(4)パリ [2003春パリからベルリンへの旅]
指揮:Vladimir Jurowski 演出:Willy Decker オーケストラ:Opera National de Paris
MADAM LARINA::Alexandrina Miltcheva TATIANA:Olga Guryakova
OLGA:Marina Domachenko FILIPIEVNA:Ilina Tchistiakova EUGENE ONEGUINE:Vladimir Chernov LENSKI:Piotr Beczala LE PRINCE GREMINE:Gleb Nikolsky MONSIEUR TRIQUET:Michel Senechal
高校生のときチャイコフスキーでクラシックに目覚めたわりにあまり熱心ではなかったのですが、このオペラを1度オペラ講座で聴いてから、またチャイコフスキー贔屓になりました。(笑)
このオペラもパリ滞在中に観られるとあって、嬉しくてホクホクしながらバスチーユへ。
指揮のJurowski は初めて聞く指揮者でしたが、見事な演奏でした。野生的な風貌も素敵な方です。すでにグラインドボーン音楽祭でも振っていて、これからの活躍を大いに期待されます。
ロシアの哀調を帯びた美しいメロディ、流麗なダンス曲など息つく暇もないドラマティックな展開に、心奪われました。
歌手陣はタイトルロールのキーンリーサイドがキャンセル(またか~涙)でチェルノフ。やや弱かったけれど健闘していましたし、ほかは大好きなGuryakovaをはじめ、ほぼ完璧といっていい演奏。LENSKIの Beczalaはデビューしたばかりの期待のテノール。死を前にしたアリア「クダ クダ~」は絶品でした。
演出も場面展開がスムーズで、感情移入しやすく、衣装も洗練されていて、うっとり。
↓プログラム
参考映像:チャイコフスキー『エフゲニー・オネーギン』 収録:1994年7月 グラインドボーン・フェスティバル・オペラ
参考CD:TCHAIKOVSKY『EUGENE ONEGIN』1993年収録 指揮:SEMYON BYCHKOV オーケストラ:パリ管弦楽団 Tatyana:Nuccia Focile Olga:Olga Borodina Onegin:Dmitri Hvorostovsky Lensky:Neil Shicoff Prince Gremin:Alexander Anisimov
隣席のシニアの女性はロンドンからのDomachenkoの追っかけの方。ロンドンはチケットが高価なので、パリはいいわ~とのこと。ロンドンにはいつ行けるかしら・・・。 |
Kさんとは4人置いて同列の席になり、休憩も一緒に楽しくおしゃべり。終演後もバスティーユ広場に近い有名店Bofignerで生カキや豚の足など美味しくいただいて、またもや1時過ぎまで夜遊び。この夜は週末のうえイースター休暇に入ったところで夜中でも人通りも多く、危ない感じも全くなくのんびり宿に戻りました。
(3)パリ [2003春パリからベルリンへの旅]
指揮:Bruno Campanella 演出:Francesca Zambello オーケストラ:Opera National de Paris
MATHILDE:Hasmik Papian JEMMY:Gaele le Roy HEDWIGE:Nora Gubisch
ARNORDO:Janez Lotric UN PECHEUR:Mathias Zachariassen RODOLPHE:Valerij Serkin
GULLAUME TELL:Thomas Hampsom WALTER:Wojtek Smilek MELCHAL:Alain Vernhes
このときのBさんの現地新聞情報によりますと、パリでの評判はあまり良くなかったようです。白木の小屋や木々がイケアの家具のようだとか・・・確かに。しかし、ハンプソンは立派との評でにっこり。ハンプソンは最終公演ということもあって頑張って歌いました。
大好きな前奏曲も素晴らしい演奏でわくわくしながら観ていましたら、私の数列後方で「オーレ!オーレ!」の野次。次第にその声も大きくなり、周りが静止しても聞き入れません。それで小休止のとき、数人の係員に連れ出されました。周りは良かったと拍手(私も)
わざわざ遠くからやってきて、喜んで見ている私にはまったく理解不能。メーワク男め!
4年ぶりのNora Gubischは安定した歌唱。Hasmik PapianとJanez Lotricもまあまあ。マチルデとアーノルド、それぞれのアリアは大好きですが、引き込まれるまでの魅力はありませんで、残念。
(2)パリ(ポワチエ&ショゥヴィニー) [2003春パリからベルリンへの旅]
初めてTGVの予約をネットでしてきたので駅の自動販売機で引き取るのですが、簡単なことでミスをし、ギリギリでホームへ。飛び乗った列車はまもなく発車。やれやれ・・・しかし、次ぎはポアティエというアナウンスに頭が一瞬真っ白に・・・同じホームの左右の列車を間違えたのです。ポワティエといえば数年前にツアーで訪れ、サンサヴァンとの間のショウヴィニィには寄らなかったちょっと口惜しい想い出がありました。だから立ち直りは我ながら速かったのです。(自慢にもなりませんが)
パリ・モンパルナス12:15→ポワチエ13:42
ラヴァルダンに行かれなかったはホントに残念でしたが、またの機会もあるでしょうと気持ちを切り替えました。車掌さんが切符拝見に来たので、ヴァンドームより1時間も多く乗るし差額を払うと申し出たのですが、こんなご時勢に(イラク戦争が始まったばかり)日本のおばさんの一人旅を感心に?思ったのか(計算が面倒だったのか?)サービスしてくれました。
乗車前に駅で買ったサーモンとクリーム・チーズの黒パンサンドがこの日のランチ。
ポワチエに着いたのはすでに午後2時近くになっていました。とりあえず駅前からタクシーでノートルダム・ラ・グランド教会へ。この広場の(i)でショウヴィニィ行きのバスの時刻を確認。係りの女性は「今夜はショウヴィニィに泊まるの?」、私「パリに帰る」と答えたら目を丸くしていました。日本のおばさんは元気なの~。4時半ごろ駅前を出発すると、7時半すぎに帰着のバスがあり「ホッ!!」。
ショウヴィニィへ行く前にポワチェの3カ所の聖堂を見学できました。
街角で偶然見つけた小教会。ここも古い歴史があります。ポワティエの名刹聖チレール教会の参事会教会としてカロリング時代に創立。11世紀にはベネディクト派の修道院になりました。16世紀の改築を経て、19世紀には道路を広げるため塔を壊すという案があったのですが、多くの市民の反対で生き延びたそうです。。目抜き通りをカーブする角地に建ち、古都ポワチエのランドマーク的存在となっています。
時間も限られていますので、サン・ジャン礼拝堂や美術館は見学できず、その近くのゴシックの大聖堂へ向かいました。
↓壮大なカテドラル。薔薇窓や扉口の彫刻がさすがに美しい。
さてなんとかポワティエの駅前広場からバスに乗り込み、40分ほどでショウヴィニィの丘の麓の街に到着。
帰りのバスの乗り場と時刻も再確認。2時間弱の見学時間があることが判明。これならそう慌てなくても済みそうです。
バス停のある広場の薬局と役場の間に「中世の街へ」の看板があり、
↓まもなく丘の上のサン・ピエール教会が見えてきます
道案内では遠回り?だったかもですが、それに沿って静かな住宅街の石畳を歩いて丘を登って行きました。この日は15度くらいの気温でしたが、村にはこぶし、桜のようなピンクの花、リラ、藤の花が咲き乱れていました。
結構傾斜のきつい坂道を含めて15分くらいで丘のうえの旧市街に到着。午後も遅いので出会った観光客も数えるほど。城壁がみえてその一部残ったような城跡も見学できるようになっていたのですが、パスして隣りのサン・ピエール教会へ。
ところが内部はあいにく教会は内陣の修復中。でも2人くらいの工事の人も図々しいおばさんひとりを黙認してくれて、遠慮がちながら無事見学できました。さすがに写真は1枚しか撮れませんでしたが、工事中立ち入り禁止の貼り紙もあったのに、有難いことでした。
☆サン・ピエール教会Saint piere di Chauvigny
12世紀の後半の建設とみられますが、身廊部分は華やかに白地に赤く模様が塗装されているのがユニーク。それ以上に驚かされるのは後陣の周歩廊に沿った柱頭彫刻。怪奇な幻想の世界がロマネスク。
↓プラン
、
↓周歩廊の柱頭彫刻の配列
↓かの有名な白と錆朱色に彩色された柱頭彫刻が並んでいて、いかにもロマネスクな怪物が舌を出したりしているます。
↓ヨハネの黙示録の「バビロンの妖婦」(教会のHPから拝借)は盃ととっくりを手にして踊っているようにも見えます。
とっくりを持つという描写は黙示録にはないので、彫刻家の想像で加えられたものと考えられます。天井付近はシートに覆われていましたし、足場も組まれ不安定で、全体は良く確認できなかったのですが、後陣の柱頭群は低い目線にあり観察しやすかったのは良かったです。
↓北側面
↓猫たち
サン・サヴァン、ポアティエとここは距離的にあまり離れていないのですが、それぞれが個性的で魅力な彫刻や壁画で彩られています。ロマネスク詣でには欠かせないゾーン。教会の前は小さな展望台になっていて、素晴らしい眺め。
下の街に降りるとすでに薄暗く夕方です。バス停近くに建っている教会は詳しくは不明ですが一部ロマネスク様式です。
広場に面したパン屋さん(ケーキもつくっている)も兼ねたサロン・ド・テで、杏のパイ(美味しい!!)を食べて休憩。定刻より早く着いたバスに慌てて乗り、帰りはノンストップでポワティエヘ。この路線バスはサン・サヴァンへも行く便があるので、ポワチエから両教会を一日観光で、個人でもゆっくり訪れることができると思います。(現在はバスの便も限られるようですが)
ポアチエ19:51→パリ・モンパルナス21:35
TGVで戻りましたが、パリのモンパルナス駅に到着したのは夜10時近く、この夜は特に冷え込んだパリは零度まで下がり、寒くて慌ててタクシーでマレのホテルに帰りました。ホテルは暖房がよく効いていて、寒がりの私には大助かり。まだ旅の2日目ですが長い一日でした。
(1)パリへ [2003春パリからベルリンへの旅]
(14&15)トリノ&帰国 [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
(13)トリノ(アスティ) [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
指揮:Jefrey Tate 演出:Jonathan Miller オーケストラ:トリノ・テアトロ・レッジョ管弦楽団
La contessa Madeleine:Elizabeth Whitehouse Il conte:Olaf Bar Flamand:Jonas Kaufmann
Olivier:Claudio Otelli Clairon:Doris Soffel La Roche:Franz Hawlata
休憩なしの1幕物の2時間余り、詩人と音楽家の恋のさや当てに名を借りた、オペラへの愛情告白ともいえる作品。歌手もそれぞれ水準が高かったのですが、予習のCDで聴いたClaironがオッターだったので、この役は不満。開幕前にハウラータの調子が悪いとのアナウンスがあったが、低音が少し響かないかな?くらいで、演技も巧いしで問題なし。特筆すべきはこのとき初めて聴いたテノールのカウフマン、凄い新人が現れた「見っけ!!」と興奮状態。(当時は色白細身のハンサム)。ただ最後の合唱は声が埋没してしまう程の線の細さで懸念が残りましたが。
情熱的なイタリア歌劇とはかけ離れた地味な作品なので、途中席を立つ観客が多くて驚きました。しかし、一方では文化の薫り高いトリノの名に恥じない熱心な観客も多数で、安堵。テイトの指揮も素晴らしくR・シュトラウスの曲想の奥深さを感じさせてくれるものでした。
(12)バーリ~トリノ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
(11)バーリ(アルタムーラ&マテーラ) [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
迫持ちアーチを持つ薔薇窓も綺麗。内部はミサの後の個々のお参りの最中。街の信仰篤い人々の交流が盛んなことが伺えました。
と感じました。タンパンの彫刻はなくなってしまって(最初からなかったのかも?)残念でしたが、大聖堂に較べるとよりロマネスクの素朴さが残っていて好ましく感じました。
ランチはこの近くの小道を入ったレストランで。しょぼい外観ですが、地元の方たちについて入店。秋の旬ポルチーニ茸の焼いたお皿は。。。あ~思い出すだけでヨダレがでそうです。プーリアの秋の味覚は最高です~!
早めにバス停へいきましたが、定刻より10分ほど早くやってきてガラガラのバス。私だけ乗せたらすぐ出発してしまって・・・そんなんでイイのぉ~。
苦労してここまで来た私には輝いて見え、実際、午後の西日が当たっていたので神々しい眺めでした。
この地方の名産アイボリー色の石灰石で建てられた柔らかな色彩の教会は、厳しい風土に暮らす人々にはほっとするような慰めになったことでしょう。内部は閉まっていて見学できませんでした。
↓ドゥオーモ前の広場からの眺め
(10)アルベロベッロ~バーリ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
明日は日曜なので今日のうちにバスの切符は買ったほうが良いというので、向かいのアップロカーネ線の駅で購入。乗り場は駅の向こう側というので直ぐわかると思ったのですが….。
↓バーリの街を散策。バーリのオペラ劇場 建物の赤紫色がいかにも南イタリア。
夕食はバーリに着いた時に入ったレストランで。ここはピッツエリアも兼ねていています。汗だくで竈で焼く職人さん。行列もでき大人気。ピッツアと小壜ビールのテイクアウト。〆て6ユーロと安くて、さすが南イタリア本場の味。ワンホール平らげました!★★★
↓二度目のお部屋はWで広く、裏庭に面して静かでした。
明日はプーリア・ロマネスク巡りの最後の日です。マテーラは正確にはプーリア地方ではないのですが、バーリまできて寄らないわけにはいきません。交通手段がいまいち確実性に欠けるのが心配ですが・・・。
(9)ターラント~マルティナ・フランカ~アルベロベッロ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
この近辺のSUD-EST線はとても複雑、レセプションの女性が親切に時間とバスの乗り場を電話で確認してくれて助かりました。朝はまず、旧市街の散策にでかけました。緊張しながら旧市街に足を踏み入れ、歩いて行きます。今まで綺麗で趣のある旧市街に慣れていたので、そのあまりに古い汚い様子にオドオド・・・トイレ臭いと思いながら、歩を進めていくと、別に危険な感じはなく普通の下町です。パン屋さんや食糧店が並んでいて、乳母車を押した若いママの姿も・・・徐々に安心感が広がります。暗いというか黒く汚れた建物の間から昨日も立寄ったドゥオーモが見えてきました。
☆ターラントのドゥオーモ Duomo di Taranto
11世紀末に聖カタルドがこの教会に祀られことで、教会の建設が始まりました。ファサードは上の写真のようなバロック様式になりましたが、側面は当初のロマネスク様式の痕跡をとどめています。
↓後陣脇の鐘楼がみえます。
↓ロマネスク当時の面影の残る扉口(塞がれている)
↓その上の壁に聖カタルド?の浮彫
↓プランとクリプトは参考書からスキャンしました
奥の路地を進んで行きますと、ロマネスク様式の薔薇窓(13世紀)を持つサン・ドメニコ・マッジョーレ教会(フリードリッヒ2世の命で13世紀に建立)
そして海にむかって建つ古い館に、国立博物館(臨時)のコレクションを一部展示していました。ターラントは紀元前8世紀後半にラコーニア人によって建設されたギリシアの植民都市。古代のアプーリア地方の中心都市として繁栄。紀元前272年にローマに敗れ美術品も多く持ち去られましたが、博物館にはターラントでの出土品及びマグナ・グラエキアの美術品を収蔵。先史時代、ギリシア、ローマ、それにシリアで見たオリエント風の彫刻。ギリシアの壷に天使が描かれていて興味をひかれました。
展示品が小品が多かったのは臨時の会場だったからでしょうか。
↓「アフロディーテの誕生」テラコッタ 紀元前4世紀終わり~3世紀(絵葉書)
↓「アウグストゥス像」大理石 1世紀(絵葉書)
ホテルに戻りチェックアウト。タクシーでバスセンターへ。ところがマルティナ.フランカ行きは何番の乗り場かわかりません。プレハブの事務所で切符を売るお兄さんが親切に遅れてきたバスを気にして時々外に出て見張っててくれて、私に安心するようにと言ってくれます。なんと優しい!!感激しました。20分程遅れてきたバスでマルティナ.フランカの終点まで行きました。インフォーメイションのあるところを聞くと、通り過ぎたらしい。皆が降りた後私だけ乗せて戻ってくれて親切です。ここでも感動!!
バスを降りたら雨が強くなり、ようやく(i)に駆け込みました。昼休みのまえに荷物を受取らなければならないので、1時間弱しか時間がないので、慌てて雨のなか街の散策。ここは8月にマイナーなオペラを上演する音楽祭で有名。またここに来ることはあるのでしょうか?
↓雨のマルティナ・フランカ
荷物を引き取ってもまだ雨がやみません。タクシー乗り場でしばらく待ったのですが来ないので、小公園の脇に立つホテルへ行き、フロントでタクシーを呼んでもらいました。初めは泊まり客でもないし、面倒そうだったのですが、チップをあげてアルベロベッロまでというとすぐ呼んでくれました。
↓時間が合えば寄りたかったロコロトンド
アルベルベッロまで30分くらい走り35ユーロ。町の中央の広場で降ろされましたが、トゥルッリデアのフロント棟まではすぐでした。お昼休みだったので、近くのレストランでランチ。結構美味しいし、おかみさんも愛想が良い。食事を済ませて、トゥルッリデアのレセプション棟でチェック・イン。御主人が車で私の泊まる家まで送ってくれたのですが(徒歩で10~15分くらい)、2食つきなので夜レストランから戻るのは怖いというと、絶対大丈夫とのこと。確かにとても治安の良い街でした。提携のレストランは日本人のツアーも入っていて繁昌していました。菜の花のオレッキエッテ、ここのが一番美味しかったです★★★。ワインも含まれた2食付きはリーズナブルでした。隣のテーブルの4人はマルティナ・フランカでも出会ったドイツからの二組の夫婦の観光客で、楽しそう~。私は「孤独のプーリア・グルメ」(笑)夜道は暗いから転ばないように気を付けてねとレストランの優しいお兄さんに見送られて、宿のトゥルッリへ。人通りもない迷路のようなトゥルッリの並んだ道・・・不思議な夢を見ているような気分でした。
この夜は寒く、小さな電気ストーブだけなのでなかなか暖まりません。カーディガン、靴下に睡眠導入剤の助けも借りて、ようやく眠りにつきました。
↓トゥルッリの部屋 ベットはW1,S1の2台なので3人は宿泊できる広さ(バスタブなし、シャワーのみ)