぐ出発してしまって・・・そんなんでイイのぉ~。
苦労してここまで来た私には輝いて見え、実際、午後の西日が当たっていたので神々しい眺めでした。
この地方の名産アイボリー色の石灰石で建てられた柔らかな色彩の教会は、厳しい風土に暮らす人々にはほっとするような慰めになったことでしょう。内部は閉まっていて見学できませんでした。
↓ドゥオーモ前の広場からの眺め
(10)アルベロベッロ~バーリ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
明日は日曜なので今日のうちにバスの切符は買ったほうが良いというので、向かいのアップロカーネ線の駅で購入。乗り場は駅の向こう側というので直ぐわかると思ったのですが….。
↓バーリの街を散策。バーリのオペラ劇場 建物の赤紫色がいかにも南イタリア。
夕食はバーリに着いた時に入ったレストランで。ここはピッツエリアも兼ねていています。汗だくで竈で焼く職人さん。行列もでき大人気。ピッツアと小壜ビールのテイクアウト。〆て6ユーロと安くて、さすが南イタリア本場の味。ワンホール平らげました!★★★
↓二度目のお部屋はWで広く、裏庭に面して静かでした。
明日はプーリア・ロマネスク巡りの最後の日です。マテーラは正確にはプーリア地方ではないのですが、バーリまできて寄らないわけにはいきません。交通手段がいまいち確実性に欠けるのが心配ですが・・・。
(9)ターラント~マルティナ・フランカ~アルベロベッロ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
この近辺のSUD-EST線はとても複雑、レセプションの女性が親切に時間とバスの乗り場を電話で確認してくれて助かりました。朝はまず、旧市街の散策にでかけました。緊張しながら旧市街に足を踏み入れ、歩いて行きます。今まで綺麗で趣のある旧市街に慣れていたので、そのあまりに古い汚い様子にオドオド・・・トイレ臭いと思いながら、歩を進めていくと、別に危険な感じはなく普通の下町です。パン屋さんや食糧店が並んでいて、乳母車を押した若いママの姿も・・・徐々に安心感が広がります。暗いというか黒く汚れた建物の間から昨日も立寄ったドゥオーモが見えてきました。
☆ターラントのドゥオーモ Duomo di Taranto
11世紀末に聖カタルドがこの教会に祀られことで、教会の建設が始まりました。ファサードは上の写真のようなバロック様式になりましたが、側面は当初のロマネスク様式の痕跡をとどめています。
↓後陣脇の鐘楼がみえます。
↓ロマネスク当時の面影の残る扉口(塞がれている)
↓その上の壁に聖カタルド?の浮彫
↓プランとクリプトは参考書からスキャンしました
奥の路地を進んで行きますと、ロマネスク様式の薔薇窓(13世紀)を持つサン・ドメニコ・マッジョーレ教会(フリードリッヒ2世の命で13世紀に建立)
そして海にむかって建つ古い館に、国立博物館(臨時)のコレクションを一部展示していました。ターラントは紀元前8世紀後半にラコーニア人によって建設されたギリシアの植民都市。古代のアプーリア地方の中心都市として繁栄。紀元前272年にローマに敗れ美術品も多く持ち去られましたが、博物館にはターラントでの出土品及びマグナ・グラエキアの美術品を収蔵。先史時代、ギリシア、ローマ、それにシリアで見たオリエント風の彫刻。ギリシアの壷に天使が描かれていて興味をひかれました。
展示品が小品が多かったのは臨時の会場だったからでしょうか。
↓「アフロディーテの誕生」テラコッタ 紀元前4世紀終わり~3世紀(絵葉書)
↓「アウグストゥス像」大理石 1世紀(絵葉書)
ホテルに戻りチェックアウト。タクシーでバスセンターへ。ところがマルティナ.フランカ行きは何番の乗り場かわかりません。プレハブの事務所で切符を売るお兄さんが親切に遅れてきたバスを気にして時々外に出て見張っててくれて、私に安心するようにと言ってくれます。なんと優しい!!感激しました。20分程遅れてきたバスでマルティナ.フランカの終点まで行きました。インフォーメイションのあるところを聞くと、通り過ぎたらしい。皆が降りた後私だけ乗せて戻ってくれて親切です。ここでも感動!!
バスを降りたら雨が強くなり、ようやく(i)に駆け込みました。昼休みのまえに荷物を受取らなければならないので、1時間弱しか時間がないので、慌てて雨のなか街の散策。ここは8月にマイナーなオペラを上演する音楽祭で有名。またここに来ることはあるのでしょうか?
↓雨のマルティナ・フランカ
荷物を引き取ってもまだ雨がやみません。タクシー乗り場でしばらく待ったのですが来ないので、小公園の脇に立つホテルへ行き、フロントでタクシーを呼んでもらいました。初めは泊まり客でもないし、面倒そうだったのですが、チップをあげてアルベロベッロまでというとすぐ呼んでくれました。
↓時間が合えば寄りたかったロコロトンド
アルベルベッロまで30分くらい走り35ユーロ。町の中央の広場で降ろされましたが、トゥルッリデアのフロント棟まではすぐでした。お昼休みだったので、近くのレストランでランチ。結構美味しいし、おかみさんも愛想が良い。食事を済ませて、トゥルッリデアのレセプション棟でチェック・イン。御主人が車で私の泊まる家まで送ってくれたのですが(徒歩で10~15分くらい)、2食つきなので夜レストランから戻るのは怖いというと、絶対大丈夫とのこと。確かにとても治安の良い街でした。提携のレストランは日本人のツアーも入っていて繁昌していました。菜の花のオレッキエッテ、ここのが一番美味しかったです★★★。ワインも含まれた2食付きはリーズナブルでした。隣のテーブルの4人はマルティナ・フランカでも出会ったドイツからの二組の夫婦の観光客で、楽しそう~。私は「孤独のプーリア・グルメ」(笑)夜道は暗いから転ばないように気を付けてねとレストランの優しいお兄さんに見送られて、宿のトゥルッリへ。人通りもない迷路のようなトゥルッリの並んだ道・・・不思議な夢を見ているような気分でした。
この夜は寒く、小さな電気ストーブだけなのでなかなか暖まりません。カーディガン、靴下に睡眠導入剤の助けも借りて、ようやく眠りにつきました。
↓トゥルッリの部屋 ベットはW1,S1の2台なので3人は宿泊できる広さ(バスタブなし、シャワーのみ)
(8)レッチェ~ターラント [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
朝はゆっくり起床、美味しい朝ご飯で元気いっぱい。午前中はレッチェのドゥオーモまで行ってみました。ホテルで一緒になったツアーの添乗員さんの話では、ジプシーの泥棒に注意とのことだったので、きょろきょろ歩きましたが、それらしい人も見かけないし、観光客の多いところには女性警官も見張っているので安心でした。とにかく、バロックはあまり肌に合わない感じが強いので、ドゥオーモもサーッと見学して終わりました。
↓レッチェのドゥオーモ広場
↓レッチェの円形闘技場跡
↓レッチェのホテルをチェックアウトして
昼頃の列車で(ブリンデシ経由)ターラントヘ。特急なので追加料金を13€支払いました。
↓車窓から雨に煙るターラントの街が見えてきました。
ターラントに着く頃は雨が激しくなってきたので、タクシーでドゥオーモに寄ってからホテルへ。ドゥオーモは内部を修復中でした。ドゥオーモのある旧市街はこういう町は初めてといっていいほど、荒れ果てた感じなので、運転手さんに治安はどうですか?と訊いたら大丈夫だよとのこと。見かけはボロボロでも悪い人はいないって、と自分にも言い聞かせました。雨が降ると寒いので、バスタブ付きの部屋に替えて貰いました。ロフト形式、螺旋階段の2階に大きなダブルベット、洗面所がついています。1階にはキチネット、ここもNYと同じにコンロなし。居間も広く、独りでは寂しいくらいな感じ。レセプションの女性に近くのレストランを教えて貰って、さっそく遅めのランチ。旧市街への橋の近くにある海鮮レストラン、ここはナント!!7皿の前菜、これだけでお腹がいっぱいになってしまいました。ワイン、水、ケデザート、チップ込みでも17EUR★★★でした。港町なので、蛸、イカやムール貝がさすがに旨いのです。
↓ホテル
↓ホテル近くの街並み
夜はお湯をもらって持参のカップラーメンですませました。
↓メゾネットの部屋
↓侘しくカップラーメンを食べる
(7)レッチェ(オートラント、ガラティーナ) [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
朝食のとき、日本人のツアーの方たちと一緒になりました。添乗員さんに「お一人ですか?」と大変驚かれ、この町はジプシーもいるので気をつけてといわれました。でも、あのモルフェッタの男の子たち以外はジプシーとか怪しい人達には一度も会っていないのです。
10:30発のSUD=EST線でオートラントへ。乗り換えのマリエからはバス。車窓からは相変わらずのオリーブ畑が見えてますが、次第にオリーブの木々も細く、岩のめだつ荒涼とした風景に変わっていきます。丘の上のオートラント駅に着いたのは12時近く、港方向の旧市街を目指して歩きました。聖堂が閉まっていたらランチを先にしようと思いながら、迷ったり、絵葉書買ったり、Informationに寄ったり、のんびり行ってみると、開いていました。
↓Google Mapより Otrantoの旧市街 茶色の大きな屋根が大聖堂です。
↓旧市街へは城壁の門から入ります
☆オートラントの大聖堂 Cattedrale
プーリア・ロマネスクの傑作とされ、州では一番大きな教会です。献堂は1088年ですが薔薇窓は15世紀、ファサードの扉口は17世紀に加えられています。
教会正面の扉口上の薔薇窓はレース編みのモチーフのよう。プ-リア地方の柔らかい白い石だからこのような繊細な窓が造れたのでしょう。これらの薔薇窓はプーリア・ロマネスクのなかでも最も魅力的なものです。
↓プラン(左クリプト)
ここの12世紀のモザイクはエミール・マールの著書「ロマネスクの図像学」で知りました。ア-サ-王(フランスではアルチュール王)の物語がフランスからモデナ(司教座大聖堂/扉口の彫刻)を経てここまで伝わってきたとのこと。他にもアレクサンダー大王や12ヶ月のカレンダー、そして圧倒的な旧約の世界・・・。タンパンや柱頭彫刻に繰り広げられた聖書の世界がここではモザイクに表現されています。身廊の中央部は入れませんが、左右の側廊はモザイクの上を直に歩いて鑑賞出来ました。復活祭のころ訪れた友人の話では中央部のモザイクの上に椅子が並んでいたそうです。私が訪れたときは教会内は半分工事中だったのですが、お目当てのモザイクは充分見学できました。写真は残っていないのではっきりした記憶はないのですが、カメラ禁止だったと思います。
↓左「アーサー王」 右「アレクサンダー大王」
↓レッチェで購入した本(モザイクの写真が多い)
↓バベルの塔
さて、次は地下のクリプトと、階段を降りようとしたら2時だからキュウゾといって皆追い出されてしまいました。お昼休みが終わったと思って来た人達(ガイドブックを信じて)はお気の毒。その人たちは当然文句を云うと、「わしだって、おなかがすくんじゃ」とかなんとか・・・昼休みの時間も鍵を持っている係員の気分次第なのが、いかにもイタリア。
オートラントの聖堂を出て時計を見ると、次の列車が30分後にあります。もうひとつの古代からの教会はあきらめ、急いで駅に戻りました。午後の汽車通学の中高校生で大賑わいの列車に乗ってガラティーナへ。ガラティーナへは2回も乗り換えて(待ち時間はほとんどなくスムーズ)到着。
ここも旧市街に入って迷っていると、粋な横縞のTシャツのおじいさんがひょっこり現れて、サンタ・カテリーナ・ディ・アレッサンドリア教会まで案内してくれました。徒歩10分くらいの路をグルグル回りながら・・・これでは迷うはず。
ところがようやく辿り着いた教会は内部が修復の工事中。おじいさんも遠い日本から来たのだからと一生懸命工事の人に頼んでくれたのですが・・・工事監督さんから危険だからと断られて。
マルケ派?といわれているフレスコ画を天井だけチラリと覗いただけ。残念でしたが親切なおじいさんには、本当に感謝でした。握手をしてアリベデルチ・・・だが、その手をなかなか離してもらえないの。歳はとってもイタリア男.(笑)。
タンパン上部にはアレクサンドリアのカテリーナの小さな彫刻、玄関柱廊にはお決まりのライオンの台座。後期プーリア=ロマネスクなのでアーキトレーブのレリーフは手がこんでいて、聖女の教会らしい優美さもあります。左の回廊は見学できました。後陣に回ってみたのですが、他の建物がびっちり隣接しています。それでも粘って写真を撮っていると、にゃーにゃー子猫が擦り寄ってきて。そういえば、この日はまともな昼食をとっていません。「空腹はあんた(猫)だけじゃないよ」。帰りの時間まで教会前のBARでスィートポテトと紅茶で休憩。
☆サンタ・カテリーナ・ディ・アレッサンドリア教会Santa Caterina di Alessandria
14世紀に建てられた後期プーリア・ロマネスク様式の教会。中央扉口は両側をライオンの台座に支えられた円柱に挟まれ、タンパン上部にアレクサンドリアのカテリーナの小さな彫刻。(写真はGoogle Earthより)
↓内部は天井の高い身廊。15世紀前半のフレスコ画(ジョットの影響がみえる)
帰途は迷うことなくInformationに寄り、親切なお嬢さんに地図(帰りにもらってもね)や教会のパンフレットなどいただきました。
ガラティーナ駅はトイレの鍵を借りて自分で開ける方式になっていました。(こんなのは初めて)。駅長さんの帽子やら駅員さんのレール切り替え作業などが、ノスタルジック。オホーツク海に近い、今は廃線になった故郷の駅を思い出しました。そういえば日本の鉄道はイタリアを参考にしたもの?
レッチェでは駅からホテルまでタクシーなので、ついでにサンティ・ニコロ・エ・カタルド教会へ寄ってもらいました。ここからようやく自分で撮った写真になります~ほっ!
☆サンティ・ニコロ・エ・カタルド教会SS Nicolo e Cataldo
街の中心から少し離れた墓地の敷地内に建っています。12世紀末にレッチェ伯によってロマネスク様式で建てられた教会ですが、ファサードと薔薇窓のほかはバロック様式で改築されています。
↓教会の墓地の方向
夕食は近くに中華料理の看板が出ていたので、旅の中間でもあるし、このへんで中華もいいかなと行ってみたのですがが・・・お客さんは私一人、隅の方でここの店の家族が食事をしているだけ。。。ヨーロッパで食べた中華料理でも最低かな?という不味さ。★なし。
(6)オストゥー二~ブリンデシ~レッチェ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
☆サンタ・マリア・デル・カサーレ教会Santa Maria del Casale
この教会は13世紀末に建てられたロマネスク=ゴシック様式のもの。内部の14世紀の壁画が残っているので、ロマネスクの教会というより壁画が目的で立ち寄りました。ところが扉は固く閉まっていて、張り紙には内部は10/1〜15まで修復中と書かれています。カラフルな外観だけ目にとどめて市内に戻り、サン・ジョバンニ・アル・セポルクロ教会へ。
☆サン・ジョバンニ・アル・セポルクロ教会San Giovanni al Sepolcro
聖地から帰還した聖堂騎士団によってロマネスク期(11~12世紀)に創建された聖堂。扉口にライオンが支える柱廊式の小玄関。参考書ではやや変形の集中式プラン、8本の円柱と周歩廊↓
ここは内部は修復中との情報を事前に得ていたのですが、路地の奥にあり静かで、足場もなく工事している気配はありません。鍵はかかっていたのですが扉の隙間からカメラをさし込んで内部を撮影。イギリス人らしいカップルも閉まっているのでがっかりですねと話していると、すぐ隣りの家からおばさんが出てきて、ブツブツ怒りながら、扉を少しも開かないようにがっちり閉めてしまいました。遠くからきたのだから見学したいと頼んだのですが、無理でした。。。この後はドゥオーモを見学
ドゥオーモはロマネスク期の創建ですが、ファサードは18世紀に改築されています。内部の床モザイクを見学後、駅に戻りました。距離も時間も短いのにタクシー代60EUR・・・ここはぼられたみたい。駅のBARで軽食のランチを済ませ、レッチェ行きに乗車。
レッチェのホテルはサンタ・クローチェ聖堂の近く、着いたときは気が付かなかったのですが、夕刻外出のときホテルをでると目の前に西日に輝く壮麗なファサードが見え驚きました。
↓レッチェのサンタ・クローチェ聖堂(ホテルの方向から&夜景)Google Earthより
↓サンタ・クローチェ教会(絵葉書)
バロックはあまり好きではないのですが、サンタ・クローチェは別格です。大迫力、渾身の傑作、ただただ恐れ入りまするって感じ。ここを観ただけで感動しつつも疲労感が増しました。
ホテルは昨年ペルージアで泊まったホテルと同じリーディングホテル・グループ、高級感のある内装が贅沢な気分です。レッチェはなかなか洒落た街、BARやショップも都会的な店が多くサンタ・クローチェ見学後は付近を散策。ここの名産のお人形の工房カルタペスタ兼ショップがあったので自分へのスーベニールを購入。カルタペスタではないのですが、おばあさんになったら旅もできなくなるし、編み物でもしようかと思って。でも、体型だけは似たくなかったのですが。。。近づきつつあります【汗)。
帰途、ホテルの前にある書店で偶然オートラントのモザイクの教会の本を見つけ、時間もなんとかなりそうですし、レッチェはバロックばかりであまり興味はかきたてられないので、オートラントに行ってみたくなったのです。書店のマダムが「オートラントはぜひ行ってらっしゃい」と強力なご推薦。そのうえ行き方はここで尋ねてねと2~3軒隣の旅行代理店へ連れて行ってくれたのです。若い女性の社員が親切に列車の時刻、乗り換えなど調べてくれました。
それやこれやで暗くなるまであちこち歩いて疲れてしまい夕食はルーム・サービス。前菜はスモークサーモン、スパッゲティボンゴレ。味はまあまあ★★久しぶりにバスタブに浸かってのんびり。
(5)バーリ~オストゥー二 [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
10/7(月) バーリ→ビトント→バーリ→トーレ・デル・マーレ→オストゥーニ
朝、チェックアウトして荷物を預け外出。昨日のことがまだ尾をひいていて、気持ちはいつになく消極的になっていました。ビトントは特に駅から聖堂は離れているのが心細く、タクシーでビトントまで
行くことにしました。HOTELでタクシーを頼んだのですが、駅にたくさん並んでいるよと言われ駅へ。なかなか商売上手な運転手さんで、途中しきりにオストゥーニまで150EURでどうか?と勧められ・・・。昨日も100EUR使っているし、随分迷ったのですがバーリのサン・二コラ聖堂などの見学や、ランチなど時間がかかってもOKというのでお願いすることにしました。
バーリからビトントまで15Kほどですが、ビトントの聖堂は旧市街の丘の上です。しかも車一台が通れるくらいの細い道をくねくね抜けて、ようやく聖堂へ辿り着きました。人影はなくちょっと不気味でしたがタクシーが側で待っていてくれたので安心でした。この日はあいにくどんよりした曇り空で、写真は少ないです。
☆ビトント大聖堂Cattedrale di Bitonto
バーリのサン・二コラ聖堂をまねて12世紀に建立。
↓全景図はGoogle Earthから
↓右側面の開廊が優美な印象の教会。上部の六連窓を持つ開廊には動物や人の柱頭の浮き彫り、その円柱などもそれぞれ違うデザインでなかなか凝っています
↓ファサードは三つの扉口。正面の扉口の彫刻は繊細な紋様で縁取られ、タンパンはイエスの復活、ラントウはマリアの各場面。プーリアらしい「石の柔らかさ」の表現にうっとりでした。
↓ 張り出しの後陣ではなく、のっぺりした後背部の壁。動物の彫られたオリエンタルな小窓がプーリアスタイル。
↓プラン
↓内部にも誰も居なくて、クリプトも閉まっていたので、グリフォンのモザイク(11世紀)も観ていません(写真は参考書からスキャン)。
とにかくお天気が悪く暗いので、有名な説教壇の彫刻だけをようやく確認できたのですが、他は良く見えなくて残念。バーリへの帰り道、タクシーの運転手さんにこの近くに素敵な小さな古い教会があるから寄りますかと勧められたのですが、この後バーリ市内の見学、そして午後にはオストゥーニまで行かなければならないので断念。後で調べたらBITETTO及びその周辺はイタリア公式ガイドにも記載されていました。寄ってみれば良かったかしら・・・キリがありませんね。
↓先ずはお城のそばで記念撮影
そして大聖堂の広場へ。やはりバーリは都会ですし、観光客ではなさそうな失業中らしい男たち、なかには目つきの悪い人も(みんなドロボーに見えてしまいます)多くたむろしています。タクシーの運転手さんがここで見張っているからと言ってくれましたが、↓なんと大聖堂は修復中で見学不可
↓大聖堂の裏に回ってみました。先ほど見たビトントの後背部とそっくり!
サン・二コラ聖堂までの小路(写真下)へも婦人警官が付き添ってあげると言ってくれたり、とても親切。近くの絵葉書売場の娘さんも気がきいていて、切手もどーお?と愛想が良い。昨日から続いていた重ぐるしい気分も少しずつ和らいできました。
サン・ニコラの前にはパトカーも停まって警戒中、これではすりも近寄れないでしょう。
☆サン・二コラ聖堂San Nicola (初)
バーリの商人たちが小アジアのミラ(現在のトルコ・アンタルヤ県にあった古代都市)から後に市の守護聖人となったサン・二コラの聖遺物を1087年に持ち帰り、教会の建設が決まり、1197年に献堂。プーリア・ロマネスクの一つの典型。
↓白い石灰石で造られたファサード。広い広場に建っています。外観の写真は見学後に撮るつもりで失念したらしく、残っていません。全景図はGoogle Earthより
↓プラン
↓中央扉口の両側の円柱を支えるのは牡牛。(写真は参考書からスキャン)
↓
↓ クリプトの祭壇下には聖二コラの墓があるので、ギリシア正教徒たちの巡礼者が多く訪れていました。
↓貝の盛り合わせ、海老などのグリル、トマト味のオレッキエッテ、水、ワイン、エスプレッソで30EUR★★★★
↓日本人が珍しい?シェフも見えて記念撮影。レストランからは漁をする小舟なども見え、ここで出す魚もあのあたりからくるとのことでした。
このへんは直売の魚やさんが多く並んでいて、バーリから車で買い物にくる人も。
高速道路を飛ばしオストゥーニのホテルでタクシーを降りました。チップ含めて170€。
オストゥー二のホテルはあまり選択肢がなく、旧市街では見つけられなかったので、少し外れた割合大型のホテルを予約しました。
↓白いケーキのような丘の街が見える部屋(バスタブなし、二食付きで約100€)
↓内装はシンプルですが広く、赤くペイントされた家具が可愛い。
旧市街まで歩くと結構かかるとのことでタクシー(片道6〜7EUR)を使いました。旧市街入り口の広場でタクシーを降り、白い石畳の続く、迷路のようなロマンティックな街を散策しました。写真はトリノで1枚SDカードを紛失したので、オストゥー二からレッチェまでありません(涙)。
↓Google Earthから 「オストゥー二の白い街」「オリーブの林に囲まれたオストゥー二」「樹齢千年を超えるオリーブの樹」
↓絵葉書
帰りは広場のBARから同じタクシーを呼んでもらってホテルに戻りました。
ここは有名な観光地なので、ホテルではオーストラリアやドイツのツァーと一緒になって賑やか。ホテルのレストランで夕食。疲れがでてきたのかあまり食欲がなく、スパゲティ、オムレツなども不味くて・・・★