(9)ターラント~マルティナ・フランカ~アルベロベッロ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
この近辺のSUD-EST線はとても複雑、レセプションの女性が親切に時間とバスの乗り場を電話で確認してくれて助かりました。朝はまず、旧市街の散策にでかけました。緊張しながら旧市街に足を踏み入れ、歩いて行きます。今まで綺麗で趣のある旧市街に慣れていたので、そのあまりに古い汚い様子にオドオド・・・トイレ臭いと思いながら、歩を進めていくと、別に危険な感じはなく普通の下町です。パン屋さんや食糧店が並んでいて、乳母車を押した若いママの姿も・・・徐々に安心感が広がります。暗いというか黒く汚れた建物の間から昨日も立寄ったドゥオーモが見えてきました。
☆ターラントのドゥオーモ Duomo di Taranto
11世紀末に聖カタルドがこの教会に祀られことで、教会の建設が始まりました。ファサードは上の写真のようなバロック様式になりましたが、側面は当初のロマネスク様式の痕跡をとどめています。
↓後陣脇の鐘楼がみえます。
↓ロマネスク当時の面影の残る扉口(塞がれている)
↓その上の壁に聖カタルド?の浮彫
↓プランとクリプトは参考書からスキャンしました
奥の路地を進んで行きますと、ロマネスク様式の薔薇窓(13世紀)を持つサン・ドメニコ・マッジョーレ教会(フリードリッヒ2世の命で13世紀に建立)
そして海にむかって建つ古い館に、国立博物館(臨時)のコレクションを一部展示していました。ターラントは紀元前8世紀後半にラコーニア人によって建設されたギリシアの植民都市。古代のアプーリア地方の中心都市として繁栄。紀元前272年にローマに敗れ美術品も多く持ち去られましたが、博物館にはターラントでの出土品及びマグナ・グラエキアの美術品を収蔵。先史時代、ギリシア、ローマ、それにシリアで見たオリエント風の彫刻。ギリシアの壷に天使が描かれていて興味をひかれました。
展示品が小品が多かったのは臨時の会場だったからでしょうか。
↓「アフロディーテの誕生」テラコッタ 紀元前4世紀終わり~3世紀(絵葉書)
↓「アウグストゥス像」大理石 1世紀(絵葉書)
ホテルに戻りチェックアウト。タクシーでバスセンターへ。ところがマルティナ.フランカ行きは何番の乗り場かわかりません。プレハブの事務所で切符を売るお兄さんが親切に遅れてきたバスを気にして時々外に出て見張っててくれて、私に安心するようにと言ってくれます。なんと優しい!!感激しました。20分程遅れてきたバスでマルティナ.フランカの終点まで行きました。インフォーメイションのあるところを聞くと、通り過ぎたらしい。皆が降りた後私だけ乗せて戻ってくれて親切です。ここでも感動!!
バスを降りたら雨が強くなり、ようやく(i)に駆け込みました。昼休みのまえに荷物を受取らなければならないので、1時間弱しか時間がないので、慌てて雨のなか街の散策。ここは8月にマイナーなオペラを上演する音楽祭で有名。またここに来ることはあるのでしょうか?
↓雨のマルティナ・フランカ
荷物を引き取ってもまだ雨がやみません。タクシー乗り場でしばらく待ったのですが来ないので、小公園の脇に立つホテルへ行き、フロントでタクシーを呼んでもらいました。初めは泊まり客でもないし、面倒そうだったのですが、チップをあげてアルベロベッロまでというとすぐ呼んでくれました。
↓時間が合えば寄りたかったロコロトンド
アルベルベッロまで30分くらい走り35ユーロ。町の中央の広場で降ろされましたが、トゥルッリデアのフロント棟まではすぐでした。お昼休みだったので、近くのレストランでランチ。結構美味しいし、おかみさんも愛想が良い。食事を済ませて、トゥルッリデアのレセプション棟でチェック・イン。御主人が車で私の泊まる家まで送ってくれたのですが(徒歩で10~15分くらい)、2食つきなので夜レストランから戻るのは怖いというと、絶対大丈夫とのこと。確かにとても治安の良い街でした。提携のレストランは日本人のツアーも入っていて繁昌していました。菜の花のオレッキエッテ、ここのが一番美味しかったです★★★。ワインも含まれた2食付きはリーズナブルでした。隣のテーブルの4人はマルティナ・フランカでも出会ったドイツからの二組の夫婦の観光客で、楽しそう~。私は「孤独のプーリア・グルメ」(笑)夜道は暗いから転ばないように気を付けてねとレストランの優しいお兄さんに見送られて、宿のトゥルッリへ。人通りもない迷路のようなトゥルッリの並んだ道・・・不思議な夢を見ているような気分でした。
この夜は寒く、小さな電気ストーブだけなのでなかなか暖まりません。カーディガン、靴下に睡眠導入剤の助けも借りて、ようやく眠りにつきました。
↓トゥルッリの部屋 ベットはW1,S1の2台なので3人は宿泊できる広さ(バスタブなし、シャワーのみ)
コメント 0