(19、20)パリ(サン・ドニ)&帰国 [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
7/9(土)パリCDG19:05~
帰国日ですが、飛行機が夕方出発なので時間はたっぷりあります。かねてから狙っていた北郊外のサン・ドニへ。パリのメトロは他も乗りましたが、このラインM13は初めてでした。雰囲気が矢張り違い、物騒なのかな?とやや緊張。それでもメトロ駅Basilique de Saint -Denisから地上に出るとそのような危惧もなく、明るい夏の日差しのなか賑やかです。お目当てのサン・ドニ大聖堂も徒歩ですぐ到達できました。
☆サン・ドニ大聖堂Saint Denis
サン・ドニという聖人のことを知ったのは、初めてクリュニー博物館に行った時のことでした。自分の首を携えた聖人の像がいくつも並んでいたのです。他の国や都市では見かけなかったので・・・。パリの守護聖人にもなったサン・ドニの伝説ではモンマルトルの丘で斬首された聖ドニが自分の首を持ってきた地に最初の聖堂を建てたそうです(4世紀末)。7世紀にメロヴィング朝最後の王ダゴベールⅠ世が教会堂を建立。その後はカロリング朝での盛んな活動を経て、1122年から院長になったシュジェールの優れた行政手腕により聖堂の大改修が行われました。それが最初の「ゴシック建築」になったのです。聖堂の建築史のなかでは最も重要な位置を占めています。
↓大聖堂の広場には花が飾られて
↓ 午前中の西正面ファサードは逆光なのです。
↓西正面中央扉口のタンパン
↓内部のステンドグラス
↓内陣
↓西方向
↓薔薇窓
サン・ドニの中世芸術は各地に広がりました。シャルトル、エタンプ、ル・マン、アンジェの各扉口の彫刻をはじめステンド・グラス、金属工芸、尖塔アーチなど。シュジュールの練り上げた芸術が12世紀の図像の主題にもたらした影響は計り知れません。
↓クリプト
↓この聖堂で一番古い部分は暗くてよく見えませんが、お棺が並んでいました。
この聖堂はフランス王家の墓所としても有名で、墓像彫刻が数多く収められています。クリプトよリこちらのほうが観光の目玉らしいです。
さて、いったん外に出て、ミュゼを探します。道路わきの看板に従ったはずですが、途中で迷いました。駅からちょっと離れただけで、中東系の人たちや店の並ぶ界隈になってしまいます。私のつたないフランス語も英語も通じない?というより逃げられてしまいます。そこへ小学生高学年くらいの長い衣の少年が歩いてきました。そして道案内をしてくれて、ミュゼにたどり着くことができました。「ありがとう~!!」
☆サン・ドニ美術と歴史博物館 (Musée d'Art et d'Histoire Paul Eluard de Saint-Denis)
↓正面
博物館は旧カルメル会の修道院跡ですが正面玄関は古代風です。
↓展示室にはサン・ドニ聖堂旧蔵のものも含めてロマネスクの彫刻が並んでいました。
↓中庭
メトロの駅までは徒歩約10分ほどで戻りました。駅周辺はモダンに再開発されたそうで、テラス席で遅くなったランチを済ませパリのホテルに戻りました。
そうそう、朝のチェックアウトの時エレベーターが故障していて、階段の上で立ち往生をしていると、大柄な黒人の女性(メイドさん)が運よく現れて、私の30K近い(当時はハードカバー)スーツケースを頭にのせて軽々運んでくれました。レセプションのお兄さんがパリで開催中の浮世絵の展覧会に行ったそうで、北斎や広重は素晴らしい!!とべた褒め。ヨーロッパの中でもフランスが一番日本の美術に詳しいし、傾倒していると実感しました。
預けていた荷物を受け取りCDG空港へ。JAL便19:05~
7/10(日)~成田13:55/18:30~札幌千歳20:05
機内で少し具合が悪くなりました。後から気が付いたのですが、飛行機に乗る前にビールやコーラなどを飲むと
胃の調子がおかしくなるのです。それから気を付けるようになりました。
そして、夜10時近くに札幌の我が家に舞い戻りました。
↓サルデーニャのお土産はからすみ(ボッタルガ)。家人に大好評で、娘はまた「サルデーニャに行ってきて!」って。サラダはウイキョウの代わりにセロリ。レモンとオリーブオイルだけで美味しい!
サルデーニャは治安が悪いと聞いていたのですが、イタリア本土とはまた違う素朴な人たちや島に点在するロマネスクの聖堂たち・・・独りで行けた!行ってって良かった!!
おまけに帰途ミラノ~ベローナ~ミュンヘン~パリとオペラも8演目制覇して大満足な旅でした。(終)
後記:15年も前の旅行記なので、記憶に残っていないのは仕方ないのですが、写真やスケジュール表のおかげでなんとか、記憶を振り絞って終わらせることができました。
これでパート2は完結しましたので、アクセスチェック 今日: 50 / 累計: 145,813でした。