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2001年夏の旅(14&15)フィレンツェ&帰国 [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

8/9(木)

 帰国便が夕方なので、それまで念願のバルジェッロ国立博物館とランチを挟んでサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の見学をしました。

☆バルジェッロ国立博物館Museo Nazionale Bargello

↓厳めしい館の入り口から中庭へ。 壁には歴代の行政長官の紋章が飾られて、中世の面影が色濃く残っています。カメラ禁止なので、作品はすべてこの時購入したポストカードでアップします。

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 1階はミケランジェロの部屋ですが、一番先に目にとまったのは

↓チェッリーニの「ナルキッソス」(1548~65)でした。体を少しくねらせて池に映る自分の姿に見惚れている美少年。

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↓ミケランジェロは「バッカス」をはじめ、「トンドの聖母子」や「ブルータス」など。上の蠱惑的なチェッリーニを観た後ではミケランジェロといえども分が悪かったようで、あまり印象に残っていません。

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 そして2階には大好きなドナッテルロの「ダヴィデ」をはじめ、「聖ジョルジョ」「受胎告知」などがずらり並んでいて壮観でした。

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3階にはデッラ・ロッピア親子やヴェロッキオの「ダヴィデ」などありましたが、足は自然に再び2階へ戻り、フィレンツェの華のような帽子をかぶった美少年のダヴィデにため息・・・見惚れました。

 ランチはSpadaというカジュアルな食堂で済ませ、フィレンツェ最後の観光はホテルの近くのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会へ。

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サンタ・マリア・ノヴェッラ教会S.Maria Noverra


 フィレンツェのなかでも名高い教会です。同名の広場に面して美しいファサードを見せているゴシック建築(13世紀着手~14世紀に完成)で、ファサードは15世紀に改築されています。初めて訪れた1991年はまだ入場は無料で、聖堂としての雰囲気はありましたが、3度目の今回はすっかり変わって、見学者も多く有料になり、教会堂というより美術館になってしまいました。今回は主祭壇の裏側にある礼拝堂で、ドメニコ・ギルランダイオとその工房による連作壁画をじっくり鑑賞しました。

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 まだ出発まで時間があり、隣接の回廊へ。ウッチェロの「創世記」のフレスコ画があるのです。1998年に訪れて以来の再訪。1966年のアルノ川の氾濫で被害を受け、1983年には修復が終わりましたが、下部に痕跡が残っています。

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この回廊の奥にもうひとつ回廊があり、開いていましたので行ってみました。古い井戸と高い糸杉が立っている人けのない回廊でした。ここで汗をぬぐい、静かなひとときを過ごしました。

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↓サンタ・マリア・ノヴェッラ広場のタベルナコロと呼ばれる祠。フィレンツェの街角にはこういう聖母子や天使の描かれた祠がいくつかあります。ペストが流行った時に信仰を集めたそうです。

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 心ひそかにタベルナコロに「またフィレンツェに来れますように」と祈り、ホテルに戻りました。スーツケースをピックアップしてタクシーで空港へ。


フィレンツェ(AZ1710〜ミラノ1805/2115〜(JALのシステムエラーのため出発が4時間遅れとなり、結局6時間以上もミラノの空港で過ごす羽目に・・・)

8/10(金)

 真夜中になってようやく離陸したものの、到着したのは同日夜になり、札幌行の最終便には間に合いませんでした。これからがまた大変な目に合いました。当日のホテルと翌日の航空券を決めるのに、長蛇の列です。1時間並んでようやく羽田の東急ホテルに向かうバスに乗ったのは、すでに真夜中近くでした。それでもホテルでは特別にレストランを開けてくれたので、なんとか夜食をいただけました。

8/11(土)早朝の便で札幌にたどり着きました。旅の間は元気でしたが、さすがにこの時の帰国便のトラブルには参りました。まだ50代後半でしたから、何とか切り抜けることができましたが・・・。この時のJALのシステムトラブルはかなり広範囲だったようです。

http://www.nikkeibp.co.jp/archives/137/137326.html



 6年前に義父が亡くなり、隣家に独りで住んでいた義母も衰えが顕著になったため、しばらくは旅もあきらめなければと思っていたのですが、この夏の旅の後の師走に急逝しました。もろもろの後片づけが終わり、気が付くともう2002年の春・・・。(終)

 

    

 

       

       


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2001年夏の旅(13)マチェラータ~フィレンツェ [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

8/8(水)

 今日はフィレンツェに戻る日です楽しかったマチェラータ夏の音楽祭でした。またそれ以上に充実のカルロ・クリヴェッリ巡りでした。

 最後にここマチェラータに残っているカルロの作品を観るために荷物を部屋に残し、徒歩5分くらいの市立絵画館へ。Museoの看板も目立たない建物で、恐る恐る呼び鈴を押しますと、現れた係員が銃を装備したガードマンだったので、ちょっとものものしい雰囲気でした。博物館の方も観てくださいと言ってそちらに先に案内されたので、時間もないしで焦りました。博物館では何を観たのか、良く覚えていないのですが、マチェラータの昔の住居や家具などの民芸が展示されていたような・・・。

☆カルロ・クリヴェッリ巡り@マチェラータ

マチェラータ市立絵画館 Pinacoteca civica

↓「聖母子」1470製作 (59×40) 

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 アスコリの「聖母子」と同じく額なしの展示。こちらは白のパネルに重ねられていましたので、清潔感が際立っています。アスコリよりも抑えた色調が古く素朴な感じが漂い、聖母の物憂げな表情も好ましい作品です。祭壇画の一部ではない単独で描かれた「聖母子」と思いますが、マルケに定住してから比較的早い時期に(マッサ・フェルマーナの多翼祭壇画の後)描かれたようです。 

 マルケのクリヴェッリ巡りもこれで終了。ホテルに戻りオペラ仲間たちとタクシーでアンコーナの駅へ。 

アンコーナ1217→ボローニァ1428/14:48→フィレンツェ15:47

 列車は来た時ほどではないのですが、かなり混雑してましたので、ミラノに戻るグループの方たちとはここでお別れして、ボローニァ経由でフィレンツェに戻りました。コンパートメントの車内は席がなく、通路にある補助いすに腰掛けてましたが、横に座ったバーリ在住の若い女性はこれからバカンスでサルデーニャに行くそうで、とても嬉しそう。キラキラ輝く瞳と胸のボインがまぶしい方でした。バーリもサルデーニャも憧れの地ですから。。。でも彼女はバーリは田舎でつまらないって(笑)補助いすは少し腰にきましたが、気もまぎれて楽しい列車の旅でした。周りに座った若い男性たちの彼女を観る目つきのすごいこと!日本人と違ってあからさま(笑)

  ボローニア空港からカリアリに飛ぶという彼女と列車を降り、私は乗り換えなのでホームでお別れしました。フィレンツェまでの列車は空いていて、ほっとすると急に空腹を覚え、食堂車でサンドイッチのランチ。フィレンツェのホテルに戻りました。以前とは違う部屋でした。

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 この夜が今回の旅の最後の夜になりました。ホテルおすすめのレストラン

Alla Grigliaで(3皿)の夕食。↓一応はひとりでもワンピースに着替えて

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 食後はホテルの屋上で、フィレンツェの夜景を楽しみました。

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 夕方散策した時に美術専門の本屋さんで見つけたカラヴァッジョのカタログ(ローマで開催中の特別展のもの)表紙の「聖家族」は個人コレクションとのことで、ローマの展覧会に行かなければ見られないと思っていましたが・・・何年か後にNYのメトロポリタン美術館で遭遇~!貸し出されたのか売却したのかは不明。

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2001年夏の旅(12)マチェラータ(アスコリ・ピチェーノ) [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

8/7(火)

 今回の旅は夏のマチェラータ音楽祭がメインでしたが、それと同時にマルケ地方に点在するカルロ・クリヴェッリの名画を観て歩くことも大層楽しみなことでした。幸運なことにNETで知り合いになったカルロが好きな先輩や友人たちに恵まれ、旅の前に多くの情報を得ることができました。

 車がないと行かれない辺鄙な町や村にある祭壇画はタクシーで回らなければなりません。独りでのクリヴェッリ・ツアーも覚悟していたのですが、3名のオペラ仲間たちが同行してくれることになり、本当にありがたく思いました。

 朝食を済ませ、タクシーを予約していた9時少し前にレセプションへ。これから訪れる教会の管理人に電話予約をしてもらいました。すでに来ていたタクシーの運転手さんも到着の予定時間をアドバイスしてくれて、スムーズでした。そして張り切って出発ゴー。

↓ルートマップ(マチェラータ9:00→マッサ・フェルマーナ10:00/10:30→モンテ・サン・マルティーノ11:00/11:30→アスコリ・ピチェーノ12:00/13:00→アドレア沿岸経由→マチェラータ14:30

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 まずはマチェラータから南へ1時間ほどのマッサ・フェルマーナへ。丘の上の小さな村の駐車場にはすでに若い女性のドットレッサ(クリヴェッリの研究員?)さんが待っていてくれて、祭壇画のあるサン・シルヴェストロ教会とPinacoteca Comunaleに案内して下さって、そのうえポスターやパンフレットも沢山いただきました。日本に帰ったら宣伝させていただきます~。ポスターは大切に持ち帰りました。

↓マッサ・フェルマーナのPinacoteca Comunale地区絵画館(Google earthより)。左の旗のある建物です。この道の先にサン・シルヴェストロ教会があります。

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☆カルロ・クリヴェッリ巡り@マッサ・フェルマーナ

サン・シルヴェストロ教会(マッサ・フェルマーナ)。写真はNETから拝借、このときはやはり舞い上がっていたのでしょう。教会の外観なども全く見ることもなく、カルロの祭壇画にまっしぐら(笑)でした。

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↓「マッサ・フェルマーナ多翼祭壇画」(玉座の聖母子と聖人たち)1468製作 180×128  ダルマチアのザダールからイタリアに戻ったカルロが初めて署名と1468の年記を残しています。写真撮影は禁止でした。

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 中央に聖母子、左右に4人の聖人たち(左から洗礼者ヨハネ、聖ラウランティウス、聖シルウェステル、聖フランチェスコ)、上部にピエタと受胎告知。プレデッラはキリストの生涯の4場面。このなかでお気に入りは「受胎告知」、戸惑った表情のマリアと浮遊してる天使がキュート!マリアの部屋の左奥の年輩の男性はヨセフでしょうか?背中に哀愁が漂っています・・・。

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 熱心に英語で説明してくださった若い女性(名前忘れ)と名残惜しくお別れして、次の目的地を目指しました。30分ほど走りモンテ・サン・マルティーノに到着。モンテはイタリア語で山ですから、その名の通り標高600M近く(札幌の藻岩山くらい)の山の上に築かれた城壁跡に囲まれた町です。(写真はパンフレットより)

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 頂上付近のサン・マルティーノ教会に直行。教会は町はずれに建ち、外観は素朴な石積み、何の装飾も見当たりません。こんな辺鄙なところに、カルロの多翼祭壇画が?と思う間もなく現れた多分ボランティアと思われる若い男性が鍵を開け、英語で案内しくれました。カメラ禁止。

☆カルロ・クリヴェッリ巡り@モンテ・サン・マルティーノ

サン・マルティーノ教会(モンテ・サン・マルティーノ) 写真はGoogle earthより)

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↓「モンテ・サン・マルティーノ多翼祭壇画」1476-85頃製作 

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 先に観たマッサ・フェルマーナの祭壇画からほぼ10年以上の歳月が流れた後に製作されたモンテ・サン・マルティーの祭壇画は比べると明確にゴシック的な装飾は過剰なほどです。豪華な衣装に身を包み、しかしそれに負けない強い輪郭線には驚きました。アレクサンドリアの聖カタリナをはじめ聖人たちの容貌や佇まいは華やかな個性にあふれています。

↓左「アレクサンドリアの聖カタリナ」、右「聖マルティーノ」

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 実はこの作品はカルロの弟のヴィットーレとの共作です。中央の「ピエタ」と「聖母子」下段右の聖人たちをヴィットーレが担当し、他の聖人たちをカルロが描いたのでしょうか?ヴィットーレの画風は兄カルロに比べると甘くソフトな趣があり、兄の陰に隠れながらも、それなりに人気が高い画家です。この時も同行の友人たちは激しい個性を見せるカルロより、ヴィットーレの優しさに評価が高かったです。

↓ヴィットーレ・クリヴェッリ「モンテ・サン・マルティーノの多翼祭壇画」1489

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 そして、アスコリ・ピチェーノへ。ところがアスコリの街へ入る道を間違えたタクシーの運転手さん、そしてぎりぎりの時間で計算した私のせこさもあって、町のドゥオーモに着いたのは昼休みにはいる5分前。全速力で走って大聖堂に駆け込んだのですが・・・。無情にも目の前でカルロの祭壇画のあるサンテッシモ・サクラメント礼拝堂の鉄柵が閉められました。柵越しに眺めたのですが遠い・・・涙。

☆カルロ・クリヴェッリ巡り@アスコリ・ピチェーノ

サンテミディオ大聖堂

ローマ時代のバジリカの遺構を基に建立。以後はさまざまな改築がなされましたが、現在の姿は15世紀末のもの。正面ファサードはルネッサンス様式で1525~1540年にかけて付け加えられたもの。

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↓ 大聖堂の左に洗礼堂(12世紀/八角形)が見えましたが、内部拝観には予約が要るとのことで、見学できませんでした。

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 「玉座の聖母子」136×66と 「ピエタ」61×64を含め大小21枚のパネルによって構成される。
1472年にアスコリの司教より大聖堂のために委嘱された中期の代表作。

↓ 「アスコリ・ピチェーノ大聖堂多翼祭壇画」1473

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↓ 中央下段の「聖母子」(部分/絵葉書)と上段左の「アレクサンドリアの聖カタリナ」

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 バラバラに分解されて世界中に散らばった多翼祭壇画のなかでパネルごとオリジナルの場所に保存されていた数少ない例がこの日見てきたマルケ地方の3つの多翼祭壇画です。その点でもクリヴェッリ愛好家にとっては貴重な一日だったと言えるでしょう。

 大聖堂の右隣の司教区美術館(Museo Diocesano di Ascoli Piceno)は夏休みなので昼休みなしでの開館でした。日本語の簡単なパンフレットもあり、日本人の私たちは歓迎され、係りの方も親切でした。いくつかのクリヴェッリ派の展示室を通り奥のカルロの部屋へ。

通常の額に入った絵画ではなく、青いパネルに重ねられた展示。その配色のせいもあって、とても
モダーンに見えました。幼児キリストの表情、涼しげなワンピースが可愛い。この優雅な聖母マリアの作品は1930年までクリヴェッリ派のP.Alemannoの手になるものとされていたそうです。


↓「子イエスを礼拝する聖母」71×50 絵葉書

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↓ クリヴェッリ派のアレマンノ(P.Alemanno)の祭壇画 1485製作 絵葉書

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 こうしてようやく忙しいクリヴェッリ巡りも終了。アスコリにはほかにもカルロの作品はあるのですが、画集で観たところではかなり傷んでいることもあり、友人たちをこれ以上お付き合いさせることは遠慮しました。

大聖堂の前のアッリンゴ広場でアイスクリームを食べて休憩の後、アドリア海沿岸のハイウェイを走り、昼食のためセコンドの近くで降車。メーターでは走行距離216K、5時間半に及ぶ行程でした。チップを含めて、ひとり7000円ほどかかりました。

夜のオペラまで時間はありますから、ゆっくり昼食をとりました。残念ながらラザーニャは売り切れ、暑いのでデザートに西瓜が食べたいと注文したのですが、通じず・・・絵を書いたりしてようやく ココメロですって!普通はレストランで出すデザートではないみたいです。家族用?なのか出してもらえました。ホテルに戻って仮眠。

♪~プッチーニ『トスカ』21:30開演

指揮:レナート・パレンボ  演出:ジルベルト・デフロ

トスカ:エリザベート・マトス  カラヴァドッシ:マルチェロ・ジョルダーニ  スカルピア:ルッジュエロ・ライモンディ

♪~マチェラータ滞在の最終公演は昼間のクリヴェッリ巡りの疲れと安堵もあり、またもやボーッとしていました。マトスはなかなか頑張って歌っていましたが、肝心のアリア「歌に生き~」は失敗。その反対にジョルダーノは前半はひやひやものだったのに、処刑される前のアリア「星は光りぬ~」は素晴らしい出来で、アンコール。ライモンディの1幕目は存在感のある歌と演技でテ・デイムのシーンはぞくぞくするほどでした。しかし、2幕はちょっとパワーが落ちた感じで残念。舞台が広くて疲れちゃったのかしら?カーテンコールにも現れませんでした。
野外なので途中、オートバイの音が聴こえたりするのが気になりました。ヴェローナやオランジュも経験しましたが、音響はやはり良く無いのと、演奏が天候に左右されるということもあり、まあ一度、夏の祝祭的な雰囲気を味わったから、それで満足。再訪はもうないかも知れません。

 皆で最後の夜食はまたまたセコンドへ。夜でも遅くまでオープンしていますが、夏の音楽祭が終わったら夏休みに入るとか。今夜も午前さまでお帰り、皆元気でしたね~。


 


 


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2001年夏の旅(11)マチェラータ(アンコーナ) [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

8/6(月)マチェラータ10:13→アンコーナ11:43(チヴィタノーヴァ・マルケで乗り換え)

 この朝も寝ぼけ眼で簡素な朝食をとり、トコトコ坂を下りて、マチェラータ駅からアンコーナへ列車で行きました。列車で約2時間、ロマネスクの先輩でもある友人と二人で日帰りの小旅行でした。アンコーナはマルケ州の州都でアドリア海に面した港湾都市でもあり、丘に広がる旧市街に見どころがあります。まず、駅からタクシーで港を見下ろす丘の上のサン・チリアコ聖堂へ。

サン・チリアコ聖堂 ANCONA

 マルケ・ロマネスクの教会の中でも屈指のロケーション、アンコーナのシンボル的な存在です。11~13世紀にロマネスク様式で建てられましたが、ビザンティンの影響や一部ゴシックの様式もみられるということです。ところが残念なことに中に入ろうとしましたら、丁度昼休みで閉められてしまいました。

ファサードは全面修復かまたは洗浄したばかりのようで、いささか磨き過ぎの感じがしました。柱廊玄関の柱を支えるライオンも真新しく見えて、少々綺麗にし過ぎねとちょっぴり文句。しかし、ここからの港の眺めは素晴らしい。眼下にはクロアチアなどに向かう大型フェリーも停泊していて、賑やかな港の風景。創建された当時は中世にアドレア海を行き来する船の安全を願って建てられたのかもしれません。ここからアドレア海を越えてダルマチアのザダール(クリヴェッリが一時期滞在していた)へ行ってみたいものだとぼんやり夢想・・・。

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 余程がっかりしたのか、外観の写真を撮っていませんでした。このまま坂道を降り、次に目指すのが、さきほど港を眺めながら夢を見たカルロ・クリヴェッリのある美術館です。

☆カルロ・クリヴェッリ巡り@アンコーナ

アンコーナ市立美術館

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 カルロの数ある聖母子のなかでも、1等賞をあげたいと思う珠玉の名画がこの小さな美術館にあることを知ったのはいつごろのことだったででしょう。
入館すると、係員からローマ時代の彫刻などから観るように勧められたのですが、心ここに在らず状態。で、適当に覗いて係の青年にあまり時間がないと告げると、中庭から別棟の2階の小さな部屋に直行して案内してくれました。
その部屋は照明を落とし、「聖母子」はスポットライトに浮かび上がるように展示されていました。なんと美しい!

↓Carlo Crivelli「聖母子」1486頃  21×15.5(絵葉書)

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    聖母の我が子を見つめる気品のある表情、オリエント風マントも優雅に纏って、やさしく幼子イエスのつま先をつまみ持つ優雅な手。将来の悲劇はともかく、今はこの腕に抱く子への、あふれる愛情が素直に、そしてまた神性を失わずに表現されています。背景の吊るされた果物は林檎と瓜。緻密に描かれた人物のいる田園風景はマルケを描写したものでしょうか。ザダールの流浪からここマルケに落ち着いたカルロの充実した時期の傑作。

この後は旧市街を散策

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 遅くなったランチをプレビシート広場で。列車の時間までゆったり過ごしました。

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  レストランでタクシーを呼んでもらい駅へ。アンコーナ15:35→マチェラータ17:35

 乗り換えのチヴィタノーヴァ・マルケで小1時間ほど待合室で列車を待ちました。マチェラータ駅に着いたのは夕方ですが、まだまだ太陽は沈む気配もない夏の日です。タクシーで、コッリドニアへ向かいました。コッリドニアはマチェラータから南東へ10Kほどの丘の上の小さな町です。かなり傾斜があり、胸突き八丁のような坂道をタクシーはぐんぐん飛ばして、目的の司教館に到着。

☆カルロ・クリヴェッリ巡り@コッリドニア

コッリドニア司教館付属美術室

 教会(サンタゴスティーノ)の向かって右隣りの建物(突き当たり)が Pinacoteca Parrocchiale 。
イタリア語の司教館美術館という意味を理解していなかったのでウロウロ。
そこへブルーのワンピース姿の私達にとっては天使のようなおばさまが何処からともなく現れ、「ここよ」と言って何度も呼び鈴を押してくれたのですが、応答がありません。
 教会内も一緒に探してくれて・・・でも、誰もいません。もうほとんど諦めて帰ろうとしたその時、「ガラガラ~」とガレージのシャッターの音がしました。行ってみるとParrocco(司祭)がホースを持って洗車中です。あまり機嫌がよくなくて「もう閉めたよ」みたいなことを言いましたが、天使のおばさまが交渉してくれたので、洗車の終わるのを待ってようやく入館できました。天使のおばさまは安心されたような笑顔で、去って行かれました。グラッツェ・ミーレ!

司祭の案内で書斎を通り抜けた奥の部屋にくすんだ暗い色調の「授乳の聖母子」がありました。他にも数点の後期ゴシック~ルネッサンス期と思われる祭壇画が数点。 意外にも司祭のご自慢はカルロよりカルロの弟ヴィットーレの祭壇画のようで、「サン・セヴェリーノでの特別展に貸し出し中だから、ここには今ないよ」とのこと。(いいんですよ。カルロを見に来たのですからと心の中でつぶやく)

↓ Carlo Crivelli カルロ・クリヴェッリ「授乳の聖母」127×63

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授乳の聖母の図像はロマネスクの彫刻にもありますが、古くはエジプトのコプト教の壁画に遡ると言われています。ケルビムたちの祝福に囲まれた聖母子の自然な授乳のスタイルは抑えた色調が特徴です。カルロの他の祭壇画に見られる豪華な金色の光もなく、落ち着いた地味な板絵。単独の作品でしょうか。

旅の前に調べたネット情報では閉館は19:00となっていたのです。司祭にお会いしたその時は18:15頃でしたが、もう閉めたと司祭にいわれて焦りました。予約したほうが確実でしょう。無料。

 そしてマチェラータに戻りました。この夜はオペラもなく、ランチも遅かったので、夕食は手持ちのもので部屋食(おにぎり、カップみそ汁など)にしました。明日はマチェラータから南下してアスコリ・ピチエーノまで遠出します。


     


 


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2001年夏の旅(10)マチェラータ [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

8/5(日)

 
この
朝の眠たさは半端ではありませんでした。それでもなんとか朝食をとり、マチェラータ近郊のマルケ・ロマネスク巡りに出発しました(同行3名)。タクシーはホテルから予約してもらい半日貸切。料金は良く覚えていないのですが、4人で割って、2000~3000円くらいでした。

 目的の2教会はこの近辺に多い丘の上の街ではなく、平野に近い地にポツンと建っています。まずは、マチェラータから東へ10Kほどのサン・クラウディオ・アル・キェンティ教会へ。



サン・クラウディオ・アル・キェンティ教会


 この教会は12世紀の建築です。小さな村の家々に囲まれた2階建の教会に、棟続きにはホテル・レストランも併設されていました。建物は四角形のプランに両脇に丸い塔がついた安定したフォルム。ビザンティン様式の影響もあり、円筒型の鐘塔はラヴェンナの様式がうかがえます。ロマネスクの修道院が建つ前は古代からの歴史があるとのこと、この地方では重要な建築物と紹介されています。

上下に分かれたお堂を正面の階段テラスで行き来しました。真夏でしたので教会を背景に赤い夾竹桃が咲き、庭の手入れも良く、美しい風景でした。夜にはライトアップもされるようです。

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後背部の3室はプーリアにも見られるオリエント風ののっぺりとした細長い一層のもの。

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内部は柱頭彫刻などの装飾はないのですが、ロマネスクらしい力感あふれる見事に太い柱と上部に続く天井は煉瓦積されたもの。いかにもイタリアらしい明るい色の煉瓦が印象的でした。

 再び、待っててもらったタクシーでアドリア海に近いチヴィタノーヴァ・マルケの方向へ走り、

サンタ・マリア・ア・ピエ・ディ・キエンティ教会

ピエ・ディ・キエンティはガイド本には9世紀の創建とのこと。現在はほぼ11世紀の建築が残っています。明るい戸外から入りましたので、しばらくはここの暗さに盲目状態。内部は窓がアラベスターなので余計に暗く、内部の写真は撮りませんでした。

内部(絵葉書)三廊式の内陣。後陣は周歩廊になっているバジリカ様式。天井は木組み。上下二層構造になっていますが、上階には登れませんでした。14世紀のフレスコ画と15世紀の木製の「十字架上のキリスト」が残っています。

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戸外は真夏の太陽がギラギラ。昨日と同じに40度近い猛暑の日でした。ひんやりした教会の内部は暑さからの避難場所でもありました。教会の外装は修復工事中でしたが、青空をバックに三層に積み重なった後陣はなかなか立派でした。簡素な鐘楼の形(壁式)も田舎の教会らしく可愛い。

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下の2枚は絵葉書です。

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 これで本日のマルケ・ロマネスク巡りは終了、マチェラータに戻りました。4人で遅くなった昼食をセコンドというこの町随一のレストランで。マンマが手作りなんだと息子さんが自慢ののラザーニャがとても美味しくて・・・それで滞在中は何度か通いました。

 ぐっすりお昼~夕寝のあとは夜のオペラ観劇へ。

♪~ヴェルディ『アイーダ』

指揮:ダニエレ・カレガーリ  演出:ウーゴ・デ・アナ

ラダメス:ニコラ・マルティヌッチ  アイーダ:ノルマ・ファンティーニ  アムネリス:ナージャ・ミカエル  アモナスロ:ルチオ・ガッロ

♪~昨年もマチェラータに来られた友人の話では、マルティヌッチが素晴らしかったとのこと。でもこの夜は風邪気味で衣装の袖に薬(スプレー)を隠し、時々それを使いながら、苦しそうに歌っていました。
アイーダとアムネリスはまあまあ。このオペラはあまり好きでは無いのですが、2列目の席だったので、舞台を縦横にダンサーを使った迫力あるシーンなど凝った演出で、楽しめました。年寄り役のガッロと若い役のマルティヌッチは見た目はあべこべ。このときのガッロはそれほど記憶に残っていません。

 終演後の夜食はランチに続いてセコンドへ。ワイワイガヤガヤ、美味しいマルケのマンマの味に舌鼓、ワインも良いものをチョイスしました。

明日の予定は友人と二人でアンコーナ、他の方たちはタクシーをチャーターしてアッシジへと別れることになりました。






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2001年夏の旅(9)フィレンツェ~マチェラータ [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

8/4(土)
フィレンツェ1013→ボローニァ着1110/1132〜アンコーナ13442時間遅れで1600頃到着)・・・タクシーでマチェラータへ。

マチェラータ/ホテル・クラウディアーニ4泊

 今日は順調にいっても4~5時間はかかる列車移動の日です。ところが週末のアドリア海沿岸への海水浴客が殺到して、大変な混雑でした。日本からこの列車で合流するはずのオペラ仲間とは列車内では会えません。やはり、スーツケースをフィレンツェに置いてきて4泊分のキャリーケースで来たのは正解でした。 なにしろギューギュー詰め、トイレにまでお客さんが・・・。私も必死で、なんとか積み残されずに済み、デッキですが腰を下ろすことができました。せっかく日本から予約してきたファーストクラスの座席指定券も、そこにたどり着けないのですから、パー(涙)。そしてようやくアンコーナの駅に到着しました。ホームに降り立って友人たちを探しましたが、誰もいません。。。ミラノ始発から乗っているはずですが。。。

適当なバスもなく、タクシー乗り場へ。アンコーナの駅からしばらく走ると、前にもタクシーが走っていて、車の窓に友人らしい姿が見えました。ホテルに着いて訊いたところ、間違えてひとつ前の駅で降りてしまったとか・・・8人もいて?前日日本からの長旅で余程お疲れだったようです。タクシー料金は私独りで1万円ほど払いましたので、顔で笑っても心の中ではドジなんだからと不機嫌。

 

 マチェラータの夏の音楽祭は私は初めてでしたが、オペラ仲間たちは2回目です。大層素敵な街の野外でのオペラ鑑賞の話は常々聞いていましたので、すごく楽しみでした。そのうえ、近辺の町や村には追っかけの画家カルロ・クリヴェッリの祭壇画がいくつか残っているのです。

 

 ホテルの部屋はツインで広く、バスタブつき。やれやれとひと休み後、ロビーに集合して今夜のオペラの前に腹ごしらえ。オペラ会場になっているスフェリステリオ(19世紀の野外球技場)の近くのカフェで。

 

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 いったんホテルに戻り、着替えてから21:30開演のオペラへ。

 

♪ベッリーニ『ノルマ』

 

指揮:ロベルト・リッツィ・ブリニョーリ 演出:ダニエル・アバド

ポリオーネ:ファリンコ・ファリーナ オロヴェルゾ:アンドラ・パピ
ノルマ:シルヴィ・ヴァーレル アダルジーザ:マリアーナ・ペントチェーヴァ

 昼間の40度近かった猛暑も去って、とても気持ちの良い宵でした。夕闇が迫るころの群青色の空の綺麗なこと!丘の町マチェラータは細い階段の通路があり、そこをカタカタとサンダルの靴音を響かせながら、降りて行きました。


さて肝心の『ノルマ』です。球技場として造られたこの会場は奥行きはあまりないのですが、間口が左右に拡がり、なかなかダイナミックな見せ場を観ることができます。

ヴァーレルは映像の『アイーダ』で観たことがあり、美人で歌も素晴らしかったので、期待は大きかったのですが・・・予習で聴いたカラスのアリアが耳に残っていて、ヴァーレルには不満足。昼間の移動で疲れていたこともあり、ボーッと観ていたのでしょう。あまり記憶に残っていないのです。残念。

↓席は3夜とも前列の中央付近でした。

 

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終演後はみんな揃ってお楽しみの夜食。昨年に来店して、リーダーのO先生の顔なじみになったトラットリアで、乾杯~。就寝は当然午前2時過ぎになりました。


 参考映像:ベッリーニ「ノルマ」


ポリオーネ・・・ロス・スティーブス(テノール)オルヴェーゾ・・・・・・・クリフオード・グラント(バス)ノルマ…ジョーン・サザーランド(ソプラノ)アダルジーザ・・・マルグレータ・エレキンス(メゾ・ソプラノ)クロティルデ・・・・・・・エテラ・ピハ(メゾ・ソプラノ)フラーヴィオ・・・・・・トレヴァー・ブラウン(テノール)シドニーオペラ管弦楽団指揮:リチャード・ボニング演出:サンドロ・セクイ合唱指揮:ペーター・シーモア制作:1978年 8月1日 シドニーオペラハウス

 2001.6道新教室にて。


参考CD:

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2001年夏の旅(8)ペルージア~フィレンツェ [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

8/3(金)

 今日はペルージアからフィレンツェに戻ります。ここペルージアで重い本を2冊(ウンブリアの写真集とロマネスクの本)購入したため、郵便局へ。ところがイタリアでは郵送の段ボールは売っていませんので、窓口の無愛想なおばさんに文房具屋へ行って買ってきてと言われ、近くの文房具屋さんへ。ツーリストのおばさんがそのようなものを買うとは思っていない?・・・手振り身振りでようやく郵送用の箱をゲット。郵便局へ戻り、箱を組み立てますが、なかなか上手くできません。おばさんはそんな私を睨みつけて、手伝ってもくれません。ペルージアの好印象がいっぺんにダウン・・・そこへ奥から係りの方が気が付いて、オフィスからでてきてヘルプしてくれました。船便で1000円くらいでしたので、安かったです。

ホテルをチェックアウトして、タクシーで駅へ行く途中、昨日パスしていた聖ドミニコ教会(14世紀)に寄ってもらいました。当時の「地球の歩き方」にカラヴァッジョの作品「Santa Francesca Romana」があると紹介されていたのです。

↓聖ドミニコ教会入口

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 広い堂内の確か右礼拝室にさりげなく飾られていました。カラヴァッジョの作品は真贋論争の続くものも多いので、残念ながらこれは追随者か模作であろうと思いました。この後フィレンツェで偶然発見した本によってそれは明らかになったのです。微妙に違いますが他にもほとんど同じ構図のスパダリーノの作品があったのです。

↓ Netで見つけたペルージアの「Santa Francesca Romana」はモノクロの画像ですが

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↓ こちらはローマのプライベート・コレクションの作品。両方とも、聖女が夜の読書中に天使が光を提供したという奇跡の場面を描いています。

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 Galli Giovanni Antonio detto Spadarino (1585~1652)通称スパダリーノはローマのカラヴァジェスキと呼ばれるカラヴァッジョの追随者です。1951年にミラノで開催された「カラヴァッジョ展」にも下の絵画(カラー写真)は出品されたそうです。

 
ペルージァ発1153〜フィレンツェ着1351

 ランチは列車内でサンドイッチで済ませ、フィレンツェのミネルヴァ・ホテルに戻りました。この日の散策はドゥオーモ、サンティ・アポストリ教会、サンタ・トリニタ教会を巡り、途中フェラガモでオペラ用の靴を持ってこなかったので、ショッピング。夏のバーゲンだったので日本の半額くらいでした。

☆ドゥオーモ(花の聖母大聖堂)3

午後遅くに入場したので、並ばずに済みました。この壮大な空間では「立派だな~!」と仰ぎ見るしかありません。今回はウッチェロが製作したといわれる時計の文字盤を観たかったのですが、高いところにあり、また逆光のためよく見えず、少々の見学で退散。

☆サンティ・アポストリ教会

 ドゥオーモからヴェッキオ橋まで歩き、橋の手前のアルノ川沿いの道を右に200メートルほど行き、右折します。車の入らない小さな路地があり、その先に狭いリンポ広場に面してSs・Apostoli教会が建っています。11世紀のロマネスクの教会ですが、後世の改築をへて1930年代にまた元の姿に近く戻されました。観光客で賑わうフィレンツェの街なかとは思えないほど閑静な、そして中世の面影をとどめた界隈です。教会の内部はバジリカ式、ろうそくの光がゆらめく暗い空間でした。華やかなルネッサンスの絵画で彩られた教会ばかり見てきた目にはなんとも古めかしいところですが、何故かほっとする心地良さでした。

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↓ 近くのその名もボルゴ・サンティ・アポストリ通り

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☆サンタ・トリ二タ教会

 フィレンツェ最古の教会のひとつで、11世紀の後半に献堂されていますが、14世紀にゴシック様式に改築されました。ファサードはバロック様式です。ここでの見どころはロレンツォ・モナコの「受胎告知」、ギルランダイオの「サン・フランチェスコの生涯」と「羊飼いの礼拝」でしょう。

ロレンツォ・モナコの「受胎告知の祭壇画」1422-23頃製作 全体は300×274

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 さて、夕食はランチが質素だった反動で、ちょっぴり豪華にAntinoriのレストランへ。アンティノーリ家はワインの醸造で有名なお家柄とか。まだあの小さなレストランがあるかどうかわかりませんが、独りで予約なしでも入れました。ただし、入り口ドアの傍でしたが。当時のイタリアにしては量もそこそこでお上品。なんとか3皿完食できました。ワインはグラスでいただきましたが、さすがにまろやかで深い味わい。酔いどれおばさんの一人旅。。。

 でも明日からはオペラ仲間と合流です。フィレンツェにはもう一度戻ってきますので、ホテルに置いていく荷物と持っていく荷物に分けて、就寝。


 

 



           


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2001年夏の旅(7)ペルージア [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

8月2日(木)

 朝のペルージアの下の町の眺め(聖ドメニコ教会方向)。今日も良いお天気です。

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正面にも小さな教会が見えました。

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 今日は連泊なので1日中ペルージアの観光ですから、のんびりハイソな朝ごはん(シャンパンやスィーツが並んでいました)をいただいて、ホテルの外に出てみれば、このホテル自体がペルージアの観光名所になっていて、写真を撮ってあげたら、お返しに撮っていただきました。

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 ペルージアは1991年にツアーで初めてイタリアに来たとき、アッシジへの道すがら遠望したことがありましたが、初訪問です。ウンブリア州の県都でもあり、豊かな緑に囲まれた美しく、エトルリア時代からの旧い歴史のある街が丘の上に城壁に囲まれています。ホテルの部屋から見えた下の町にも街区は広がっています。

↓ホテルからまっすぐのヴェンヌッチ大通り。左手の角は何度か行った書店。この近くには書店が多く、さすがペルージアは国際的な大学のある街です。

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11月4日広場の手前にウンブリア国立美術館の入ったプリオリ館(ゴシック様式)があります。

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☆ピエロ・デッラ・フランチェスカ巡り@ペルージア

ウンブリア国立美術館

「サンタントニオ多翼祭壇画」(ペルージアの祭壇画)1470頃 338×230

 
 ここでもピエロの祭壇画は別格の扱い、特別につきっきりの係員が監視しています。祭壇画の前にはベンチが置かれ、ゆっくり鑑賞できます。最近購入したRIZZOLIの画集にも触れられていますが、この祭壇画は相当弟子の手が入っているらしいのです。確かに受胎告知と中央の聖母の顔に固さと違和感はあります。だがロンギの説に肩入れするわけではないのですが、聖人や衣裳、構図にみられるピエロ風の優れた描写は充分に満足できるものです。
特にプレデッラ(下部)中央の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」、夜景好きな私にとっては嘆息がもれるほど美しい・・・右上に現れる6つの赤い翼をもつキリストから発せられる霧のように繊細な光線の神々しさ、それが夜の暗闇のなかでの聖人をより神秘的に見せています。濃淡のグレイと茶色の組み合わせも好ましく、ただ見つめていました。ここのブック・ショップは名ばかり、肝心のピエロの絵葉書がありません。絵葉書蒐集家の私は大いに不満でした。

↓それでNETから拝借

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 ペルージア出身のペルジーノのコレクションが目立ったほかはウンブリアで活躍した画家たちの抒情的な美しい作品が多く、最後は甘すぎて(笑)食傷気味になりました。

↓ そのなかで目立った一枚はGiovanni Boccatiの「Madonna del Pergolato」1447 聖母子の後方にずらりと並んだコーラスの天使たちが可愛い~!

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↓同じくBoccatiの「Madonna dell'Orchestra」

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↓ Orazio Gentileschiオラツィオ・ジェンテレスキ(1563~1639)の「サンタ・チェチェーリア」はカラヴァッジョの影響を受けた色彩と背景から浮き出るような画面構成です。娘のアルテミシアと共に17世紀バロックの画家として活躍しました。

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↓11月4日広場。広場の中央にフォンターナ・マッジョーレ(大噴水)、後方に大聖堂。

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☆大聖堂 以前のロマネスクの後に14世紀にゴシック様式で建立。ファサードは工事中でしたが、内部は見学できました。上の写真でもお分かりのように、外観は教会というより館の風情であり、内部もごたごた飾り付けられています。ここの聖遺物は聖母の結婚指輪ということです(眉唾っぽい 笑)が1年に一度の公開はつい先日(7/30)だったようです。

  ランチは大聖堂の裏側のレストランのテラス席で。イタリア語もわからず前菜の盛り合わせを頼んだつもりでしたが、出てきたのはハムの山盛り、それにパスタも山盛りで1/2を消化するのがやっとでした。味は普通。食後はペルージアの旧市街の散策です。いろいろな旧市街を歩きましたが、ここは格別に難しい、そして中世そのままの迷路でした。

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↓ 坂道の突き当りがサン・ベルナルディーノ教会の建つ広場です。

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☆サン・ベルナルディーノ教会はルネッサンス様式でファサードの彫刻装飾が素晴らしいオラトリオです。内部はゴシック様式。主祭壇は4世紀の古代ローマの石棺。

隣接のサン・フランチェスコ・アル・プラート教会は工事中で見学不可でした。

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ここからは午後の強い日差しを浴びて、めまいを起こしそうになりながら(建物がまばらなので日陰がない)遠回りして、旧城壁の北側まで歩きました。

↓ エトルリア門の近くに階段状の大聖堂に抜ける道があり、力を振り絞って登りました。

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坂道の上に橋が架かっていたり、立体感のあるペルージアの旧市街の面白さ。疲れましたが、忘れられない街歩きでした。ホテルに戻って休憩してから、南側の国立考古学博物館やサン・ドメニコ教会に行く予定でしたが、暑いこともあって気力がわきません。それで、夕方になってから涼みがてらホテルの前の大きな館(Plazzo della Provincia)に行ってみました。エスカレーターがあり地下道かと思って降りてみますと、そこは古代の町の遺跡らしいところで、かなり広いのです。通行人もまばらで怖くなって途中から引き返したのですが、そういう遺跡があるとの目立った表示もなく、不思議な場所でした。

 夕食は本屋さんのマダムに美味しいところご存知か聞いてみましたが、外食はあまりしないのでわからないけれど、近くの食料品屋のご主人に聞いたらいいわとのアドバイス。早速そのお店に行って紹介してもらいました。地図も書いて、予約の電話も入れてくれました。

↓レストランDel Soleで、テラスの席は蚊が来るからと断ったのですが、ここは標高が高いから蚊は来ないというのです。確かに蚊に刺されずに済みました。お勧めの炭焼きの肉や魚、野菜もシンプルで美味しかったです。

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 美味しい夕食で1日が終わりました。素敵なペルージアの夜、人も通りのカフェなどに沢山出ていますが、騒々しさはなく、落ち着いた大人の町です。何の不安もなくホテルに戻りました。

 今日のペルージアで今回の旅の「ピエロ・デッラ・フランチェスカ巡り」は終わりました。フィレンツェやシエナは観光客で大層賑やかでしたが、アレッツォ、サンセポルクロ、モンテルキはぐっと観光客の姿はまばらになり、日本人は一人も見かけませんでした。
周りの美術好きな友人でピエロを知らない人は皆無と言っていいほどメジャーです。でもこの2001年当時は一般のイタリア・ツアーのコースに入っていないこともあって日本から訪れる人は極少ないころでした。ですから、こういう旅は個人でプランをたて、歩くしかなかったのです。イタリア語もほんのカタコトのか弱い?おばさんの一人旅でも行かれるくらいですから(特に危険なこともなく)誰でも簡単に自分のプランでピエロ巡りができるのではないでしょうか。
私はバスを利用したため、アレッツォに1泊しました。フィレンツェから日帰りすることも可能ですが、3箇所巡るためにはタクシーかレンタカーでの訪問をおすすめします。

夾竹桃の咲く広場、ひまわり畑を背景に丘の町が点在する田舎の道、または
渓谷の山道をゴトゴトとバスに揺られて訪ねたピエロ・デッラ・フランチェス
カの名画・・・2001年夏の旅は忘れられない想い出の旅になりました。


     




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2001年夏の旅(6)アレッツオ~ペルージア [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

8/1(水)

 なんと幸せな一日!まずサンセポルクロ、そして帰途に立ち寄ったモンテルキも含めて四点のピエロを堪能できたのです。 

 前日、アレッツォ駅前のインフォーメイションで調べておいたバスに乗車。駅前のSITAターミナル発10:45でまず、サンセポルクロヘ(約1時間)。乗り込むときに黒人の少女が2人一緒だったので、朝の挨拶。彼女たちは農地の広がるバス停で降りたので、農家のお手伝いのアルバイトかなと思ったのですが・・・。そしてバスは終点のサンセポルクロのバスターミナルに11:30に到着しました。途中丘の上の古く美しい街にも停車。後から調べたらアンギアーリという町で、降りたくなったほど素敵なところでした。
  

☆ピエロ・デッラ・フランチェスカ巡り@サンセポルクロ

 市立美術館Museo Civico

 終点のバスターミナルから徒歩数分で美術館Museo Civicoに到着。美術館は昼休みがありますので、急ぎ入館しましたが13:30までオープンとのことで安堵。
ここでは「キリストの復活」がダントツに素晴しく、ベンチも置いてあり、ゆっくり鑑賞できました。

↓「キリストの復活」(1463~65頃)225×200

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 まず色彩、特に「ピエロの灰色」ともいえる品のある繊細なグレイの使い方に魅せられました。
画集の写真ではキリストの肌と陰につかわれたグレイの美しさに気づかなかったので、実物がこんなに素晴らしいなんて!と興奮気味。またこの時Matteo di Giovanniの両翼とプレデッラのゴシックの祭壇画に気が付きました。、中央が空いたままで不思議に思って説明を見たら、今はロンドンにある「キリストの洗礼」が中央にあったのです。どういう経過で中央だけ持って行ってしまったのでしょう。確かな審美眼は認めますが、何か割り切れない思いがしました。

 ↓別室には「慈悲の聖母」ミゼリコルディアの多翼祭壇画があります。1445~55頃製作。273×330

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 中央の「慈悲の聖母」を見ると、シャンティイのコンデ美術館にあるカルトンの同主題のものが目に浮かびました。南欧らしい透明感にあふれた明るさが画面に広がり、見てるだけで、優しい気持ちになります。反面、ピエロのほうは初期の作品でもあり、制作に時間がかかったせい?他の部分との様式の違い?どことなく不安定な印象を受けました。でもこうして「慈悲の聖母」部分だけみますと、やはり良いですね~。ピエロの作品はマリアのマントに庇われてひざまずく人々の描写が明晰で現代的です。こういうところに20世紀になって評価された理由もわかる気がします。

↓左がピエロ、右がカルトン(15世紀仏アヴィニヨン派の画家)の「慈悲の聖母」シャンテイイ・コンデ美術館

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↓ 聖ユリアヌスとトゥルーズの聖ルイ 「聖ユリアヌス」は東京での展覧会に貸し出し中と説明がありからっぼ・・・観られないと残念がるドイツ人らしい愛好者に「私は東京で観たのよ」とつい自慢してししまいました。

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 ピエロのほかはどうしてもかすんでしまいますが、ポントルモの「聖クィンティヌス」だけは印象に残りました。

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 鑑賞を終え、町の散策をしました。ここサンセポルクロはピエロの生まれ故郷であり、ここで没したのです。ピエロ・デッラ・フランチェスコの家(内部は見学しませんでした)の近くのサンフランチェスコ教会(13世紀末)。

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 ドゥオーモ(ロマネスク=ゴシック様式)も見学しましたが、内部も暗く写真は残っていません。ランチはベルタの塔の広場のカフェでパニーニで簡単に済ませ、下の写真の通りから門をくぐりバスターミナルへ。

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サンセポルクロ1340〜モンテルキ1355

 バスの運転手さんは親切な方で、モンテルキの美術館の近くで降りると、川を渡って向こうだよとわざわ運転席から降りて教えてくれました。あいにくその川に架かる橋は工事中です。指さす方は川ですから?と思ううちにバスは行ってしまいました。川に近づいてみると浅瀬に仮橋というか木道が設置されています。晴れた日で良かった~。次は向こう岸にいた橋の工事のかたたちにムゼオはどこ?と尋ねると、その山道をモンテ、モンテと指さします。こんな山の上にあるんか~?と汗びっしょりで登りました。そして道を進むと↓の分かれ道。ようやくそれらしき標識が立っているのをを発見。

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 左側の村の道を歩いていきますが、もう案内板も見当たらず、猛暑の昼下がりですから、歩いている人も皆無。こうなるともう勘が頼りで、トコトコ歩み進むよりほかはありません。

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 そして急に視界が開け、自分が高台にいることに気が付きました。ふと下を見るとそれらしき建物が左方向にみえました。「やった~!あったわ!」

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☆ピエロ・デッラ・フランチェスカ巡り@モンテルキ

Museo Madonna del parto

 出産の聖母Madonna del parto 1460頃 260×203

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 照明を落とした部屋、スポットライトに浮かび上がる身重の聖母と左右に幕を支える二人の天使。
もう文句なく綺麗!やや伏し目の聖母マリアの抜けるような色白の肌の美しさ、腰にあてられた手の誇らしさ、そして赤や緑の靴下の天使たちの可愛らしいこと!クーラーもない暗室、汗が滝のように流れて・・・独りでここにたどり着いた苦労も忘れ、ここに来ることができた歓びとともに感動がひたひたと押し寄せてきました。

このフレスコ画一点のために建てられた小さな美術館です。
修復前はピエロの母の故郷でもあるモンテルキの墓地礼拝堂に置かれていました。
修復の様子の写真を観たり、ビデオ室でピエロの他の作品も取りあげた、なかなか優れものの映像を観たりしているうちに、1時間半後のバスの時間が迫ってきました。

↓ さきほどの高台を下から眺めたところ。ここを登り

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↓ モンテルキの丘からの風景も眺め

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モンテルキ1535〜アレッツォ1605

 帰りは余裕で先程の道を戻り、数分遅れのバスでアレッツォへ向かいました。アレッツオまでの道は中間に谷間の緑深い地区も通ります。その車道に黒人の女性の姿がぽつぽつ見え始めました。どうやら売春婦のようです。そのなかに朝バスで乗り合わせたあの少女たちの姿がありました。真っ赤な口紅をつけて。まだうちの娘たちより幼い感じですのに、ショックでした。世の中の理不尽さに心が凍りました。北と南、西と東、格差が世界を覆っています。このままでは済まない何か不吉な感じがしました。実際この旅の2か月もたたないうちにNYの9.11テロが起こったのです・・・。

 暗い気持ちでホテルに立ち寄り、預けた荷物を受取り、夕方の列車で次の宿泊地ペルージャへ。アレッツォ発1705〜ペルージァ着1809

ペルージアの宿は少々奮発して、ホテルブルファー二に2泊しました。

↓丘の上のホテルからの眺め

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↓一番安い部屋を予約したのに、なんと!スィートにグレードアップしてくれました。

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 疲れたのでルームサービスの夕食。サーモンの前菜他。味は普通。

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 昨夜とは雲泥の差のホテルライフ。ゆっくり入浴して疲れを取りました。


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2001年夏の旅(5)シエナ~アレッツォ [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

7/31(火)シエナ1230→アレッツォ1400  

アレッツオ/HOTEL CAVALIERE PALACE

 シエナの爽やかな朝を迎えました。裏庭での朝食を終え徒歩数分のシエナ国立絵画館へ。朝一番乗りだったせいか、ほとんど見学者のいない館内で良かったのですが、カメラ禁止のうえショップには絵葉書も目ぼしいものは売っていませんでした。

↓シエナ国立絵画館の入っている15世紀の館。内部は改装され自然光で明るいギャラリー。

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シエナ国立絵画館 Pinacoteca Nazionale 

 シエナ派のお好きな方は必見のギャラリーですが、シエナの市庁舎にあるものと比べると地味な印象を受けました。ここでの一番の見どころはアンブロージョとピエトロのロレンツェッティ兄弟の作品と彼らの先駆けとなったドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャです。画像はすべてアートギャラリーなどのサイトから拝借しました。正直、訪れた当時はあまり印象に残っていない作品もあり、すでに忘却の彼方なのですが、復習を兼ねてアップさせていただきます。

Duccio di Buoninsegnaドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(1255頃シエナ生まれ~同地にて1319頃死去)13世紀シエナ派の画家。1285年にフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の「ルチェライの聖母」(現在はウフィツィにある)、1308-11年にシエナ大聖堂の主祭壇「マエスタ」(現在は大聖堂付属美術館にある)を制作。ビザンティン美術とフランスのゴシック美術の影響がみられる。微妙な金色の線や繊細華麗な色彩を持ち、装飾的。14世紀のシエナ絵画(シモーネ・マルティー二やロレンツェッティ兄弟に多大な影響を与えた。ドゥッチョの作品はここシエナ国立絵画館に3点あります。

↓「フランシスコ会修道院の聖母」1300年頃23.5×16

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↓「シエナ28番の祭壇衝立」1305-10頃、128×234

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↓「シエナ47番の祭壇衝立」(1311以降)170×237

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 ドゥッチョの超有名な「マエスタ」以外のシエナにおける作品をここで確認できただけ良しとし、次のロレンツェッティ兄弟の作品に移ります。

Pietro Lorenzettiピエトロ ロレンツェッティ(シエナ1280/85~1348)14世紀シエナ派の代表的な画家。アンブロージョの兄。ドゥッチョの影響が認められることからその弟子であったと考えられている。また、アッシジではジョットの影響を受け優れた空間表現と、色彩人物の身ぶりに劇的表現が強い。弟アンブロージョと同じペストが原因で同じ年に亡くなったようだ。

↓オリジナルは5連祭壇画でしたが、現在は分割され焼失した部分もあるという「カルミネの祭壇画」の中央部分。「玉座の聖母子と聖ニコラウス、預言者エリアと4天使」(1329)165×148

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↓同じく「カルミネの祭壇画」のプレデッラの「ソバクの夢」37.3×45.2

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↓同じくプレデッラの「エリアの泉のカルメル会隠修士」37.3×45.2

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Ambrogio Lorenzettiアンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ1285頃~1348)兄ピエトロとともに14世紀シエナ派の代表的な画家。ジョットの絵画やアルノルフォ・ディ・カンピオなどの彫刻からも影響を受けた。遠近法に深い理解を示し、構図や図像は極めて独創的である。

↓「受胎告知」122×117

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 上の「受胎告知」も素晴らしかったのですが、ここで一番印象に残ったのは下の2枚。ヨーロッパ最初の風景画だそうです。数多の宗教画の中にこれらを発見した時は「さすが!アンブロージョ!」と感嘆しました。写真よりずーっと綺麗でした。

↓「海に面した都市 Citta vicino al mare」22.8×33

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↓「湖に面した城」22.5×33.2

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 ホテルに戻り荷物をピックアップして、タクシーでバスターミナルへ。この時のバスの時刻表はNETで調べていったのですが、一応ホテルのレセプションの女性に再確認しました。ところが、アレッツォへ行くバスはないわと言い張ります。「いいわ、バスターミナルに行ってみてダメだったら汽車にするわ」と出発。またもやツーリストで混雑する道をくねくね走ってバスターミナルへ。NETのバスの時刻表は確かでした。イタリア人の情報は当てにならない時も多いです・・・時々痛い目にあいました。

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 ランチをとる暇もなく、バスの中で水と手持ちのお菓子で細々とお腹を満たし、アレッツォに予定通り到着。駅から近いホテルを選んだのですが、騎士の館という名前とは裏腹の味気ないビジネスホテル風の宿。部屋も暗く狭い。

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☆ピエロ・デッラ・フランチェスカを巡る@アレッツオ

 今回の旅の目的の一つはピエロ・デッラ・フランチェスカの名画を訪ねることでした。なかでは一番の見どころである「聖十字架伝説」が長年の修復を経てようやく終了。サン・フランチェスコ聖堂のサイトで予約ができるようになったとの情報をがあり、良いチャンス!とスケジュールに組み入れました。予約は17:00なので、それまでに大聖堂や他の観光もするため、急いで外出しました。

↓駅前のホテルから結構傾斜のある丘を登って、炎天下の旧市街をドゥォーモへ。

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(1)「マグダラのマリア」(1460頃)190×180 アレッツォ大聖堂 絵葉書

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 左側廊の聖具室の扉近く、なんとなく落ち着かない場所に描かれている。カメラ禁止。
そのうえ天井の大工事中、騒然とした雰囲気のなかのマグダラのマリア・・・けれどもその部分だけは見事なほどの清々しさをあたりに漂わせていて、さすが。しかも堂々たる存在感のマグダラのマリア。
綺麗に梳られた髪の毛、香油壷の磨かれたガラス、やや伏し目がちだが、通常描かれることの多い悔恨のマグダラのマリアにみられる罪の意識におびえた様子はまったくない。

清潔感あふれる柔らかな色調はウエイデンの「読書するマグダラのマリア」に匹敵する。
フランドルのお嬢様VS質素なイタリアの田舎娘と言ったところか。(マイHPから転載)

↓ ウェイデン「読書するマグダラのマリア」 ロンドン・ナショナル・ギャラリー(絵葉書)

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↓ この後は坂を下りグランデ広場へ。後ろに見えるの鐘塔がサンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教会です。

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↓ イタリアの美しい広場は数々あれど、一番好きです。

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↓ 傾斜のある広場の上の方に開廊のある建物。このカフェでお茶しました。

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 アレッツオは映画「ライフ イズ ビューティフル」の舞台、この広場のシーンも印象的でした。広場の片隅のショップに映画のポスターが貼ってありました。それを眺めていましたら、小さな男の子を連れた若いご夫婦がきました。ママが日本人らしいので、つい注視したのですが、それを避けるような感じでさっさと独りで向こうに行ってしまいました。日本人の私を疎ましく感じているのがありありで、少々淋しい想い。ところがパパが気を使ったのでしょうか、いろいろ話しかけてきて、オランダから来たこと、妻のお母さんが日本人、なのでこの子はクオーターだと、笑顔。「こんにちは」と日本語で4,5歳くらいの子に話しかけたのですが、パパは「全然日本語は教えてないんだ」と残念そう。日本人のママよりオランダ人のパパの方が、日本に好印象と興味を持っているようでした。映画に出てくるあの男の子と同じ年頃の日本人の血が混じった可愛い男の子とこの広場でのひととき。忘れられない一コマです。

 そのせいか広場から見えるサンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教会の後陣をカメラに収めるということを失念。正面の写真も狭い道に面していますので、撮れませんでした。

↓なので、NETから拝借しました。

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☆サンタ・マリア・デッラ・ピェーヴェ Santa Maria della Pieve教会

 教会のファサードは残念なことに、扉口を中心に修復中。ピサ=ロマネスク様式らしい小開廊が上部に並んでいるのを確認しましたが、工事中の上、狭い道路に面しているため、じっくり眺めることもなく内部へ。

内陣はクリプトの上にあり、14世紀シエナ派のピエロ・ロレンツェッテイの多翼祭壇画が、見上げるような高い祭壇にドンと置かれています。11世紀から始まった教会建築はそれぞれの時代にあわせた改築を重ねた末、19世紀にはもとのロマネスク様式に戻る修復がなされたそうです。私の目は自然にホンモノのロマネスクは何処?と探しますが、
暗い堂内にみつけたのは側廊にあった浮き彫りは

↓「マギの礼拝」。(絵葉書)

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後期ロマネスクでしょうか?鼻が高い大人顔の面々、他に比べて大きく彫られた聖母は、頼りになる教区のマリアさま(教会の名)にふさわしいと微笑ましくながめました。

 内部は三廊式、クリプトの上にある内陣はこの教会の中で一番古い部分です。主祭壇にはシエナ派のピエトロ・ロレンツェッティの多翼祭壇画が暗い堂内に金色の光を放っています。

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 上の浮彫の素朴な聖母子と優美なルネッサンス初期の聖母子、美の系譜がじかに伝わってくるような名画です。

↓ 教会の通りにある中世の館

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↓ 予約した時間になり、サン・フランチェスコ教会へ。下の絵葉書のように「えっ!ここにあるんですか?」と地図に確かめるほど素朴なファサード(未完成)の佇まい。

(2)「聖十字架伝説」

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 チケットは教会に向かって右の建物の(i)で名前と時間を申告してゲット。この時の旅の資料にチケットが残っていました。チケットの裏表です。

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 教会に入ってすぐ後陣のフレスコが、なかでも私の好きな「コンスタンティヌス帝の夢」(下右)が目に飛び込んできた。

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 まるで恋人にでも会う時のように胸が ドキドキと高鳴ってくる。思ったより狭い後陣には既に熱心な先客が10人ほど静かに鑑賞中。予約がないと後陣に入ってまじかに鑑賞ができないようになっている。そのシステムを知らずにきた人も結構多いようだった。しかもこの時は夕方だったので、申込みは終わったと近くで観たいという人たちにけんもほろろな対応・・・。

 珍しい主題の捉え方、描写については多少調べは済んでいたが、実物を前にその迫力には圧倒された。イタリアへ旅立つ直前に偶然、美術史の先生からいただいたのが「ソロモンの橋」についての解説。それには「橋」という単語は聖書にはでてこないこと、つまりはこの物語は聖遺物崇拝とその収集が盛んに行われた中世のカルトの一環であること。キリスト教=聖書のイメージから切り離して鑑賞する必要があるというわけだ。それを念頭に入れ「アダムの死」から順番に観ていく。
生き生きと描かれた跪いて聖木の橋を礼拝するシバの女王をはじめ、どの場面も神秘的で壮大なストーリー、そのなかにピエロ独自のおおらかな詩情があふれている。(マイHPから)

 ↓「アダムの死」

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↓「橋の礼拝/聖木を礼拝するシバの女王」

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 朝のシエナ派から始まった長い美を巡る一日も終わりました。さすがに目も頭も飽和状態でホテルに戻りました。夕食はホテルの入り口右にあったトラットリアで簡単に済ませました。さて、明日もピエロ・デッラ・フランチェスコの名画巡りは続きます。

 



 

            


 



 



     


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