2001年春の旅(14.15)ウィーンから帰国 [2001春南仏、パリ、ウィーンの旅]
5/2(水)、5/3(木) ウィーン→フランクフルト→成田→札幌
朝はO先生のグループと一緒に空港まで行きました。グループの皆さんはこれからプラハへ飛びましたが、私は帰国しました。まだ一緒に遊びたいのはやまやまでしたが・・・きりがない(汗)。オーストリア航空でフランクフルトまで、成田まではJALでしたが、バッケージスルーにしてくれました。チェックインや荷物のコンピューターが故障したとかで、1時間遅れて離陸。フランクフルトは空港が新しくなっていて、迷いながらモノレールでターミナル移動。夜便のフライトまでかなり時間がありました。幸いJALのカウンター近くに手荷物預かり所があったので、機内持ち込みの荷物を置いて、バックひとつでフランクフルト市内まで行くことができました。往復TAXI。ウィーンよりも暑かったのですが、省エネでTAXIのエアコンは切られたまま、さすがドイツ省エネが徹底しています。暑いとはいえまだ5月になったばかりですから。
マイン川の畔に建つシュテーデル美術研究所は遠目には以前来た時(1995)と同じように見えましたが、内部は増築改装されて、ブックショップやレストランが新しく広くなりました。
☆シュテーデル美術研究所(2)
展示室も明るく広くなったので、以前より見やすくなりました。
↓大好きなカルロ・クリヴェッリの2枚に分かれた「受胎告知」をまずご紹介します。
↓ヤン・ファン・エイクの「室内の聖母子」
ほかはバルドゥング・グリンの「2人の魔女」、以前は観た記憶がないのですが、ノルデが幾枚か展示されていました。ノルデはかなり気に入った作品もあったのですが、絵葉書が売って無くて、記憶が薄れています。エルスハイマーの「聖十字架の発見と崇拝」の祭壇画も再見。↓はそのうちの一枚「聖十字架を携えた馬上の皇帝ヘラクリウス」です。14.8×15.8という小型の銅板に油彩で描かれた作品。細密描写に優れ、詩情豊かな作品で知られています。
時間的には少し離れたリビーク彫刻館にも行けたのですが、ブックショップを覗いたり、コーヒーを飲んでいるうちに億劫になりパス。マイン川の橋を渡ってましたら、後ろから男性が走ってきて、どっきり。物盗りかと思ったのですが、ジャージー姿だったので、ただのランニング中でした。ところが私を追い越して何かを見つけストップ。良く見ると落ちていた吸殻を拾って、それを口に・・・人影のないところでしたので、またもやドッキリ。やはり気は抜けないものと思いました。フランクフルトは駅の周辺は危ないところなので、手前のインターコンチネンタルホテルの前からタクシーで空港に戻りました。
JALのカウンターでチェックインのときビジネスクラスにアップグレードしてくれました。ラッキー!機内では食事の時以外はほとんど寝てました。こうして、南仏美術館めぐり&オペラの旅は無事に終了しました。独り旅とオペラ仲間との旅を巧くドッキングできましたので、これに味をしめて2001年夏も同じような旅を計画しました。(終)
2001年春の旅(13)ウィーン [2001春南仏、パリ、ウィーンの旅]
5/1(火)
ウィーン5日目、午前中はヴェルベデーレ宮殿へ行くことになり、友人3人でTAXIで向かいました。6年前に一度来ていますが、エゴン・シーレやココシュカをじっくり観たいと思ったので再訪しました。上宮はオーストリア絵画館になっていて、19世紀から世紀末のクリムトやシーレに代表される画家たちの作品までが展示されています。未完のままアトリエに残されていたというクリムトの絶筆「花嫁」も今回観ることができました。
☆ヴェルベデーレ宮殿・上宮/オーストリア絵画館(2)
↓ クリムト「花嫁」1917-18 絵葉書(部分)
↓ エゴン・シーレ「家族」1918 絵葉書
↓ココシュカ「プラハ」(港)1936 絵葉書
上宮から緩い傾斜のついた庭園を降り、下宮ものぞいてみました。下宮は上宮に比べると簡素な感じの建物で、コレクションも中世やバロックの彫刻や宗教画が主で、特別これは!という作品はありませんでした。なかではいくつかの面白い顔の彫刻(大理石/18世紀)が並んでいました。
↓はそのうちの一点です。ネットから拝借。Franz Xaver Messerschmidt作
ここから市の中心部まではトラムで移動しました。切符販売機が見つからず、結局無賃乗車になりました(ごめんなさい)。ランチはホテル・ブリストルのカフェで。スープ、豚肉のロースト野菜添え、苺のデザート。この日は旅のメモでは食後はホテルに戻ったようですが、ウィーン美術アカデミーにもこのときの旅で初めて行ったはずなので?他の日だったかもしれませんが・・・。
↓ ウィーンの街角
☆ウィーン美術アカデミー(初)
クレーヴェの「聖家族」の眼鏡をかけたヨセフやグリンの「野外の聖家族」のいじけたヨセフなど面白いコレクション。だがなんといってもここの目玉はボッスの三連祭壇画「最後の審判」です。
左は「エデンの園」イブの創造→楽園→追放と続くのですが、天使が剣を振り上げて、アダムとイブを追い払うのです。緑の楽園が美しく描かれていますが、天上にはすでに巨大ないなごのような怪物が現れ、人間の行く末を暗示しています。中央は「最後の審判」天上の一画以外は地獄図。人間の顔から足が出た怪物などさまざまな魑魅魍魎の世界。右は「地獄」です。これでもかというほどのボッスの想像する悪魔的な世界です。ただこの怪物たちはまったくのボッスの創造だけではありません。ご存じのように偏愛するロマネスク美術にも怪物たちが教会の柱頭などに彫られていますし。。。また、この祭壇画は数回の修復の跡があり、真筆か模写かの議論があるとのことです。
↓ボッス「最後の審判」の祭壇画 1510以降(ネットから拝借)
♪~ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」@ウィーン国立歌劇場
指揮:セミヨン.ビシェコフ 演出:エヴァーディング
トリスタン:ゴス.ウィンベルク イゾルデ:ワルトラウト.マイヤー
ブランゲーネ:藤村実穂子 マルケ王:マッティ.サルミネン
♪~前列2列目ほぼ中央という席でした。まだ着慣れない和服姿に、この日から涼しくなった影響、または旅の疲れもあり持病の気管支炎が悪化。途中で咳き込んだりで、あいにくのコンディションでした。(周りの方に御迷惑をかけました)
さて、ワーグナーは初めての体験でした。なにしろ長い演奏時間です。予習はフルトヴェングラーのCDでしてきたものの3幕ではいつも居眠りしていた状態でしたので、不安でした。
しかしこの公演は今まで聴いてきたウィーン歌劇場のオーケストラのなかでも最高のメンバーを揃えただけあって、鬼気迫る演奏でした。歌手陣はトリスタンのウィンベルグがやや物足りなく、クルヴェナールも予習CDのフィッシャーデースカウに比べると苦しすぎました。
しかし、前面に紗の幕を張ったオーソドックスで美しい舞台、マイヤーと藤村、サルミネンは完璧!!でしたから、初ワーグナー体験としては幸運であったと思います。3幕初めのトリスタンとクリヴェールの主従ふたりの場面の40分はやはり長く感じました。今まで観たオペラのなかでは最長・・・でも居眠りなどもせず頑張れました。ワーグナーは長い演目が多いので、オペラ入門クラスの私にとっては大きな関門でした。これで怖いものはなくなりました。
参考CD:ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』
指揮:Wilhelm Furtwangler フィルハーモニア管弦楽団 ロイヤルオペラハウス合唱団
トリスタン:LUDWIG SUTHAUS イゾルデ:KIRSTEN FLAGSTAD
ブランゲーネ:Blanche Thebom マルケ王:Josef Greindl クルヴェナル:Dietrich fischer Dieskau メロート:Edgar Evans
EMI100周年記念盤(1997)/オリジナルは1952年ロンドン・キングスウェイ ホールにて収録
↓劇場内でのスナップ
オペラの後は皆で日本料理の天満屋でお蕎麦を食べながら、今夜のオペラの感想をおしゃべりして帰りました。夜も遅くにホテルに帰ったのですが、入口が閉まっていてドキリ。呼び鈴を押して開けてもらいました。グループですとこういう時も怖くないのが利点ですね。
2001年春の旅(12)ウィーン(ヴァッハウ渓谷) [2001春南仏、パリ、ウィーンの旅]
4/30(月)
ウィーン4日目も快晴、気温も昨日より上がり25度くらい。この日はオペラの鑑賞予定を入れないで、グループの皆さんとは別行動。ヴァッハウ渓谷の遊覧船で、メルク修道院まで行ってきました。日本からネットで現地のツアー会社に予約してきました。日本語のガイドがつくと高くなるので、英語の勉強も兼ねたツアーに参加しました。バスの集合はオペラ劇場の前9時だったのですが、市内のあちこちからお客さんを載せて、ほぼ満員で市街を抜けたのは10時ころ。ウィーンから西に80Kほどのクレムス・アンデア・ドナウ(A)の船着き場まで。ここで遊覧船に乗り換えてメルク(B)まで2時間ほどのドナウ川をゆったりと進みました。
お腹がすきましたがメルクでお昼を食べてくださいと言われたので、船内ではお茶とケーキ。渓谷の眺めはお天気も良かったので、葡萄畑の広がる丘に、古城や村の教会など素晴らしい~!。ヴァッハウ渓谷は美しいドナウ川の中でも、特に風光明媚な地帯として知られていて、「銀色に輝く帯」の異名をもち、世界遺産に登録されています。
船の中でロンドンの赴任先から遊びに来ていた日本人のファミリーと一緒になりました。素直で可愛いお嬢ちゃんたちでした。
↓ メルクに到着しました。丘の上に修道院が見えてます。
↓メルク修道院(ネットから拝借)マリア・テレジア・イエローと呼ばれる美しい黄色が青空に映えて。
↓ 修道院の見学前に1時間ほどの昼食時間があり、ここの白ワインとヒラメのフライのランチものんびり取ることができました。丘の上からも素晴らしい眺めでした。
時間になり修道院の見学をしました。内部はバロック様式の金綺羅ギンギン、これでもかというほどの豪華なデコラティブです。こういうのはあまり好みではないのですが、内部には素晴らしい図書館がありました。
↓ 写本の収集でも有名だった図書館。ネットから拝借
↓このパネルは修道院のどこにあったのかは不明ですが、中央の聖母子はクラナハです。クラナハは「風景の中の聖母子」を多数描いていますので、そのうちの一枚でしょう。
帰途はバスでウィーンまで。ホテルに着いたのは6時頃でした。疲れて夕食は部屋で手持ちのインスタントもので済ませました。
船のデッキですっかり日焼けして、首の後ろが真っ赤です。明日も着物を着るのに・・・。
2001年春の旅(11)ウィーン [2001春南仏、パリ、ウィーンの旅]
4/29(日)
ウィーンの3日目、昨日の続きのイタリア絵画部門を観るため美術史美術館へ。昨日より気温が上がり初夏の陽気でした。この日印象に残ったのはやはりカラヴァッジョ「ゴリアテの首を持つダヴィデ」、パルミジャニーノ、ティツアーノなど。途中、暑くて館内のカフェでビールを飲んでしまいました。
↓ パルミジャニーノ「弓を作るキューピット」1531-34
↓ パルミジャニーノ「凸面鏡の自画像」1523-24
↓ティツィアーノ「毛皮の少女」1535-37
アルベルティーナ素描館は改装中のため、臨時の展示場所があるとのことでしたが、事前に調べてきた住所には見当たらず、諦めてセセッションへ。ウィーン分離派(1892に結成されたユーゲントシュティール)の館で、内部にクリムトの壁画「ベートーヴェン・フリーズ」があります。ベートーヴェンの交響曲第9番を基に、幸福を求め、敵対する者との戦い、やがて理想の王国のうちに愛と喜びを見出すという壮大な物語を描いているということですが…正直、音楽と結びついた感は?よくわかりませんでした。
ケルンストナー通りのお魚マークの店で海老やサラダをテイクアウトして部屋でランチ。仮眠の後、重いのに持参した和服(今回の旅で2回目)を着て、ロビーに集合。着物姿の私たちは注目の的・・・恥ずかしながら、ぞろぞろと国立劇場へ。席は2階のボックス前列でした。
♪~ヴェルディ「リゴレット」
指揮:準メルクル 演出:サンドロ.セッキ
リゴレット:フランツ.グリュンベーガー マントヴァ公:マルチェッロ.アルバレツ ジルダ:ルビカ.ヴァルギコーヴァ スパラフチーレ:ゴラン・シミック マッダレーナ:スベトラーナ・セルダー
ストーリーの悲惨さもあって、あまり好みではないオペラです。この公演はメルクルの指揮、アルバレツの高音の冴えもあって優れた舞台だったと思います。ジルダは当初のロストから新人ソプラノの東欧出身ヴァルギコーヴァにキャスト変更。ロストは一度パリのホフマンで聴いただけですが、あまり良くなかったので、注目の新人に期待しました。可憐な容姿と歌もジルダにぴったりで満足でした。テノールのマルチェロ・アルバレツはこの時が2度目。前回(オランジュの野外劇場でのアルフレード)に比べると格段に素晴らしい歌声。演技も上手く、見直しました。ポスト3大テノールと言われ始めたのもうなずけました。
アフターオペラはホテルの近くのイタリアンで、夜食にワインとパスタ。
2001年春の旅(10)ウィーン [2001春南仏、パリ、ウィーンの旅]
4/28(土)
朝食も友人たちと美味しくいただいて、ウィーン美術史美術館へ。前回(1995)はまる2日間にわたって、見学しましたので、今回は地上階の彫刻、工芸品を主に見学しました。友人たちはガイドさんの案内で見学しましたので別行動でした。
☆ウィーン美術史美術館(2)
↓ 一番のお目当てはチェッリーニの塩壷。この部門の人気NO1らしく熱心に観察している若いカップルが立ち去るまで、しばらく待機していました。
ベンヴェヌート・チェッリーニ(1500~1570)はイタリア・マニエリスムを代表する彫刻家です。奔放な生涯を送り、自伝を残したことでも知られています。19世紀にはベルリオーズのオペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」も作曲されました。序曲は聴いたことはありますが、オペラとしては滅多に上演されることはないようです。
この豪華な塩壷はこの2年後2003年3月に盗難に遭いました。この階の展示室が改装中だったので、やすやすと盗まれたのです。2006年1月には発見され、元に戻っています。小品ながら人の心をも狂わすような、黄金と宝石に彩られた豪奢な、オーラが漂うような名品です。
↓ 他には同じくイタリア・マニエリスムの彫刻家ジャン・ボローニャの「ヴィーナス」? ジャン・ボローニャはあちこちで見かけますが、ここのが一番印象に残っています。
↓ ドイツ・ルネッサンスのミハエル・エアハルト(1469~1522)の木彫「聖カタリナ」
↓ 大好きなリーメンシュナイダー「聖母子像」
最後に上階のフランドル絵画のフェルメール、ライスダール、テル・ボルフなども巡って、終わりにしました。
ランチも一人で日本食のレストランへ。ゴールデンウィークなので、大勢の日本人が食事していました。隣席にウィーンでヴィオリン修業中の11歳の女の子とお母さんがいて、少しお喋り。他にも大きな声で話をしている女性がいて、よく見るとバイオリストの梯剛之さんとそのお母さんでした。生チラシとお吸い物にビールもいただいて、ホテルに戻り仮眠。
夜はネットで予約したヴェンゲーロフのコンサートへ。楽友協会ホールは初めてでした。隣席に日本人の父子(中学生)、ゴールデンウィークの休暇で来たそうです。
1部はヴェンゲーロフのソロ(ブラームスのソナタNO.3) 2部は数名のヴィオリンとピアノをバックに軽くポピュラーな選曲。テクニックを駆使した演奏でしたが・・・。技巧に走リ過ぎて、心がこもっていない感じがして、少々がっかり。一緒だった友人も同じ感想でした。二人でホテルの近くでビールと海老のサラダで夜食。
2001年春の旅(9)パリ~ウィーン [2001春南仏、パリ、ウィーンの旅]
4/27(金)パリ→ウィーン
ウィーン/ホテル・マイルベルガ―4泊
飛行機などの移動の詳細は旅の手帳に残っていませんが、午前中にはウィーンに到着しました。ウィーンはパリに比べるととても暖かく、ライラックも咲いていました。オペラのグループの人たちは昨日日本から到着していましたが、観光に出かけていました。私の部屋はまだ用意できていないとのことで、荷物を預けて外出。リーダーのO先生が予約してくださったこのホテルはケルントナー通りまで100mくらい、国立劇場まで徒歩5分もかからない立地で、便利でした。
↓ ホテルのある通り。古本屋さんの隣りの青い旗がHotel Mailbergerです。
ウィーンは1995年に次女と訪れて以来ですから、6年ぶり2度目でした。初訪問の時は正直、フランスやイタリアの都市に比べると、端正過ぎる感があってあまり好きになれなかったのですが、オペラ入門したことが縁で、この後も何度か訪れることになりました。
さて、どこに行こうかしら?ケルントナー通りからシュテファン寺院まで歩き、内部を詳しく見ていなかったので、入ってみました。すぐにオペラグループの方たちを発見!良かった~。これからランチへ行くというので、早速ついていきました。O先生がウィーン空港からのタクシーの運転手さんに聞いたというベスト・レストラン(ウィンナー・シュ二ッツェルの)へ。寺院の後陣のほうから狭い道を入って、少し歩いたところです。予約をしてありましたので、並ばずに済みましたが、かなり繁盛していました。総勢10名でお皿から溢れんばかりの牛カツと山盛りのサラダ、ワインを美味しくいただきました。二人で一皿ずつ注文しても余すほどの量でした。
ホテルに戻った後は休息。ホテルの部屋(シングル)はバスタブもついて、簡素系。中庭に面した部屋でしたので、静かで良かったです。ただベットが古く、スプリングも壊れていたみたいで、寝場所によってはコツンと肩のあたりに当たるところがあって、クッションなどで押さえながら・・・それほど安くもないホテル(3☆)ですが、このクラスではベットが柔らかすぎたり、悪いことがたまにありますね。
夜はグループの皆さんはフォルックス・オッパーへ。私は「ウィリアム・テル」の国立劇場へと別れました。ところがここで問題発生。開演は7時半なので、劇場へ着いたのは7時過ぎでしたが、すでに開幕していたのです。しかも演目変更になっていて「トスカ」だというのです。当時はまだHPを煩雑にチェックする習慣もなく、チケットを購入した時点で安心しきっていました。払い戻しもしないとのことですから、観なければ損ですから・・・案内されて2階のバルコンへ。そっと入った席は後ろでしたが、椅子も高く正面に近いので、良く観えました。実際の席は平土間だから休憩の時移動いてくださいと言われましたが、出入りもしやすく居心地も良くこのままで観ました。
♪~プッチーニ『トスカ』19:00~@ウィンーンSO
指揮:ステファノ.ランザーニ 演出:マルガレス.ウオールマン
トスカ:ハズミック・パピアン カラヴァドッシ:ジャネ・ロ-トリック
スカルピア:ベルント・ヴァイケル アンジェロッティ:ボウズ・ダニエル
♪~せっかく予習もしてきた『ウィリアム・テル』が観たいという気持ちの整理がつかないままで聴いても面白いわけがありません。あまり楽しめませんでした。ロートリックはパリのホフマンより出来が悪かったのですが、パピアンはまあまあ。ヴァイクルはさすがベテラン、拍手でした。しかし、初体験のウィーン歌劇場のオーケストラのわき上がるような響きは素晴らしく、やっぱりウィーンは違うなぁと感激。今回はあきらめムードでしたが、俄然次回が楽しみになりました。
↓幻になってしまった「ウィリアム・テル」チケット &「トスカ」のプログラム
グループ仲間とはアフターオペラをハンガリー風レストランで過ごすことになっていました。それまで時間があり、劇場隣接のホテル・ザッハーで、コーヒーとケーキ(ザッハー)でひと休み。時間になったのでTAXIで、住所メモを見せてレストランへ。私はスムーズに着いたのですが、グループの仲間たちはなかなか現れません。昼食の時は皆で食べると楽しいと思ったけれど、こうなると独りのほうが良かったと後悔してしまう現金な私でした(笑)。色々とトラブルがあったそうで、ようやく全員そろったのは1時間以上も経っていました。レストランと言っても、ハンガリアンバンドのショーがあり、オペラの「こうもり」の中で歌われるチャルダーシュなど歌ってくれました。私は空腹の上待ちくたびれて、あまり楽しめませんでした。
2001年春の旅(8)パリ [2001春南仏、パリ、ウィーンの旅]
4/26(木)
朝食の後は郵便局に行きました。コートダジュールの美術館巡りで購入した本が重く、腰痛の心配がありました。本だけですが、3つの袋に分けて330F!高くてびっくりでした。
この日はルーヴル美術館へ。美術館入口の荷物の検査場が凄く混んでいたので、隣に並んだ日本人の女性とカルト・ミュゼを地下鉄の窓口まで戻り、購入しました。後から気がついたのですが、この日は無料の日だったのです。だから入り口から行列していたのです。ところが展示室は1/3しかオープンしていなくて・・・中世の彫刻部門は閉鎖されていて、踏んだり蹴ったり。
★ルーヴル美術館
今回はリシュリュー翼2Fから見学しました。ルーベンスの連作のある「マリー・ド・メディチの生涯」の部屋→フランドル絵画(フェルメール、レンブラント、テル・ボルフなど)→工芸コレクションのなかの中世の聖遺物箱(シャンパーニュ地方の12~13世紀やリムーザン地方の12世紀など)、エマイユや象牙の浮彫も多数。
ここでランチタイムを取りました。館内のレストラン(日本語メニュー有)で、アラカルトでカサゴのキャベツ包みとデザートは梨&ヌガーでした。隣席に日本人のシニアのご夫婦が座っていて、少しお話しました。ツアーの終了後に1週間パリで延泊して、美術館周りをされているとか・・・ゆくっり見学できて良かったとおっしゃっていました。私が一皿+デザートだけなのを見て、前菜は取らなくてもいいのね~2皿ずつ取ったら量が多くてと余されていました。昼は1皿+デザート、夜は2皿+デザート(お腹いっぱいだとパス)のパターンが多いです。
ランチの後はフランス絵画→イタリア絵画と周り、途中の小部屋で発見したのは
↓ ロッソ・フィオレンティーノ「ピエタ」のプチ特別展
Rosso Fiorentino (伊)1494~1540 ポントルモとともにマニエリスム第一世代を代表する画家。抽象的な形態と幻想的で鮮烈な色彩の独自な作風。フィレンツエからローマへ。その後はフランスに招かれフォンテーヌブロー宮の装飾を手掛ける。のちにフォンテーヌブロー派と称される画派を形成し、その後のフランス美術に多大な影響をもたらした。
上の写真の「ピエタ」はルーヴル美術館収蔵。フランスに渡ってきてから描かれた159×245の大作です。この作品についての詳しい解説やいくつかの小品が展示されていました。フランスでのロッソの作品は他にフォンテ―ヌブロー宮の「フランソワ1世のギャラリー」で観ることができるそうです。マニエリスムは大好きなので、いつか訪れたいと思っています。
↓ ゾッポ「聖母と奏楽の天使」88×72 /Opera Del zoppo di Squarcioneのサイン有
↓ 追っかけのカルロ・クリヴェッリ「シエナの聖ベルナルディーノ?」(1477)195×61
年老いた聖人の色彩も地味な絵ですが、遠くからでもカルロの作品と分かる独特な作風。聖人の頭上にお決まりの果物が描かれていますが、これも全体の雰囲気を損なわないようにモノトーンに近い彩色。バックの垂幕も良く観ればオリエントの抽象草花が淡く描かれ、足元には寄進者と見られる親子の祈る姿。 この聖ベルナルディーノ(1380~1444)について。シエナの貴族の出身で、聖フランチェスコ会に属する有数の説教師で、キリストの名を示すI.H.S.と記した円盤を持って布教。裸足で貧困の誓約を厳守するオッセルヴァンティという修道会を創設し、数多くの奇跡を行ったと言う。この画にも吊り下げられた円盤、裸足、年老いた苦行僧の姿として描かれています。 ルーヴルにはもう一点のカルロ・クリヴェッリがあるそうですが、このときは気がつきませんでした。 ↓ マンテーニャ「聖セバスティアヌス」
|
↓ スルバラン「聖アポロにウス」1636頃 113×86
はっと気が付くとすでに5時近くになっていました。このままシャトレ座へ行き、劇場隣のカフェで時間をつぶし、キルヒシュラーガ―のリサイタルへ。
↓ 開演前
メゾ・ソプラノ:アンゲリカ・キルヒシュラーガーMezzo Soprano: Angelika Kirchschlager
オーストリア人のメゾ・ソプラノ。プログラムが残っていないので、詳しい曲目は忘れてしまいましたが、フランスでも人気があり、フランス歌曲もアンコールで数曲歌って、最後は声がかすれてしまいはらはらしました。まだ若くて美しい(今でも綺麗ですが)キルヒはグレーのサテンのドレスが色白で知的な彼女に似合って、とても素敵でした。前年バスチーユでホフマンのニコラウスとミューズで観てファンになってましたから、偶然でしたがパリにいる間にリサイタルがあってラッキーでした。
さて、明日はオペラ仲間たちの待つウィーンへ向かいます。
2001年春の旅(7)ニース~パリ [2001春南仏、パリ、ウィーンの旅]
4/25(水) ニース→パリ(AF)
パリ/ナポレオンホテル 2泊
複雑な内部のホテルですから、朝食室も遠いのです。おまけに値段の割に簡素なので、今朝は朝食抜きでお菓子など食べて、早めにニース空港へ。空港のカフェでようやくコーヒータイム。私の体は朝のコーヒーを飲まなければシャンとしないので、これでOK。飛行機の遅れもなく、パリCDGに到着したのはラッキーでした。というのは前日ストがあったからなのです。天候にも恵まれ、こういうことでもついているコートダジュールの旅でした。でもパリでは・・・。
さて、パリのホテルに5日ぶりに舞い戻りました。部屋は前回のスィートルームではありませんが、かなり広い凱旋門に面した角部屋でした。
ランチは向かい側の通りで偶然見つけた日本人の吉野シェフの「ステラ・マリス」で。昼のムニュのスモークサーモンのステラ・マリス風(ミキュイ)、野菜もたっぷり添えられて美味でした。アミューズは2皿も出していただいて、マダム(吉野夫人)が独りの私に気配りしてくれて、楽しく食事ができました。ケーキのお土産も持たせていただいて恐縮でした。吉野シェフはこの何年か後にミッシュランの星を獲得。現在は東京にも店を出して、成功されました。あの時の優しかったマダムは数年後?でしたか、詳しくは書きませんが失意のうちに病死されたとのこと。東京に行っても吉野シェフのレストランには行きたくないです。
さて、これからが大変なことに…と言いますのは手持ちの現金が少なくなり、シティ・バンクのシャンゼリゼ店でお金をおろす必要がありました。ATMではやはり駄目です。数日前東京のシティバンクに電話したときは、カードの磁気が駄目でも、パリ支店で緊急のキャッシュ・サービスが受けられるという話だったのです。ところがカウンターでパスポートとカードを提出しても、ノンなんとかと言って拒否。東京のシティバンクに電話してもらいました。その電話はカウンターではなくて、入口近くの立って話す電話でした。そして、信じられないことばかり延々と続きました。「ウィーンで友達にお金を借りたら?」とか「クレジットのキャッシュ・サービスでお金を借りたら?」とか・・・そのたびに「ウィーンに行くまでお金が足りない」「クレジットカードの暗証番号は控えてない」と説明するのですが、「少々お待ちください」と言って何度も中断して長いトイレ?、私が預金を引き出すのを諦めさせようとしているの?悔しくて涙がでてきそうでした。旅先であんなに困ったことはありませんでした。ミラノでスリにあった時よりも。札幌で口座を開設して、預金してきたのはなんのためだったのでしょう。自分のお金をおろせないなんて。こうなると意地でもおろすわ!逆境に強い私?です。最後にカードの暗証番号のほかに顧客の番号がありますが、答えられますか?えーっと〇〇〇〇かしら(自信なかったけれどあたり!)ようやくお金を手にできたのは、支店に入ってから1時間半後でした。何故こんなに引き延ばすのかしら?嫌がらせとしか思えませんでした。1時間も立ちっぱなしで腰は痛くなり、ほとほと疲れました。夕方のオペラまでホテルに戻って休まなければなりませんでした。
悪いことが続きました。余裕をみて早めにシャトレ座に向かったので、遅れないで済んだのですが、地下鉄がメカトラブルでストップ。しばらく動くのを待ったのですが、途中の駅で車内放送があり全員降車ということになり、地上に出てシャトレまで30分ほど歩きました。着いたのは開演ギリギリでしたが、実際には15分ほど遅れて幕が開きました。
♪~『ファルスタッフ』ヴェルディ
指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー 演出:イアン・ジュドジュ
サージョン・ファルスタッフ:ジャン.フィリップ・ラフォント フェントン:ファン・ディゴ・フローレス フォード:アンソニー・マイケル.モア バルドルフォ:フランシス・エガートン アリス・フォード:ハイレヴィ・マルチンペルト ナンネッタ:レベッカ・エヴァンズ クイックリー夫人:キャサリン・クールマン
♪~予習のCDを聴いているうちにこのオペラが大好きになりました。ヴェルディが到達した職人芸のようなセリフとメロディーの絶妙なマッチング!シャトレ座も初めてでしたし、期待度大・・・おまけに一度はキャストから消されていたフローレスが無事出演しました。チャーミングなフェントンを歌い、確実な成長ぶりに目を細める私でした。このころからファン仲間では王子さまの愛称が付いたフローレスでしたが、まだ一般のオペラファンには知られていませんでした。私も1999年のミラノ以来2度目でした。
オーケストラも舞台上に配置された、狭い空間での展開でしたが、演劇的なきめの細かい演出とそれに沿ったガーディナー指揮の小振りながらも典雅な演奏、歌手達の洗練された動きと見事な歌唱に感嘆。シェクスピアの原作だけあります。お芝居としても楽しい作品で、笑いもフランスの公演らしくお洒落で上品、好感度の高い舞台でした。演出家はプログラムの紹介に寄りますと、イギリス人でシェクスピア・カンパニーで働いていたそうで、さすがと思いました。
↓ プログラム
当夜の素晴らしい舞台に朝から続いたトラブルも一掃されすっきり。10時半ごろの終演でしたが、メトロで戻った凱旋門付近は賑やかで、余裕でホテルに帰りました。美食ランチから何も食べていませんでした。手持ちのお粥でなんとかお腹を満たし、就寝。
2001年春の旅(6)ニース [2001春南仏、パリ、ウィーンの旅]
4/24 ニース→サンポール・ド・ヴァンス→ヴァンス→ニース
今日はバスでニース近郊へ行きました。バスターミナルは昨日訪れた近代美術館の近くで、タイムテーブルも確認済みでした。ここのルートを決めるにあたって迷ったのはルノワールの家のあるカ―ニュ・シュル・メールに寄るかどうかでした。でも、バスの便があまりなくて断念しました。
バスは1時間ほどで、サン・ポール・ド・ヴァンスの城壁で囲まれた旧市街の外側に停車しました。旧市街は後から見学することにして、まずはマーグ財団美術館の見学へ。バス停の向かい側の道にマーグ財団美術館の看板があり、それに沿って山道を15分くらい歩きました。
↓ ここから眺めた丘の上サン・ポール・ド・ヴァンスの町です。ミモザの花が真っ盛りでした。
そして高台に建つ美術館に到着。さほど急な登りではありませんが、真夏だと厳しいかも・・・。
★マーグ財団美術館 1964年、エーメ・マーグ夫妻によって設立された私立の財団によって運営されています。戦後フランスの代表的な現代美術の画商と知られ、その画廊経営と出版事業によって20世紀美術に深く関与した夫妻でした。ボナールやマティスらと親交があり、絵画、彫刻などの豊富なコレクションに加えて、風光明媚な土地に建てられた利点を生かして、ミロやジャコメッティなどの庭園に展示された作品が秀逸でした。ただ訪問した日はミロの特別展のため、常設の作品はほとんど展示されていなくて、心残り・・・涙。
↓ 松林に囲まれたアプローチを行きますと、美術館前庭にはカルダーのモービルやミロの彫刻。
内部はカメラ禁止でした。ミロの特別展のためのいくつかの部屋を抜け、戸外へ出ますと
↓ ジャコメッティの庭
また、庭の片隅にごく小さな礼拝堂がありました。白い壁にキリストの磔刑像が掲げられているだけのシンプルな、祈りの空間です。昨日から現代美術の数々を鑑賞してきた私には、モダンなのにまったく違和感のない親密な感じがする場所でした。
↓ 常設展が見られなかったので、ブックショップで重いカタログ(20世紀のヌード)を購入。
元来た道を下り、バス停から城壁内のサン・ポールへ。この日は南仏らしい陽光が眩しい日でした。大勢の観光客で賑わっていましたが、
↓ 狭い路地を抜けるとふと静かな一画が現れたり
狭い坂道の途中にあったレストランで野菜中心の軽いムニュのランチ。トマトのファルシーが美味しかったです。
ピクチャレスクな町を楽しんだ後はヴァンスへ。降車したバス停に戻りますと、さきほど美術館でちらっと見かけた日本人の若い女性が立っていました。お互いに独り旅&美術好きということで、たちまち意気投合。この後はご一緒することになりました。バスは10分ほど登り(素晴らしい景観!)、ヴァンスの街中へ。バスを降りると目の前にプチ・トランが待っていましたので、即乗車して、ロザリオ礼拝堂へ向かいました。ヴァンスから礼拝堂までは徒歩で行けますが、かなりきついようで心配でしたから、助かりました。
★ロザリオ礼拝堂
マティスが晩年に精魂を傾けて完成させた礼拝堂は1948年に着手し51年に完成しました。前日ニースのマティス美術館で設計図から壁画、ステンドグラスまでに及ぶ推敲を重ねたデッサンを見たあとで、チャペルを見学したのは、予期しなかったことですが、とても良い順番だったと思います。南仏の太陽がステンドグラスを透して、明るい光が差し込み、溢れます。解説の方の話では一日居ても飽きないとのこと。刻々と光が変化するその有様を観たいと思いましたが、一介のツーリストですから・・・。シンプル・モダンな美と祈りの密なるチャペル、マティスの画家としての魂がこもっています。ただただマティスのクリエイティブな仕事に脱帽しました。前年、エルミタージュ美術館で感動した以上のマティス体験になりました。
↓ チャペルの前でプチ・トランを降りました。個人の自由見学は無く、ガイドツアー(30分毎)のみ。
入館のとき並んでいましたら、ガイドツアーが終わって出てきた中に札幌のスポーツクラブで一緒の方にばったり!ご主人と個人で南仏を回られているそうです。札幌の町中で会うこともないのに、何でここで?と笑っちゃいました。
感動の見学が終わった後は、プチトランでヴァンスへ戻り、バスの出発まで大聖堂の見学をしました。同行していただいた方と夕食を共にすることを約束して、いったんニースの宿で休憩。約束の時間まで浜辺の散策をしました。
↓ ニース歌劇場の前で待ち合わせ。この日の公演は聴いたことのない珍しい演目でしたし、観る予定はありません。
旧市街のレストランでニース名物のソッカ、野菜スープなど。安くて美味しい店なので、狭い店内は満杯でしたが、若い彼女同伴のおかげで「ちょっと待って、すぐ空けるから」って、優しい南仏男(笑)。ワインも1本あけて楽しいお食事になりました。帰りはすでに暗くなっていましたが、海岸通りは危険だからと私のホテルまで送ってきてくれました。いろいろと気配りのできる彼女とのお別れはやはり淋しかったです。お互いに暗黙の了解みたいに住所氏名を名乗らずじまいでした。
コートダジュールの美術館めぐりも終わり、明日はパリに戻ります~。
2001年春の旅(5)アンティーブ~ニース [2001春南仏、パリ、ウィーンの旅]
4/23 アンティーブ→ニース(列車)
ニース/ホテル・ラ・ぺローズ2泊
朝目覚めると雨が降っていました。午前中はレジェ美術館のあるビオットBiotを訪れる予定だったのですが、この快適な宿を離れるのが惜しくなってしまって、雨ですし怠け心がでてしまいました。ルームサービスの朝食をゆっくりいただいて、本を読んだりして過ごし、昼近くにチェックアウトしました。そのころには雨も上がり、青空の広がる良い天気になりました。
↓ ルームサービスの朝食
↓ ホテルの前で
ニースに着いたのは13:00頃でした。ホテルは海岸通りのプロムナード・デザングレの東端にあります。15:00まで部屋は用意できないとのことで荷物を預け、タクシーで丘の上のマティス美術館へ行きました。
★マティス美術館
17世紀の邸宅がニースを愛したマティスの美術館になっています。初期から晩年まで数多くのコレクションを展示しています。マティスは40歳代になってから主にニースで過ごし、人物像や室内風景、そして礼拝堂の装飾なども手がけ、傑作を残しました。この美術館には彫刻やデッサンも多数収蔵されています。ここでの見所はヴァンスのロザリオ礼拝堂のために描いた幾枚ものデッサンです。表現が次第にシンプルになっていくさま、その線描を追うのはとても興味深いものでした。
↓ 展示室風景。カメラは禁止なので、美術館のHPから拝借しました
↓ 絵葉書「ざくろのある静物」
次は丘を下って数分のシャガール美術館へ。
★シャガール聖書美術館
1973年に開館したシャガール美術館は地中海を見下ろす丘の上の白亜の建物です。最晩年に描かれた旧約聖書をテーマにした油彩17点、水彩、版画、ステンド・グラス、モザイクなど展示されています。
ロシア系ユダヤ人だったシャガールは1985年にニース近くのサン・ポールで亡くなりました(享年98歳)。
創作の根底には人種、民族の悲哀や苦悩がありますが、故郷の幻想的なイメージや愛妻べラとの幸福なイメージもまた万人に受け入れられ、賞賛されました。劇場の天井画(パリ・オペラ座 1964)も有名です。
陽光差し込む展示室で華やかな赤、青、黄色主体で描かれた作品群を鑑賞。旧約聖書が題材なので、見慣れたキリスト教の主題とは違っていて、ちょっぴり面食らいました。
「アブラハムと3人の天使」はロシアのイコン画家ルブリョフの「聖三位一体」を思い起こさせます。日本人のグループも多く来館、混雑していました。カメラは禁止。
↓美術館入り口棟 (美術館のHPより)
↓絵葉書「Le Cantique des Cantiques 1」
雅歌シリーズ5枚のうちの一枚。「あなたのほぞは、混ぜたぶどう酒を欠くことの出来ない丸い杯のごとく・・・」7-2より
幼少のころよりユダヤのファミリーで口承されてきたソロモンの雅歌もシャガールにとっては終生忘れえぬ追憶だったのです。甘い官能が赤い絵の具に溶け込んだような幻想的な絵画です。
↓コンサートの間にあったクラブサン (絵葉書)
シャガールの作品数は膨大で、主な美術館には必ず収蔵されているといってもいいくらいですが、ここで観たシャガールは、やはり最高でした。美術館の広い前庭でお茶をしたあとは、またトコトコ坂道を下り、ニースの近代美術館へ。地図を見ながら美術館を探し、時間がかかりました。丘の上は高級住宅地で治安も良いのですが、下町に入ると少々問題ありな感じで、びくびく。美術館の近くで地元の人に訊いても知らないって言いますし・・・うろうろ。すでに夕方、閉館時間に近くなり、焦りました。ようやく見つけて入館しました。
↓ 入り口付近
★ニース近代美術館
1960年代以降のモダンアート、ポップアート、写真、ガラス工芸、デザインなどの現代美術作品400点以上を展示。美術館は1990年に開館したモダンな建築で、屋上テラスからの眺めも楽しめました。主な収蔵品の中ではニース出身のイヴ・クラインの作品が充実しています。クライン・ブルーを堪能しました。
イヴ・クライン Yves Klein(仏)1928~1962 ヌーヴォ・レアリスムの代表的画家、彫刻家、パフォーマー。ウルトラ・マリン・ブルーの独特な調合をインターナショナル・クライン・ブルーと名づけ、絵画、彫刻だけでなく風船、照明なども青く染め、制作にはお騒がせなパフォーマンスを行ったことでも有名。そのなかの火の絵画と呼ばれるものはここニースで初めて観ました。残念ながらカメラ禁止でその焼け焦げ絵画の画像はありません。
↓ 「空気の建築」(1961) 263×214 絵葉書
↓ 「タイトルなしのコスモゴニー」(1961) 絵葉書
午後から3つの美術館を制覇(笑)したのですが、もうふらふら状態でホテルに戻りました。午前中の予定をパスして正解だったようです。ホテルはとても複雑な造りで、まるで迷路です。何度も迷いそうになりました。レセプションは地上階にありますが、私の部屋は海の見える上階ですが、別棟なので遠い~。
↓ ホテルの部屋
↓ 広いベランダからの眺め。右方向にアンジェ湾とプロムナード・デザングレ
↓ ホテルのプールには4月でも泳ぐ人。
↓ 外観はこんな感じ。右下の黄色の建物がホテルの入り口で、私の部屋はその左上のHと書かれた黄色の建物。
夕食は海岸沿いから少し入ったレストランの並ぶ広場で。魚介のグリルにレモンをたっぷり絞って素朴な味、プロヴァンスのロゼもGoodでした。
↓ 夕方の花市場で。シベリアン・ハスキー君、名前はアリ。人懐っこくて我が家のちょびにそっくりで可愛い~。
ちょっぴりホームシックになりました。札幌はまだ桜も咲かない気候ですが、こちらは初夏の陽気。それでも暗くなると急に気温が下がりました。お風呂に入って就寝。