(15.16)ザルツブルク~札幌 [2004夏ペーザロ、スポレート&ザルツブルク]
(14)ザルツブルク [2004夏ペーザロ、スポレート&ザルツブルク]
CLAUDE DEBUSSY La Mer – Trois esquisses symphoniques
OLIVIER MESSIAEN Éclairs sur l´Au-Delá ...
メシアンの曲はあまりなじみがなかったのですが、秋にパリでオペラの聖フランソワを聴く予定もありましたので、贅沢ながらメシアンの最後の大作をラトルの指揮で。初めは苦手な現代音楽ですしと構えていたのですが、自然に引き込まれていきました。11曲約1時間の演奏でした。(13)ザルツブルク [2004夏ペーザロ、スポレート&ザルツブルク]
Symphony in E flat major, KV 543
この演奏会はザルツブルクに着いてから現地のチケット屋で購入しました。ザルツブルクのモーツアルテムは今回が初めてです。ダムラウもこの時初めて聴きましたが、素晴らしい!!すでにかなり人気があって、チケットもほぼ完売していて残り少なく、手に入ったのはラッキーでした。そのうちoperaで聴くことができると思いましたが、この後初めてのダムラウは2006.8ですから2年後のことです。ここザルツの「魔笛」の夜の女王役でした。
↓プログラム
ランチは中華料理店で餃子とビールそして夜のオペラのためのすやすやお昼寝タイム。
指揮のフィッリプ・ジョーダンは1974年生まれ。このとき弱冠30歳!オッターのカルメンが放映されたときから注目していた若手の有望株です。ウィーンフィルとのアンサンブルも素晴らしく、溌剌としたモーツアルトでした。
歌はこのとき初めて知ったイヴェリとガランチャ。この時点ではイヴェリのほうが断然良かったのだが・・・ガランチャがこれほど(2010.2現在)活躍するとは正直このときは予測できませんでした。若い恋人たちに対比させたアルフォンソとデスピーナは個性的な衣装や役作りで、このドラマの隠し味的な面白さを際立たせて秀逸。しかし、フェルランドとグリエルモはほとんど印象に残っていません。
↓プログラム
(12)ザルツブルク [2004夏ペーザロ、スポレート&ザルツブルク]
(11)ザルツブルク [2004夏ペーザロ、スポレート&ザルツブルク]
ベルリンドイツオペラ管弦楽団・合唱団
指揮:ハインリヒ・ホルライザー 演出:ゲッツ・フリードリヒ)
パウル:ジェームズ・キング(テノール)
マリエッタ(「踊り子」及び「パウルの亡き妻マリアの亡霊」):カラン・アームストロング(ソプラノ)
フランク(パウルの友人):ウイリアム・マレー(バリトン)
ブリギッタ(パウルの家政婦):マルギット・ノイバウアー(メッゾ・ソプラノ)
<マリエッタの一座>
ジュリエット(歌手):シルヴィア・グリーンバーグ(ソプラノ)
リュシエンヌ(歌手):ルートヒルト・エンゲルト(ソプラノ)
ガストン(ダンサー):ジャン・ピエール・リエジョワ(テノール)
ヴィクトリン(舞台監督):ドナルド・グローブ(テノール)
フリッツ(ピエロ):ウイリアム・マレー(バリトン)
アルベルト伯爵:ダヴィッド・クヌットソン(テノール)
参考CD: コルンゴルト『死の都』1975年6月バイエルン放送局コンサート・ホールにて収録
指揮:エーリッヒ・ラインスドルフ 演奏:ミュンヘン放送管弦楽団、バイエルン放送合唱団、テルツ少年合唱団
パウル:ルネ・コロ マリー/マリエッタ:キャロル・ネブレット フランク:ベンジャミン・ラクソン
ブリギッタ:ローゼ・ヴァ―ゲマン フリッツ:ヘルマン・プライ ほか
(10)ザルツブルク [2004夏ペーザロ、スポレート&ザルツブルク]
(9)ボローニャ~ザルツブルク [2004夏ペーザロ、スポレート&ザルツブルク]
Dietmar König, Oswald
Peter Maertens, Conon
Christoph Bantzer, Merlin
Roland Renner, Osmond
Christoph Kail, Aurelius
Sylvie Rohrer, Emmeline
Ulli Maier, Matilda
Alexandra Henkel, Philidel
Werner Wölbern, Grimbald
テノール:ミカエル・シャーデ
(8)スポレート~ボローニャ [2004夏ペーザロ、スポレート&ザルツブルク]
テルニからほぼ30分くらい走ったでしょうか、途中マルモレの滝が水しぶきを勢いよくあげているのを横目にどんどん山の中に入って行きました。ソレンネ山の麓、未舗装の山道を少し登ると車は行き止まり。ここからはすぐです。見学者は私のほかは一組だけでした。
↓サン・ピエトロ・イン・ヴァッレ修道院
聖堂はランゴバルトの時代に創設され、12世紀に建てなおされたという貴重な歴史を持っています。単廊式の内部は12世紀末や14世紀のジョット派のフレスコ画も含まれ、ランゴバルトの祭壇(8世紀)や12世紀の回廊への扉の側柱には鍵を持つ聖ぺトロの素朴な浮き彫り(これもランゴバルトの時代のもの)など。
↓この時購入した小冊子からスキャンしました。ランゴバルドの大理石の祭壇、前面の一部です。右下のうちわ?のようなもの(丸鑿)を手にした人物はこの祭壇の彫刻家ウルヌスとのこと
↓プラン
↓内部の写真は修道院が経営?の4☆ホテルのサイトから。訪問時には椅子は置いていなかったと思います。ホテルの結婚式用でしょう。
↓『OMBRIE ROMANE』Zodiaqueの写真から
回廊からの扉口のレリーフと堂内
2004年当時すでにホテル経営をしていて回廊も花で飾られていました。
↓絵葉書
サン・ピエトロ・イン・ヴァッレを訪れた後はテルニに戻り、閉まる直前の(i)で荷物を受け取りいったん駅へ。駅にはロッカーがないのはわかっていましたが、仕方ありません。最後の手を使いました。駅員さんに頼み込んで事務室の片隅に荷物を預かってもらったのです。いつも成功するとは限らないのですが、この駅の方は親切で本当に助かりました。
荷物がないとのんびり目的の聖堂まで歩きます。途中13世紀に建てられたサン・フランチェスコ教会にも立ち寄り外観だけ見学。
テルニには他にも古い教会がありました。ここから10分ほどでようやくサン・サルヴァトーレ教会に辿りつきました。広場から少し階段を登ったところに建っています。
テルニでは最古の建造物です。後陣の円堂は初期キリスト教時代に創建され、12世紀に増築。残念ながら内部は閉まっていて見学できませんでした。がっかりすると同時に急にお腹がすいてきました。食事をするには汽車の時間も迫ってきたので、あまり時間がありません。あわててタクシーを拾い駅まで戻り、構内のカフェで軽くランチ。
2時間以内に荷物を引き取る約束にも間に合いました。
乗り換えOrteの後ボローニャまでは待ち時間もあり、到着したのはもう夕方暮れかかっていました。駅前のホテルには1週間ぶりで戻りました。夕食は外に出る気力もなく、「せっかくのボローニャなのに・・・」と嘆きながらホテル内のレストランへ。でも意外に美味しくてにっこりでした。
(7)スポレート(べヴァ―ニャ、モンテファルコ、フォリーニョ) [2004夏ペーザロ、スポレート&ザルツブルク]
BevagnaはFolignoから近いもののバスの便が悪いので、タクシーでBevagnaとMontefalcoを周りました。
のどかな農家の点在する平野を15分ほど走るとBevagnaのシルヴェストリ広場に到着しました。
この広場に面してサン・シルヴェストリ教会(12世紀ロマネスク様式)やPalazzo del Consoliなどが建っています。
中世の建造物に囲まれた広場は素晴らしい景観です。
↓サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会
さて、お目当てのサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会はなんと修復中。高いクレーン車が裏側に見えます。
内部見学不可。それでも正面扉口を見学できたのは不幸中の幸いでした。
中央ファサードの装飾は素晴らしいです。扉口の両側には厳しい表情の大天使たちやコズマーティ風の華麗な
モザイクで飾られています。
駐車し、タクシーに待っててもらって、まず(i)へ行き地図をもらいました。この町はワインでも有名なので、本当はここでランチをと思っていたのですが、タクシーなので見学が済めばFolignoに戻るのが鉄則です。それで見学すべきところを
地図ですばやくチェック。あらっ!サンタ・ルチアという古い教会があるようです。実はこの朝、スポレ-トの宿から
札幌に電話して知った次女のおめでたのニュース。次女のクリスチャンネームでもあるサンタ・ルチア・・・偶然です。
さっそく狭い路地を抜けて行って見ました。ここの丘の周りの路地は花で飾られ綺麗です。車も入れませんから、
とても閑静で、猫ものんびりお散歩。こういう道を辿りながらロマネスク教会を訪ねる歓び・・・やみつきになります。
さてそのサンタ・ルチア教会は小路の角を曲がるとひょっこり現れました。
小さな教会というより礼拝堂の趣です。
内部も質素で聖ルチアの小さな絵画が祭壇に飾られています。この静謐な空間で次女の安産をお祈りする気持ち。
涙がでるほど幸せでした。夫の弾んだ声が耳に響きます。「嬉しいね~僕たちの初孫だよ~」
ロマネスクの教会巡りのなかでも名教会とはいえないのですが、この可憐な教会は生涯忘れられない聖堂に
なりました。昨日のオッフィーレがやはり幸運を運んできたようです♪~
スポレートの駅前からはバスでサン・ピエトロ教会の近くまで。運転手さんがここを降りてすぐだよと教えてくれたのですが、停留所から15分以上は歩きました。しかも西日が照ってきて暑い昼下がり。ようやく教会が見えてきましたが、丘の上なので階段がきつかったです。
さてスポレート最後の夜はホテル近くの狭い路地に面したレストランへ。
(6)アンコーナ~スポレート [2004夏ペーザロ、スポレート&ザルツブルク]
サン・ポンツィアーノ教会が建っています。教会の扉が閉まっているので諦めようとしたら
向かって右側に立つ管理人さんの家?からおじいさんが出てきて鍵を開けてくれました。そしてクリプトも特別だよと案内してくれました。この教会の名前にもなっているスポレート出身の殉教者サン・ポンツィアーノの埋葬された場所に建てられた教会です。12世紀と13世紀にロマネスク様式に改築されています。シンプルな扉口とバラ窓の周りに四人の福音史家のシンボル。
↓サン・ポンツィア―ノ教会へ
あったんですよ~!次女のおめでたのニュースが翌朝飛び込んできたのです。
さて、サン・ポンツィアーノから今来た山道を登っていきますと、墓地があり、花屋さんもあります。
その向こうにサン・サルヴァトーレ教会が見えました。この教会は初期キリスト教のバジリカ(4~5世紀)
スタイルの聖堂として有名です。ファサードと後陣部は創建当時のものですが、さすがに傷みが激しく、最
近修復されたそうです。
内部に入ると小さな机を前に受付の若い女性が座っていました。(有料)夕方ですので見学者は私だけ。
とにかく開いてて良かったのですが、カメラの電池切れで,出る時撮るつもりだったファサードの写真があり
ません。