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2003春パリからベルリンへの旅 ブログトップ
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(17、18&19)ウィーン&帰国 [2003春パリからベルリンへの旅]

4/24(木)


 今回の旅も実質今日で終わります。途中ボローニャで腰痛に悩まされましたが、ウィーンとベルリンでは痛みもなくなりました。また、雨にも当たらず天候にも恵まれました。

朝食後は初訪問になるミュージアム・クォーターのレオポルド美術館へ。ホテルから徒歩10~15分くらいです。


↓ミュージアム・クォーター


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☆レオポルド美術館LEOPOLD MUSEUM

2001年にレオポルド夫妻のコレクションをもとに設立。オーストリア表現主義の画家エゴン・シーレEgon Schiele(1890-1918)の作品が多数展示されています。


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上のカタログの表紙はシーレ「ホオズキの実のある自画像」1912  32.2×39.8


↓シーレ「ストライプ柄のドレスで座るエディット・シーレ」1915  51×40


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シーレは自画像を多く描きましたが、「ひまわり」の絵も自画像の趣があると言われています。枯れたひまわりに自己を投影していたかのように、激しく荒々しい表現に不安感と悲痛をにじませています。


↓シーレ「ヒマワリ」1909-10 


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 館内のお洒落なカフェでケーキとお茶で一休み。↓美術史美術館と自然史博物館のエリアを抜けてウィーンの街の散策。

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歩き回って空腹になり、路地裏のレストランのテラス席でランチ


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夕方からはオペラです


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♪~ベッリーニ「夢遊病の女 La Sonnambula」19:30開演@ウィーン国立歌劇場


指揮:Stefano Ranzani  演出:Marco Arturo Marelli


アミーナ:Stefania Bonfadelli   エルヴィーノ:Juan Diego Florez

ロドルフォ:Dan Paul Dumitresch     テレサ:Mihaela Ungureanu

リサ:Simina Ivan      Alessio:Boaz Daniel


オーケストラ&コーラス/ウィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団


いつの間にかフローレスの追っかけおばさんの一人になってしまったので、年に一度は生の舞台で彼の歌唱に耳を傾けたいと、スケジュールにあわせ早くから準備することになります。こういう場合インターネットからの情報は大変貴重です。今回は生憎イラク戦争が始まったときでした。日本からのツアーも潰れたのでしょうか。最前列の中央10席ほどが空席になっていました。私の席はその最前列の左端でした。


舞台はガラス張りのホテルのロビーのような黒いグランドピアノの置かれた部屋。2幕になるとこの部屋は窓から雪が吹き込みピアノも壊れ、悲劇的要素を強める装置に変わります。

フローレスは聴くたびに進化していきます。、本当に非の打ち所のない歌唱と演技。アリアの高音もピシッときまり、悩めるややマザコンのエルヴィーノを憂いをこめて歌い上げました。ボンファデッリもこのときの舞台が私の聞いた中では最高だったと思います。姿も美しく、ベストカップルの主人公たちにカーテンコールも熱く、何度も繰り返されました。私は疲れたので途中で劇場を後にしたくらいの長い長いカーテンコールでした。今思えばキャリアの最高地点に立ったボンファデッリとこれからまだ高みを目指すフローレスとのほんの短い邂逅であったのかなと・・・やはり一期一会。

幕間に個人で来られた日本のシニアの女性はオーストリア航空がキャンセルになって、予定の便で帰れないと嘆かれていました。私の方の実害はなかったとはいえ、やはりこういう時期はなるべく海外遠征は控えた方が良いのかも知れません。席は平土間最前列左側157€。



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↓ボンファデッリの稽古風景とプログラム


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参考CD:ベッリーニ「夢遊病の女」


指揮:アントニーノ・ヴォット―  オーケストラと合唱:ミラノスカラ座管弦楽団と合唱団


ロドルフォ伯爵:二コラ・ザッカリア   テレサ:フィオレンツァ・コソット 

アミーナ:マリア・カラス  エルヴィーノ:二コラ・モンティ   リーサ:エウジェニア・ラッティ


1967ミラノにて収録 


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4/25(金)ウィーン18:15→フランクフルト19:50/21:05→

4/26(土)→成田15:20/18:30→千歳19:50


帰途のJAL便はがらがらで、無事我が家にたどり着きました。17泊19日のいつもより4日ほど長いので、渋る夫に頼み込んで延ばしてもらった貴重な日々。

オペラ9公演とロマネスク巡りに美術館も初めてのところも多く、有意義な旅を終えることができました。次回の2003夏の旅は来春ロサンゼルスで結婚することになった次女と南仏を回ります。(END)









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(16)ベルリン~ウィーン [2003春パリからベルリンへの旅]

4/23(金)ベルリン11:00→ウィーン12:30



ウィーン/ Schlosshotel Römischer Kaiser 2泊


 旅も終わりに近づきました。この日から日記メモを付けていませんので、写真を頼りに書き進めていこうと思います。

3泊したベルリンからウィーンに戻りました。ホテルの部屋は前と違い裏側に変わりました。中庭に面した窓と裏通りの見える窓、バスルームも窓付きです。クラシックなシャンデリアもプチ豪華。


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↓オペラの前に


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~ドニゼッティ『ラ・ファヴォリータ』@ウィーン国立歌劇場


Dirigent: Fabio Luisi, Inszenierung: John Dew, Orchester der Wiener Staatsoper, Chor der Wiener Staatsoper
Leonor de Guzman: Violeta Urmana, Fernand: Giuseppe Sabbatini, Alphonse XI: Carlos Alvarez, Balthazar: Giacomo Prestia, Don Gaspar: Cosmin Ifrim
Ines: Genia Kühmeir


今回の旅で観たオペラの中で一番印象が薄く、年月が経った今はほとんど記憶にないという恐ろしいことになっています。

サバティー二の調子が悪く、高音にあげるときにのどが詰まった不快な感じがありました。またカルロス・アルバレツも以前に聴いたより、スケールが小さくなって無難に流れ熱いものが感じられません。フランス語の発音も納得しかねました。ヒロインのウルマーナは大柄なボディからの声量はあるものの、感銘を受けるほどの歌唱でもなかったのが惜しまれます。
ビデオの画面が舞台奥に並んだり、演出も陳腐でした。初めて見るオペラでもあり、予習は欠かせなかったのに、下のCDをようやく見つけ注文したのですが・・・あまり好きになれないままウィーンに来てしまったのです。


↓プログラム


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参考CD:Donizetti『La Favorita』

指揮:ANGELO QUESTA  オーケストラと合唱:ORCHESTRA SINFONICA/CORO DI TORINO DELLA  RAI

Leonor de Guzman: Fedora Barbieri, Fernand: Gianni Raimondi, Alphonse XI: Carlo Tagliabue, Balthazar: Giulio Neri, Don Gaspar: Mariano Caruso
Ines: Loretta Di Lelio

1955.11.23 モノ録音@トリノ  2002CDに再録

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(15)ベルリン [2003春パリからベルリンへの旅]

4/22(火)


 今日も一日中晴れの良い天気に恵まれました。旅も終盤に入り、復活祭も過ぎると北ドイツもすっかり春めいてきます。ウンター・デン・リンデン大通りから今日は200番のバスに乗って、文化フォーラムの新ナショナルギャラリーへ。


↓新国立絵画館とフィルハーモニーホール


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ところが美術館は閉館だったのです。通常は月曜日が休館なのですが、復活祭の時は変則休日になるそうで…昨日オープンして今日はお休み...きちんと調べなかった私、うっかり者です。10年前にベルリンに来たときはダーレムの絵画館へ行き、コレクションの大部分を鑑賞済みとはいえ、新しく移設したギャラリーでの絵画鑑賞は楽しみでしたから、がっくり気落ちしました。


 タクシーでシャルロッテンブルク宮殿に向かいました。10年前にこの近くまで来ていますが、宮殿内部の見学はまだでしたし、プロセイン王室のコレクションにロココ絵画の名品があるとのこと。


↓シャルロッテンブルク宮殿


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☆シャルロッテンブルク宮殿ギャラリー

 プロセイン王フリードリヒ一世(在位1701-1713)が妃のために1695-1699にかけて建設。その後1701-1707に拡張工事を行いドームを建造。1741-42は右翼屋や1788左翼屋も増築。室内の美しいロココ様式の装飾とプロセイン王家の蒐集したロココ絵画が見どころです。宮殿見学の入り口と美術館の入り口は別なので、迷いました。


そのロココ絵画のコレクションの中ではヴァトーの名品が揃っています。

↓ヴァトー『平和な愛』1718頃 56×81  中央3人のポーズはティツィァーノの「田園の奏楽」に類似。


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↓ヴァトー『羊飼いたち』1717頃 56×81


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↓ヴァトー『ジェルサンの看板』1720 166×306 

36歳で亡くなったヴァトー最後の大作。本来は2面に分かれ左側155㎝右側が151㎝。火災後新店舗を再建した画商ジェルサンのために描き、看板として15日間店先に出されたそうです。主題は左側が過去、右側が現在を表わすという説や集団肖像画とするなどさまざまな解釈があります。雅宴画の世界を脱却したヴァトーの新しい境地。生きていたらまだまだ素晴らしい作品を描いたことでしょう。


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他はシャルダンの「台所の女中」など。展示室近くの大広間は緑色の大理石で装飾された「グリーンルーム」、豪奢を極めています。


ロココアート満載の宮殿を出ると急に現実の世界に引き戻されました。宮殿前の人通りの多いことにも10年の月日の流れをしみじみ感じました。


↓シャルロッテンブルク宮殿の前に建つ2つの美術館も復活祭後のお休み。


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ここから145番のバスでZOO駅まで、100番に乗り換えウンター・デン・リンデンの歌劇場で降車。劇場の隣のカフェでビールとソーセージの軽いランチ。テラス席もこの陽気で大賑わい。


↓街角の広告ディスプレィも素敵


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↓ ブランデンブルク門が遠くに見えました


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↓宿泊したウエスティン・グランドホテルのテラス席 。昨日はハンプソンも来ていたそうです。今日は休日も終わったせいかひっそり。


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夕方までホテルライフを楽しみのんびり・・・夕食はホテル1階のグリルレストランへ。帆立の前菜と羊のロースト、お上品な盛り付けのせいか量が少なくて丁度良く、美味しくいただけました。

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(14)ベルリン [2003春パリからベルリンへの旅]

4/21(月)


 今日も快晴のうえ、このホテルの超豪華な朝ごはんにご満悦。今夜のオペラは『トリスタンとイゾルデ』なので夕方5時から開演です。それまであまり遠くだったり時間のかかるところはパスして、100番のバスで中心街のクーダムへ。

↓カイザー・ヴィルヘルム記念教会


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↓10年前に娘たちと宿泊した懐かしいホテルの前を通って1本隣の通りにあるケーテ・コルヴィッツ美術館へ。


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☆ケーテ・コルヴィッツ美術館Käthe Kollwitz Museum

 ケーテ・コルヴィッツを知ったのはいつだったのでしょう。どこで彼女の作品に最初注目したのでしょう。すでに忘却の彼方ですが、この旅の前に若桑みどり先生の『ケーテ・コルヴィッツ』を読んでいたことがここを訪ねる大きなきっかけになったことは間違いありません。コルヴィッツは二つの大戦に生きた芸術家です。戦火に倒れ苦しむ人々や社会の底辺に生きる人々の現状を告発した版画やデッサンや彫刻など。その強いコルヴィッツの意思を感じさせる作品は彼女の自画像とともに忘れられない感銘を受けました。


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↓通りに面して建つ一軒家ですが、小さな立て看板が目印


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↓入り口


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生憎この時は他の画家の特別展があり、コルヴィッツの作品は少なかったのですが、いくつかの版画や当時のプロレタリア新聞に掲載された作品なども説明付きで見学できました。


 付近を散策してますと、自動車がひっくり返っているディスプレイのレストラン。天気が良いのでオープンエアーでのテーブルが賑わっていました。


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 クーダムのデパートの近くの中華レストランでワンタンメンのランチ(不味い)。点心はいくつか夜食用にテイクアウトしてホテルに戻りました。


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フェストターゲというベルリン歌劇場の春の音楽祭では、毎日豪華な公演が繰り広げられます。
隣席には日本からの40代くらいのご夫婦が座り、いろいろお話しました。この音楽祭がお目当てで、1週間ほど滞在されているそうです。


♪~ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』16:00開演


指揮:ダニエル・バレンボエム  演出:ハリー・クプファー

 

トリスタン:ベン・ヘップナー  マルケ王:kwangchul  Youn

イゾルデ:ワルトラウト・マイヤー  コーウネル:アンドレアス・シュミッド

メロウ:ライナー・ゴルドベルグ  ブランゲーネ:ローズマリー・ラング



舞台は中央に大きな天使(というより昨日博物館で観た有翼の女神に見えました)のうつぶせの半身が置かれ、それが場面に合わせて回転します。

 
マイヤーは3日前にウィーンでパルジファルのクンドリーを歌ったばかりです。声がなかなか飛んでこないという出だしではらはらしましたが、最後のほうは彼女らしい頑張りを見せて、感動的なシーンのうちに幕が降りました。和服のような袖のオリエンタルな衣装で、イゾルデの愛と死を歌います。誇らしげに舞台中央に立ったままで・・・幕。場内は感動に包まれて静寂が・・・とそのとき、ブーンと大きな鼻をかむ音がしました。何と無粋な!(怒)
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列目でしたから、思わずバレンボエムの方へ視線が・・・しかし、一仕事終えた男のすがすがしい横顔を見せて、静かに立っているマエストロでした。

この時以外でもドイツ人の鼻をかむ音が大きく、困ったものです。
トリスタンのヘップナーは2.3日前のリサイタルでアンコールを何曲も歌ったほど調子は良かったそうですが、この日は苦しく、最後まで不調。ほかはまあまあ。全般的に3年前のウィーンでの舞台には及ばないのは明らかでしたが、演出はこちらのほうが好みです。

席は平土間3列目右側260€


↓プロマイドとプログラム


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参考CD:Wagner『TRISTAN UND ISOLDE』ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』


指揮:カルロス・クライバー ドレスデン国立管弦楽団  ライプツィヒ放送合唱団


トリスタン:ルネ・コロ   マルケ王:クルト・モル   イゾルデ:マーガレット・プライス   クルヴェナール:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

メロート:ヴェルナー・ゲッツ   ブランゲーネ:ブリギッテ・ファスベンダー   


1980-1982 ドレスデン・ルカ教会にて収録


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夜食は点心とビール。ベルリンのオペラはこれで終わりなので明日はゆっくりできそうです。




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(13)ウィーン~ベルリン [2003春パリからベルリンへの旅]

4/20(日)ウィーン7:30→ベルリン9:00


 この日は早朝7時30分の飛行機でベルリンへ。9時頃ベルリン・テーゲル空港に到着。ベルリンは1993年春、娘たちと来て以来10年ぶりの再訪です。今回はオペラ(ベルリン春の音楽祭)が目的なので、国立歌劇場まで数分のウエスティン・グランド・べルリンに3泊しました。チェックインした時はまだ10時ごろだったのですが,さすが5☆です。すぐにお部屋を用意してくれました。5☆といっても華やかさはなく落ち着いた大人の雰囲気で、ロビーが広く、赤いじゅうたんの大階段とグランドピアノが置かれています。


↓部屋はシングル、ウンター・デン・リンデン大通りから1ブロックですが、静かな部屋です。


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この近くは10年前に娘たちと通り過ぎたこともありましたが、変貌ぶりは驚くばかりです。壁のかけらやロシア人たちの物売りの姿はすでになく、変わらないのは


↓フンボルト大学の古本市


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↓今夜から早速2夜通うことになる国立歌劇場


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↓ケーテコルビッツの母子像@ノイエ・ヴァッヘ


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↓博物館島の入り口に位置するベルリン大聖堂


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↓旧ナショナル・ギャラリーが見えてきました。


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☆旧ナショナル・ギャラリーAlte Nationalgalerie(初)


ギリシア神殿のような建物のギャラリー。東西ベルリン統一後は西に分かれていた美術館と統合され、ここは19世紀美術専用の美術館として、3年間の改装を経て2001年にオープンされました。ここで観るべきは、フリードリヒ、ベックリン、メンツェルなど。

特にドイツロマン派の代表的な画家Caspar David Friedrichフリードリヒの充実したコレクションは必見です。下はすべて絵葉書です。


↓フリードリヒ「月を眺める男と女」1824頃 34×44


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↓フリードリヒ「樫の森の修道院」1809-1810 110.4×171  1810年のベルリン・アカデミー展に出品。フリードリヒの故郷グライフスヴァルト近くの廃墟の修道院がモデルとされています。同時に出品された「海辺の修道士」とともにプロセイン王室に買い上げられました。


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↓フリードリヒ「窓辺の婦人」1822 44×37 モデルは画家の妻カロライン。窓外にはエルベ川を航行する船のマストがみえます。


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↓ベックリン「死の島」1833  80×150


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ベックリンの作品の中で一番人気のあるテーマ「死の島」は全部で5点のヴァージョンがあります。一点は大戦中に焼失?したのか行方不明。他の4点はにメトロポリタン美術館、バーゼル美術館、ライプツィヒ美術館、そしてここベルリンの旧ナショナルギャラリーが所蔵しています。


帰途☆ベルリン旧博物館(Altes Museum)も寄ってみました。同じ広場に面した大聖堂にも負けない堂々たる建物。新古典主義様式でシンケルの設計によるもの。旧博物館の「旧 (Altes)」は古代ギリシアなど旧い時代の美術品を収蔵している博物館という意味で、古い旧式の博物館という意味ではないそうです。


古代ギリシアの彫像の並ぶドーム天井の大きなホールからギリシアの壺などの並ぶ展示室へと見学しました。

彫像の中にギリシアの女神(羽を背にした勝利のニケ像)私が観たものは画像がありませんので、似たものをアップしました。何故なら翌日観たオペラ『トリスタンとイゾルデ』の舞台にうつ伏せの姿で登場していたのです。


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 館内で軽くサンドイッチのランチを済ませ、ホテルへ戻りました。


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夕方のオペラ開演に合わせて仮眠タイム。そしてウンター・デン・リンデン歌劇場へ向かいました。やや小ぶりな劇場ですがクラシックな内装も素敵です。席は3列目やや右より。


♪~ヴェルディ『椿姫』7:30~


指揮:バレンボエム 演出:ムスバッハ

ヴィオレッタ:クリスティーネ・シェーファー  アルフレット:ロナルド・ヴィラゾン
ジェルモン:トーマス・ハンプソン
 

今まで観た椿姫の中で一番印象に残る舞台でした。ムスバッハのこの演出はこの後エクサンプロヴァンスでも公演するそうですが、フェストターゲではバレンボエムの指揮に加えて、シェーファーがヴィオレッタ、新進テナーのヴィラゾン、10日ほど前にバスチーユでテルを歌ったハンプソンと魅力的なラインナップです。

舞台は紗幕がオーケストラ席まで降ろされ、自動車のリアウインドウに雨のワイパーの動くシーン。観客からそれを通して舞台に繰り広げられる悲劇を観るというスタイルです。ヴィオレッタは金髪に白いドレス姿でマリリンモンローを想起させますし、自動車の画面がトンネルを走ったりすると必然的にダイアナ妃の悲劇がオーバーラップします。現代のマスメディアによって暴かれたモンローやダイアナ妃の私生活と逃れようのない孤独感。それらを背景に薄幸なヴィオレッタの愛と死のドラマ。ヴェルディの音楽がこの現代的な演出にもなんの違和感もなく切々と奏でられました。

シェーファーは昨年METのルルが鮮烈でしたので、今回はやや不安定に聴こえたのは体をゆらゆら動かしながら歌うのが原因だったかも。

ムスバッハはパパジェルモンに対してもかなり特異な役割を持たせています。パパジェルモンは男盛りで娼婦ヴィオレッタに性的関心を見せ、まるで言い寄るような素振り…客席からもため息...ですから、アリア「プロヴァンスの海と陸」も白々しく聴こえます。父親がそうなら息子も息子で、父親の訪問で推察できそうなものなのに、裏切られたと札束でヴィオレッタの頬をたたくような、救いようのないこどもっぽい男。ますます不憫なヴィオレッタ…女たちの受難ヒストリー的演出でした。

カーテンコールではバレンボエムは歌劇場のオーケストラ全員を舞台に上げ、ヴィラゾンの肩を抱いて、ご満悦。


↓舞台写真(現地で購入)

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参考映像:
ヴェルディ (1813-1901)<椿姫>
La Traviata 
ヴィオレッタ・・・・・テレサ・ストラータス(ソプラノ)
フローラ・・・・・・アクセル・ガル(メゾ・ソプラノ)
アンニーナ・・・・・ピーナ・チェイ(ソプラノ)
アルフレード・・・・・プラシド・ドミンゴ(テノール)
ジェルモン・・・・・・・コーネル・マクニール(バリトン)
ガストーネ子爵・・・マウリッツオ・バルバチーニ(テノール)
ドゥフォール男爵・・・アラン・モンク(バリトン)
ドビニー侯爵・・・・・リチャード・オネット(バス)
医師グランヴィル・・・ロバート・ソファー(バス)
ジュゼッペ・・・エルネスト・ガヴァッツイ(テノール)
フローラの召使・・エルネスト・パナリエッロ(バス)
使者・・・・シルベストロ・サッマリターノ(バス)
管弦楽:メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団
バレエ:ヴォリショイ劇場バレエ団
指揮・音楽監督:ジェイムス・レヴァイン
監督・脚本・美術:フランコ・ゼッフィレルリ
制作:1982年 ローマ 
2002.6道新教室にて


ホテルに戻り、夜食はルームサービスをとってみました。ソーセージ入りのスープは美味しかったけれど、パスタはダメでした。








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(12)ウィーン [2003春パリからベルリンへの旅]

4/19(土)


 朝は遅めに起床。ウィーンの観光名所シュテファン寺院の見学も3回目。今回はエレベーターで展望台まで上ってみました。

↓色瓦屋根の向こうはウィーンの街


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↓同じエレベーターになった日本人の方が撮ってくださいました。




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↓シュテファン寺院の正面扉口。この玄関柱廊が一番古く13世紀の後期ロマネスク様式です。


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↓ロマネスクの彫刻は「ライオンに跨るサムソン」


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 そして1998年から修復工事が始まり、ようやく新装なったアルべルティーナ美術館へ行ってみました。けれども、観たかった巨匠たちのデッサンはまだ常設されていませんでした。開催中の「ムンク展」へ。これがなかなか秀逸な展覧会で、テーマごとにまとめられてムンクの理解を深めることができました。アルべルティーナの素描コレクションは結局外観の工事が終わった2008年以降になったようです。


ランチは近くの優月で。生ちらし寿司とお吸い物。


大聖堂とオペラ座を結ぶケルントナー通りにある魚マークの店。奮発して大きな蝦のサラダを持ち帰り。


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↓ホテルはケルントナー通りから近いサーモン・ピンクの外壁の建物で、オペラ座まで300Mくらい。2001年にオペラの仲間と宿泊したホテルの向かいです。


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お部屋でのんびり休息、オペラの開演まで仮眠をとりました。


♪~ワーグナー『パルジファル』17:00開演@ウィーンSO


指揮:Peter Schneider  演出:August Fverding
Amfortas:Franz Grundheber
  Titurel:Alfred Reiter  Gurnemanz:Matti Salminen
Parsifal:Christopher Ventris  Kundry:Waltraud Meier Klingsor:Wolfgang Bankl

一応はCDで予習はしたものの、映像をみていないせいかあらすじが良く理解できません。しかし、このワーグナーの最後の作品で「舞台神聖祝祭劇」と呼ばれているオペラは宗教色が強く、ワーグナーの楽劇のなかでは異色というか日本人には親しみが持てない作品かも知れません。私はワーグナーのオペラはこれが2つ目ですが、この素晴らしい音楽を予習して聴いているうちにプチワグネリアンと化してしまいました。本物のワグネリアン目指して、それには実際の舞台をみなければ・・・と、ワクワクしながらウィーン国立歌劇場へ向かいました。


シュナイダーの指揮とウィーン歌劇場のオーケストラ、それにエファーディングのオーソドックスな舞台は安心して観ていられるというものです。歌手陣もまとまっていて、特にサルミネンの低音が響くと、ますます安心感大(笑)。マイヤーは前年のミュンヘンでも感じたのですが、絶頂期に比べるとやや力が落ちたようです。この後3日後にベルリンでも歌いますから、力を出し切っていないのかとも思いました。しかし、演技力を含めた表現に優れていますから、金髪のロングヘヤーでパルジファルの足を洗う場面は聖書の場面のマッダレーナを彷彿とさせ、感動しました。オペラが好きですがそれ以上に美術、特にキリスト教美術に傾倒していますので、そちらの面からも私にとっては引き込まれやすい作品なのかも知れません。タイトルロールのヴェントリスは新人ですが、これからの活躍が期待できそうです。


隣席は日本人の若い男性とブリュッセル在住という中年の女性でした。若い男性は(珍しいことに)バレエが好きでそのために来られたとか、女性はカレーラスのファンでゲネプロを見せてもらったり、楽屋まで訪れる親しい間柄だそうです。イラク戦争のせいで服装など地味めなウィーンSOでした。


終演は10時を過ぎてました。夜食はテイクアウトしたエビのサラダとビールでした。



参考CD:WAGNER『Parsifal』1971年12月~1972年3月ウィーンにて録音。2002年ショルティ没後5周年記念発売


指揮:サー・ゲオルグ・ショルティ   オーケストラ:ウィーン・フィルハーモニー


コーラス:ウィーン国立劇場合唱団&ウィーン少年合唱団


アンフォルタス:ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ

ティトゥレル:ハンス・ホッター    グルネマンツ:ゴットローブ・フリック

パルジファル:ルネ・コロ   クリングゾール:ゾルタン・ケレメン

クンドリ:クリスタ・ルートヴィッヒ

花の乙女たちにルチア・ポップ、キリテ・カナワほか。


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2017.8.23現在アクセス累計76.281 


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(11)ボローニャ~ローマ~ウィーン [2003春パリからベルリンへの旅]

4/18(金)ボローニャ中央駅11:48→ローマ・テルミニ駅14:30....ローマ空港20:10→ウィーン空港22:00頃


ウィーン/ Schlosshotel Römischer Kaiser 2泊


 2.3日前にボローニャの駅でローマまでの特急指定券を購入したのですが、予定していた10時頃の出発が満席で、11:48発になりました。その時の下見ではローマ行きの3番ホームはレールを越える箇所があり、人が渡っていたのでOKなのかと思いこんでしまいました。ボローニャ駅の最大の難点はエレベーターやエスカレーターがなかったことで、重いトランクを運ぶのが恐怖だったのです。


遅い出発なので、ぎりぎりホテルで休んだのが幸いしたのでしょう。昨夜の湿布も効いて、このあとはなんとか支障なく動けるようになりました。


 さて、ボローニャの駅で例のレールを堂々と渡り終え、ホームに着いた直後ですが、同じく渡っていた自転車を押した若者二人は「ピ!ピ!ピ!」という警笛と同時に厳しく注意されました。私はびっくり!先ほど渡る直前にポリスが立っていたので「ボン・ジョルノ!」と挨拶したらにっこり微笑んでくれたばかりでしたから・・・。日本のおばさんは大目に見てくれたのですね~。でも知らぬこととはいえ恥ずかしく思いました。注意の立札も目に入らず・・・ごめんなさい。


 ローマのテルミネ駅では荷物預かりは大混雑。空港のように荷物の監視装置を1個1個通さなければならなくなったからです。30分以上かかり、日本から予約していたボルゲーゼ美術館の15:00入館には間に合わなくなってしまいました。タクシーでボルゲーゼ美術館へ向かいましたが着いたのは15:30過ぎていてアウト。すぐ予約を申し込みましたが、次回は17:00とのこと。バック類もすべてロッカーに預ける仕組みになっています。先にお財布まで預けてしまったので、飲み物も買えません。のどが渇きもう一度出してもらって、預けなおしたのですが、係員が面倒なのかつっけんどんで、不愉快・・・。


ボルゲーゼ美術館は長年の建物修復のため、絵画部門は他に移されていました。ようやく改修が終わり予約制になったのを機会に訪れることができました。この美術館の名前を知ってから10年以上も経っていました。

待ち時間も長く、疲労もたまっていましたが、ようやくここの傑作揃いのコレクションを見学できました。そして忘れえぬ素晴らしい体験になりました


☆ボルゲーゼ美術館  Galleria Borghese

 
枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼ(1576-1633)のコレクションを母体に、その宮殿を使用して1902年に国有となった美術館です。ルネッサンスからバロック時代を中心とする優れた作品が公開されています。



特に「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と賞賛されたバロック芸術の巨匠ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini 1598-1680)の彫刻の並ぶ展示室は圧巻です。まさに奇跡といっても過言でないほどの見事な彫刻です。略奪されるプロセルピナの涙、ダフネの月桂樹の枝にかわりつつある手の指・・・本物を観る喜びをこれほど実感できたことはありません。


↓「プルートとプロセルピナ」(1621-22)


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↓「アポロとダフネ」(1622-25)


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 絵画部門ではカラヴァッジョを筆頭にラファエッロ、ベッリーニ、D・ドッシ、ティツィアーノなどなど・・・。
カラヴァッジョの何点かは何年か前の東京での展覧会に観ていました。でも「蛇の聖母または馬丁の聖母」は貸し出しされませんでした。ここのコレクションに入るいきさつもあり一番興味がありました。確かに胸をあらわにした聖母は俗っぽいけれど、とても綺麗に描かれ、カラヴァッジョらしい聖と俗の融合が闇に浮かび上がります。


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カルパッチオの「女の肖像Cortigiana」この画家の女性像ってなんとなく中性っぽくて、ヴェネチァの娼婦らしくない・・・かといって素人の女性にも見えないし、不思議な絵です。


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↓ドッソ・ドッシ「魔女キルケまたは魔女メリッサ」1523頃 176×174  アリオストの叙事詩『狂乱のオルランド』にでてくる魔女とすればメリッサでしょう。またドッシはエステ家の宮廷画家だったので、その点でも叙事詩のなかでエステ家の歴史を予言するメリッサと考えられます。


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↓ティツィアーノ「聖愛と俗愛」1514 118×279


主題についてはさまざまな解釈がありますが、一般に左の着衣の女性が世俗のヴィーナス、右の裸の女性が天上のヴィーナスと考えられます。


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 まだまだ観たい気持ちでしたが、再びタクシーでテルミネ駅に戻り、荷物預かり所からスーツケースをピックアップ、空港へ急ぎました。というわけで、 タクシーで美術館を往復しただけのベリーショートなローマ滞在でした。


ボローニャからウィーンまでの直行便がとれなくて、ローマ経由になった訳ですが、憧れのボルゲーゼ美術館を訪問できたのでハッピーでした。ウィーンまでの飛行機はアドレア海を超えて北上。ローマ見物帰りの人たちでしょうか、聴こえるのはドイツ語ばかり・・・。

ウィーンのホテルに着いたのは11時近く。カップうどんを食べて就寝。



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(10)ボローニャ(ポンポーザ&フェッラーラ) [2003春パリからベルリンへの旅]

4/17(木)ボローニャ→フェッラーラ→コディゴーロ(ポンポーザ修道院)→フェッラーラ→ボローニャ


矢張り昨日の疲労が残って、腰の調子が良くありません。今日はポンポーザとフェッラーラを訪れる予定ですが、場合によってはフェッラーラをパスする覚悟で、恐る恐る出かけました。でも、春らしい陽気の朝、フェッラーラまでの列車に乗っているうちに気分も体調も好くなってきました。


フェッラーラからは私鉄ですが、乗り換えの列車がすぐ出発しますので、駅舎に入って切符を買う暇もなく飛び乗りました。終点のコディゴーロまで1時間ほど、早春の緑の少ない平野をガラガラの列車は走りました。で、結局無賃乗車(汗)事前にポンポ-ザ修道院のHPで調べたところ、駅前からミニバスがでるとのことでした。降りてみると駅前には小さなBarが右手に見え、留置所の高い塀が目の前に聳えています。今は使われているかどうかわかりませんが、第二次大戦時、政治犯の牢獄としてバッサーニの小説に登場、そのせいかうらぶれた感じがしています。ここでキョロキョロしていると、ドイツ人のご夫婦が現れて、「ここで待っているとバスが来るらしいよ」と教えてくれました。そして「日本人の女性がひとりでこんな田舎にくるなんて、とても珍しいね~」と驚かれてしまいました。私達3人以外は地元の人たちという10人乗りくらいのミニバスで10分くらい走るとポンポーザの高い鐘楼が見えてきました。バスはおみやげセンターのようなところで止まります。ここを抜けると農道の脇に修道院が建っています。美しい後姿を眺めてから前面に回ります。


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☆ポンポーザ修道院L'ABBAZIA DI POMPOSA 


ポンポーザはポー川の河口近くに位置し、オリジナルは6世紀で、当時のイタリアはランゴバルド族の支配下にありました。ベネディクト派の修道院として祈りと労働の場として最適な土地だったこともあり、有力な修道院長のもとで繁栄。現在の教会は後期ラヴェンナ様式で、8~9世紀の建築です。高くそびえる鐘塔(高さ50m)や西正面のナルテックスは11世紀の増築です。


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↓プラン


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 ファサードに面したチケット売り場で入場券を買ってから見学です。一番素敵だなあと思ったのは外壁の煉瓦の色です。修道院付属のサンタ・マリア聖堂のナルテックスはところどころマジョリカ焼の陶器がはめられ、その煉瓦色を引き立たせています。

↓ファサード

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 聖堂の内部は14世紀のボロ-ニャ派のフレスコ画で飾られています(撮影禁止)。この時はボローニャに宿泊し、国立美術館でボローニャ派の絵画を数多く鑑賞したばかりでした。

地方の特色有る美術をこうして繋げて見られるのは嬉しいこと。修道院のなかの博物館や食堂に描かれたフレスコ画も一見の価値があります。


↓中庭から見た教会


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↓ バスの時間まで教会近くのビストロで軽い昼食をとり、ここの看板ワンコもパチリ。


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 ドイツ人のご夫婦は御主人がイタリア語が堪能なので、いろいろお世話になりました。イタリアが好きで毎年イースター休暇にはあちこちのテルメに滞在して周辺を日帰りで回られるそうです。ドイツ人も温泉好きなのですね。そういう方法もなかなか良いなあ~と羨ましく思いました。


フェッラーラの駅で
お互いにBuon Viaggio!!でお別れ。肥満気味の奥さんは足が弱いので、ご主人が労わりながら、遠ざかっていきました。


腰痛が激しくなってきて腰を曲げた情けない姿でしたが、フェッラーラ派の愛好家としてはどうしてもここを見学したいという気持ちが強く、駅から距離がかなりあるのでタクシーで向かいました。

フェッラーラの町はジョルジョ・バッサー二の「フェラーラ物語」でも描かれ、とても興味のある町です。腰さえ調子良かったら、ゲットーの残る路地を歩いてみたかったのですが、結局はこの美術館だけで退散・・・とても残念でした。おまけに両替を忘れ、手持ちのユーロがぎりぎり。帰りのタクシーや電車賃を考えると、絵葉書をほんの23枚しか買えませんでした。(涙)

 スキファノイア宮の大理石の扉口            



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↓ 月暦の間の見取り図


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 チケット売り場から上階への階段をようやく腰をさすりさすり登りました。月暦の間は神話プラス世俗的主題のフレスコ画が超有名です。フランチェスコ・デル・コッサ、エルコレ・ロベルティほかの15世紀後半のフェッラーラ派の画家たちの手になる一連の作品が北と東の二面の壁画に飾られています。(装飾全体の構想はコズメ・トゥーラによる)12か月の場面のうち3月から9月までが現存。
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暦とはいいながら、ロマネスクのゾディアックとはまったく違う月歴がそこには展開されています。図像学的にも説明は難解を極めています。異教的、占星的な場面と描かれた人物もフェッラーラ派らしい激しさを持っています。うち最もすぐれた東壁の345月はコッサの作と認められています。撮影禁止。


 コッサFrancesco del Cossa(1436頃~77/78)

15世紀フェッラーラ派の画家。トゥーラ、ロベルティと並ぶフェッラーラ派の三大巨匠のひとり。トゥーラのもつ鋭い表現主義的な傾向にピエロ・デッラ・フランチェスカやマンテーニャの影響もあり、主にフェラーラとボローニャで活動。

↓コッサ「3月 ミネルヴァの勝利」


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↓北壁より作者帰属不明「9月ウルカヌスの勝利」


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部屋の真ん中に置かれていたベンチに腰をかけながら、謎めいた主題、表現のフレスコ画を眺めるだけでした。帰りは受付の方に頼むとタクシーを呼んでくれました。


フェッラーラからボローニャまでの列車の座席も固く、ますます腰痛・・・おばあさんスタイルでホテルに戻りました。今夜が最後のボローニャの夕食です。ベットで横になって休息してから近所の適当に選んだレストランで食事…味は普通でした。スーツケースを整理し、腰に湿布薬をベタベタ貼って就寝。




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(9)ボローニャ(パルマ&モデナ) [2003春パリからベルリンへの旅]

4/16(水)


 今日は日帰りでパルマとモデナを初めて訪れました。これらの街にはエミーリア・ロマーニャ・ロマネスクの有名な教会があります。まずはパルマまで列車で1時間。駅からは徒歩で10~15分くらいで、ドゥオーモと洗礼堂を目指しました。


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↓広場に面して建つ大聖堂(ドゥオーモ)と洗礼堂(Wikipediaから拝借)


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☆パルマのドゥオーモ


 ポー川流域に建つ12世紀のロマネスク教会。そのなかでも代表的な建築のひとつです。向かって右に建つ洗礼堂とともにパルマの中世の佇まいが残っています。ファサードは3層に開廊が並び、扉口は玄関柱廊つき、柱を支える獅子が並んでいます。内部の見どころはコレッジョの「聖母被昇天」のクーポラのフレスコ画。また右交差部にアンテラミの有名なレリーフ「キリスト降架」があります。これは目の高さに掲げられているので、良く鑑賞できます。空から天使がユダヤ教の僧の帽子をつっ突いているのが、ユーモアがあり、ガイドの説明を受けていたドイツの観光客から笑いが起きました。

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12世紀から17世紀にいたるパルマの誇る美術に彩られ、見どころ満載。外観は洗礼堂とほぼ同時期に建てられた姿をとどめています。


☆パルマの洗礼堂


 八角形プランのロマネスク=ゴシック様式(1196~1270)。高さ35mのスリムで優雅な佇まいの建物。淡いピンクの石張りの外壁と3つの扉口などに彫られた浮彫。内部も月暦をはじめとする浮彫や13世紀後半に描かれたフレスコ画で埋められた見事な空間。南仏で修業したアンテラミの作品はフランスの影響が大きく、古典的祝祭的な表現が素晴らしい。地理的にもフランスからローマを目指す巡礼路に建っていて、この広場に立つと巡礼、騎士、詩人、芸術家たちの賑やかな往来が想像されました。

↓アンテラミ制作の扉口


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さて、ドゥオーモの広場から駅へ戻る途中に大きな広場、そしてピロッタ宮殿が建っています。


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 豪壮堅固な宮殿のなかには国立考古学博物館もありますが、今回は絵画館だけに絞りました。それというのも、思いがけなくパルマ出身のパルミジャニーノの大規模な展覧会が開催されていたので、これを見るだけで相当な時間が費やされるからです。窓口で特別展も含まれたチケットを買おうとしていたら、イタリア人の若い女性から日本語で声をかけられました。新宿の日本語の教室に何ヶ月か通っていたそうで、今はローマの近代美術館にお勤めされている方でした。美術系のお仲間をリーダーとして連れて来られていました。ですから絵画にも詳しいかたで話せばきりがなくなります。ローマに寄ってください、日本語もっと話したいと名残惜しそうでした。

パルミジャニーノ展に入場する前にファルネーゼ劇場の見学。18世紀初頭に建てられた素晴らしい劇場はとても大事に保存されています。オペラの「リゴレット」の映像に使われているのを見て以来、ここへ来るのが楽しみでした。階段状の観客席を見ているとパバロッティの歌声が聴こえるよう・・・音響もすごく良さそうです。


パルマ国立絵画館Galleria Nazionale


パルミジャニーノ Parmigianino15031540)は初期マ二エリスムの代表的画家。同郷のコレッジョの強い影響を受けますが、青年期にローマに滞在したことでミケランジェロやロッソ・フィオレンティーノからの影響も大きく受けました。引き伸ばされたプロポーションと官能的で唯美的な表現が独特な印象です。晩年はパルマに定住していましたが、錬金術にこり、精神的な危機を深め、37歳という短い生涯を終えました。
本名とは別に
パルマの画家というニックネームのついたほどの画家ですから、ここで開催された大規模な展覧会はその名前にふさわしく、世界中から集められた作品のほか彼に影響を与えた上記の画家たちの傑作も並べられた
ものでした。カタログが腰痛の身にはあまりに重く、購入を断念したのが今思えば非常に残念です。



↓パンフレット「パルミジャニーノとヨーロッパのマニエリスムParmigianino e il manierismo europeo」入場料10€

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↓特別展を入ると2枚の自画像が並んでいます。

若き日の「凸面鏡の自画像」1523-24 直径24.4/ウィーン美術史美術館


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晩年の落ちぶれた面影の「自画像」1540 21×15.5/パルマ国立絵画館


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↓一番美しく目立ったのはナポリからの「若い女性の肖像(アンテア)」1535-37 135×88/ナポリ,カポディモンテ国立美術館

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↓そしてパンフレットにも使われた「若い女性の肖像(トルコの女奴隷)」1530頃 67×53/パルマ国立絵画館


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↓「羊飼いの礼拝」1524-25頃 59×34/ローマ、ドーリア・パンフィーリ美術館蔵


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↓素描室にも多数の素晴らしいドローイング。そのうちの印象的な一枚「autoritratto con cagna gravida妊娠中の犬を持つ自画像」1534頃/大英博物館素描コレクション


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↓コレッジョの「ダナエ」1531頃 161×193/ローマ、ボルゲーゼ美術館蔵


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2時過ぎの遅くなったランチはガイド本にのっていたすぐ近くのグレッピアで。とても気のきく給仕のおじさん、パスタをどれにするか迷ってましたら、半分ずつ食べたらいいよとお勧めのパスタを2皿、とても美味しくてペロリ平らげました。
ロマネスク、美術、そして食の都パルマも楽しみ、なんて幸せなの~と、つぶやきながら、再び列車に乗りモデナへ。


モデナ駅に着いたのは4時を過ぎていました。駅からは1K程度で充分徒歩で行けるところですが、タクシーで大聖堂へ。


☆モデナ大聖堂Cattedrale


 ポー川流域のロマネスク様式の傑作。1099年に着工され13世紀になってから完成。ファサードは3分割され中央の扉口には柱廊式玄関が設えてあり、両側にライオンが柱を支えています。薔薇窓は13世紀のゴシック様式。

↓ファサード側の広場からの写真(Wikipediaから拝借)


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↓ファサードには12世紀の巨匠ヴィリジェルモの「創世記」の浅浮き彫りなどがほどこされています。


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↓ファサードから左に、大聖堂の後陣横には80mのギルランディーナの塔が見えます。


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↓北側面の魚市場の扉口はヴィリジェルモの弟子たちの作品


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↓南側面の現在は封鎖されている扉口


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南側面の大きな広場に面したゴシック様式の王の扉口


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↓後陣外観


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これらの外観を見るだけで時間がたってしまいましたが、凝った内陣のバルコンのしつらえ、テラコッタ像「重湯の聖母」のあるクリプト、そして隣接する石碑博物館も見逃せません。
博物館も閉まる寸前に入館できました。
ここには浮き彫り石板が8枚あり、この旅のあちこちで巡り会った「女と竜」(写真下)も展示されていました。黙示録からの図像というよりエヴァと誘惑の蛇に近いのでしょうか?。


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今日巡ったパルマとモデナもそうですが、フランスからローマへの巡礼の道にはいくつかのロマネスクの聖堂が残っています。。アルプス越えをしてこの道を辿った人々の神への大いなる想い・・・
エミール・マールは著書のなかでこう述べています。
「12世紀の人々はこの大きな旅を心から愛していた。彼等には巡礼こそはキリスト教徒としての人生そのものと思えたのである・・・」

鉄道駅から徒歩でも可能ですが、あいにく持病の腰痛がおきてしまったので、往復タクシーを使いました。現代の神ならぬ美への巡礼者はか弱いです・・・。明日はポンポーザへ行きますが、この腰の不調ではもう気力で行くしかないわ・・・と、ボローニャに戻りました。夕食は途中で持ち帰りのピザとビールで部屋食。








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(8)ボローニャ [2003春パリからベルリンへの旅]

4/15(火)


 朝から快晴の天気に気分は上々、ただ朝晩はやや寒く10~15度くらいでした。ここのホテルのタオルはどういうわけかふかふかのではなく布巾のような布なので、朝のシャワーは余計に寒々・・・。朝食もハムや卵もない「へえ~」というほど質素なもので、苦虫。


☆  ボローニャ国立絵画館 Pinacoteca Nazionale


 ボローニャを訪れたのは3度目でしたが、この美術館は初めて。ホテルから徒歩数分、チェントロからはやや離れていますが小さな広場に面した17世紀の館に、ボローニャの美術の歴史を物語る数々の作品が並んでいます。地元の教会から集められた宗教絵画のなかでは初期の1200年代からゴシックのものに興味を惹かれましたが、ほとんどは名前の知らない画家たちのものでした。


↓トレチェント(1300年代)にボローニャで活躍した画家Pseudo Jacopinoの「聖クリスティーナの殉教」と「聖ロムアルドの夢」

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後期ゴシック派の

↓Michele di Matteo(1409-70)の祭壇画 幼児キリストの赤い珊瑚の首飾りが・・・次の時代のピエロ・デッラ・フランチェスカを予告するものに思えました。


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ルネッサンス部門ではヴィヴァリー二一族、ペルジーノや↓ラファエロ「サンタ・チェチェリア/聖会話」1514 220×136

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バロック部門では

↓グイド・レー二の「嬰児虐殺」が大迫力!母親たちの悲鳴が聞こえそうです。


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グェルチーノ、クレスピなど。さすがにこのセクションは他では見かけない傑作ぞろい。レー二を初めとするボローニャ派の画風がフランスの古典主義に影響を与えたことがうなずけました。



そして、ボローニャ大学の脇道を歩いてテアトロ・コムナーレへ。ファックスの予約表をチケットに取りかえるためでしたが、まだ窓口は空いていません。(15:30~オープン)ボローニャは3回目ですが斜塔にはまだ上っていませんでしたので、今回は頑張ろうと思っていたのですが・・・昨日の空港でのトラブルで疲れ(特に腰が)断念。


次の目的のサント・スティファノ教会群を目指しました。

途中の建物の窓にはいくつか虹色のPACE(平和)の旗が掲げられています。
今はイラク戦争の真っ最中なのだと思うと、こうして遊んでいるのが後ろめたい気がして・・・。そんな気持ちを振払うように晴れた青空、それにボローニャの赤っぽい建物が綺麗で、見とれている内に心が和んできました。
斜塔から数分も歩くと柱廊の並ぶ向こうに、正しくはサント・ステファーノ教会群という、3つの教会が見えてきました。



↓その名もサント・スティファノ通りはポルティコが並ぶ道


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突き当りの小さな広場に教会群が並んで立っています。右はクロチフィソ教会、左はサン・セポルクロ・オ・カルヴァリオ教会(部分)


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↓右はサン・セポルクロ・オ・カルヴァリオ教会(部分)と左がサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ教会


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↓Google Earthからの全体図


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↓プラン


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Planimetria della basilica 1-3. Chiesa del Crocifisso 2. Cripta 4. Basilica del Sepolcro 5. Basilica dei SS. Vitale e Agricola 6. Cortile di Pilato 7. Chiesa della Trinità o del Martyrium con il Presepio più antico 8. Il Chiostro 9-10-11-12. Chiesa della Benda e Museo


 広場に面した1番のクロチフィソ教会から左へ順番に見学しました。

クロチフィソ教会Chiesa del Crocifisso(磔刑の教会)

オリジナルはランゴバルド時代8世紀の創建とのことですが、資料もなくあまり詳しいことはわかりません。広場に面した3教会の中では一番改築が進み、そのため観るべきものなく、通過。


↓信仰を集めているというボローニャ派?のフレスコ画「聖母子像」


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☆サン・セポルクロ・オ・カルヴァリオ教会Basilica del Sepolcro o Calvario(聖墓或いはゴルゴダの丘の教会)(上のプランの4番)


5世紀の創建といわれていますが、11~12世紀に改築されています。聖墓の教会という名にふさわしく、クーポラのあるほぼ八角形の教会。ロマネスクの教会よりも旧い空間に、その醸し出されるオーラに圧倒されました。

↓中央にあるのが聖ペトリウスの墓所(5世紀のボローニャの司教)


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そして最後がサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ教会(上のプランの5番)です。


☆サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ教会 Basilica dei SS. Vitale e Agricola

 古代末から存在していた聖堂の上に建てられロマネスクの教会。三廊式の内部は後陣のアラバスターの小窓からの淡い光、一部床にガラスがはめられ、古代の遺構が見られるようになっています。


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↓簡素なファサードも煉瓦壁に色石がはめ込まれています。


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12世紀のピラトの中庭には近所の人が犬の散歩中。イタリアらしいおおらかさ。日本では考えられない光景に驚きました。


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↓ピラトの中庭から見た聖墓教会


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奥の教会や中庭はさーっと見学しただけで広場に戻り


↓広場に面した家に藤の花?


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↓サン・ドミニコ教会へ向かいましたが、若き頃のミケランジェロが制作した天使たちの礼拝堂はタッチの差で閉められてしまいました。


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昼食はタンブリーニという総菜やのセルフサービスランチ。地元の人にも人気があり1時半ころ行ったのに15分ほど並びました。3皿で10€。クリーム味の茸のパスタが美味でしたが、大盛りされて食べきれませんでした。この後はホテルに戻り、ひたすら昼寝。


オペラに出かける前に自撮り


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ボローニャのテアトロコムナーレは会員が多く、一般にはあまり券が出回らないので、チケットが取れるまではらはらしました。焦って結局2枚ダブって買ってしまいましたが、プラティアのやや後方中央の席に座れました。パルコの安い席は開演前30分に劇場の前で定価ですぐ売れました。

♪~ヘンデル『ジュリオ・チェーザレGIULIO CESARE』@テアトロ・コムナーレ・ディ・ボローニャ


指揮:Rinaldo Alessandrini 演出:Luca Ronconi
Cesare
Daniela Barcellona  Cleopatra:Maria Bayo Cornelia:Sara Mingardo
Sesto:
 Monica Bacelli TolomeoSilvia Tro Santafe Acilla:sergio Foresti

 舞台左手後方にオーケストラが座り、通常のオーケストラ席も舞台に利用。チェンバロなどソロを受け持つ3人は手前のオーケストラボックスで演奏。イタリアの古楽のオケも

ビデオでの映像も写され(エリザベス・テーラーのクレオパトラなど)、衣装も綺麗で古代と現代を巧くミックスした演出でした。

タイトルロールのバルチェッローナはヘンデルには向かないようでしたが、ビジュアル的には大柄な彼女はぴったり。古代ローマの戦車に乗って颯爽と登場する彼女は本当に素敵!!バーヨは初めて聴きましたが、素直に伸びる艶やかな歌声に魅了され、いっぺんに大ファンになりました。ミンガルドとバッチェリ母子の切々とした歌唱にも泣かされました。アレッサンドリーニの指揮と優れたアリアや二重唱、通奏低音の響きなどが印象深く、バロックのオペラにますます惹かれることになった優れた公演でした。

 ↓プログラムとバルチェッローナの稽古スナップの写真

 

img160.jpgボローニャ オペラ.jpg 

 

参考映像:ヘンデル(1685-1759)<エジプトのジュリオ・チェーザレ>

Julius Caesar
ジュリアス・シーザー・・・・・・・ジャネット・ベイカー(ソプ)
クレオ・パトラ・・・・・・・・ヴァレリー・マスターソン(メゾ・ソプ)
コルネリア・・・・・・・・・・・・サラ・ウオーカー(アルト)
セクトウス・・・・・デッラ・ジョーンズ(ソプラノ)
プトレマイオス・・・・・ジェイムス・ボウマン(カウンタ・テナー)
アキラス・・・・・・・・・ジョン・トムリンソン(バリトン)
キューリオ・・・・・・・・・・・・ ジョン・キッチナー
ニレヌス・・・・・・・・・・トム・エムリン・ウィリアムス
ポテイヌス・・・・・・・・・・・ブライアン・ケーシー
イングリッシュ・ナショナル・オペラ管弦楽団・合唱団
指揮:サー・チャールズ・マッケラス
演出:ジョン・コプリー
制作:1984年 ロンドン・ドックランズ・ライムハウス・スタジオ
 96. 9.28 道新文化センタ講座にて      

ホテルまでは数分なのに、オペラのはねたあと1本道を間違えたばかりに、ぐるぐる30分も歩き回り、ようやくホテルに戻れました。夜食はフリーズドライのお粥で済ませました。



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