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2001年夏の旅(6)アレッツオ~ペルージア [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

8/1(水)

 なんと幸せな一日!まずサンセポルクロ、そして帰途に立ち寄ったモンテルキも含めて四点のピエロを堪能できたのです。 

 前日、アレッツォ駅前のインフォーメイションで調べておいたバスに乗車。駅前のSITAターミナル発10:45でまず、サンセポルクロヘ(約1時間)。乗り込むときに黒人の少女が2人一緒だったので、朝の挨拶。彼女たちは農地の広がるバス停で降りたので、農家のお手伝いのアルバイトかなと思ったのですが・・・。そしてバスは終点のサンセポルクロのバスターミナルに11:30に到着しました。途中丘の上の古く美しい街にも停車。後から調べたらアンギアーリという町で、降りたくなったほど素敵なところでした。
  

☆ピエロ・デッラ・フランチェスカ巡り@サンセポルクロ

 市立美術館Museo Civico

 終点のバスターミナルから徒歩数分で美術館Museo Civicoに到着。美術館は昼休みがありますので、急ぎ入館しましたが13:30までオープンとのことで安堵。
ここでは「キリストの復活」がダントツに素晴しく、ベンチも置いてあり、ゆっくり鑑賞できました。

↓「キリストの復活」(1463~65頃)225×200

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 まず色彩、特に「ピエロの灰色」ともいえる品のある繊細なグレイの使い方に魅せられました。
画集の写真ではキリストの肌と陰につかわれたグレイの美しさに気づかなかったので、実物がこんなに素晴らしいなんて!と興奮気味。またこの時Matteo di Giovanniの両翼とプレデッラのゴシックの祭壇画に気が付きました。、中央が空いたままで不思議に思って説明を見たら、今はロンドンにある「キリストの洗礼」が中央にあったのです。どういう経過で中央だけ持って行ってしまったのでしょう。確かな審美眼は認めますが、何か割り切れない思いがしました。

 ↓別室には「慈悲の聖母」ミゼリコルディアの多翼祭壇画があります。1445~55頃製作。273×330

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 中央の「慈悲の聖母」を見ると、シャンティイのコンデ美術館にあるカルトンの同主題のものが目に浮かびました。南欧らしい透明感にあふれた明るさが画面に広がり、見てるだけで、優しい気持ちになります。反面、ピエロのほうは初期の作品でもあり、制作に時間がかかったせい?他の部分との様式の違い?どことなく不安定な印象を受けました。でもこうして「慈悲の聖母」部分だけみますと、やはり良いですね~。ピエロの作品はマリアのマントに庇われてひざまずく人々の描写が明晰で現代的です。こういうところに20世紀になって評価された理由もわかる気がします。

↓左がピエロ、右がカルトン(15世紀仏アヴィニヨン派の画家)の「慈悲の聖母」シャンテイイ・コンデ美術館

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↓ 聖ユリアヌスとトゥルーズの聖ルイ 「聖ユリアヌス」は東京での展覧会に貸し出し中と説明がありからっぼ・・・観られないと残念がるドイツ人らしい愛好者に「私は東京で観たのよ」とつい自慢してししまいました。

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 ピエロのほかはどうしてもかすんでしまいますが、ポントルモの「聖クィンティヌス」だけは印象に残りました。

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 鑑賞を終え、町の散策をしました。ここサンセポルクロはピエロの生まれ故郷であり、ここで没したのです。ピエロ・デッラ・フランチェスコの家(内部は見学しませんでした)の近くのサンフランチェスコ教会(13世紀末)。

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 ドゥオーモ(ロマネスク=ゴシック様式)も見学しましたが、内部も暗く写真は残っていません。ランチはベルタの塔の広場のカフェでパニーニで簡単に済ませ、下の写真の通りから門をくぐりバスターミナルへ。

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サンセポルクロ1340〜モンテルキ1355

 バスの運転手さんは親切な方で、モンテルキの美術館の近くで降りると、川を渡って向こうだよとわざわ運転席から降りて教えてくれました。あいにくその川に架かる橋は工事中です。指さす方は川ですから?と思ううちにバスは行ってしまいました。川に近づいてみると浅瀬に仮橋というか木道が設置されています。晴れた日で良かった~。次は向こう岸にいた橋の工事のかたたちにムゼオはどこ?と尋ねると、その山道をモンテ、モンテと指さします。こんな山の上にあるんか~?と汗びっしょりで登りました。そして道を進むと↓の分かれ道。ようやくそれらしき標識が立っているのをを発見。

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 左側の村の道を歩いていきますが、もう案内板も見当たらず、猛暑の昼下がりですから、歩いている人も皆無。こうなるともう勘が頼りで、トコトコ歩み進むよりほかはありません。

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 そして急に視界が開け、自分が高台にいることに気が付きました。ふと下を見るとそれらしき建物が左方向にみえました。「やった~!あったわ!」

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☆ピエロ・デッラ・フランチェスカ巡り@モンテルキ

Museo Madonna del parto

 出産の聖母Madonna del parto 1460頃 260×203

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 照明を落とした部屋、スポットライトに浮かび上がる身重の聖母と左右に幕を支える二人の天使。
もう文句なく綺麗!やや伏し目の聖母マリアの抜けるような色白の肌の美しさ、腰にあてられた手の誇らしさ、そして赤や緑の靴下の天使たちの可愛らしいこと!クーラーもない暗室、汗が滝のように流れて・・・独りでここにたどり着いた苦労も忘れ、ここに来ることができた歓びとともに感動がひたひたと押し寄せてきました。

このフレスコ画一点のために建てられた小さな美術館です。
修復前はピエロの母の故郷でもあるモンテルキの墓地礼拝堂に置かれていました。
修復の様子の写真を観たり、ビデオ室でピエロの他の作品も取りあげた、なかなか優れものの映像を観たりしているうちに、1時間半後のバスの時間が迫ってきました。

↓ さきほどの高台を下から眺めたところ。ここを登り

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↓ モンテルキの丘からの風景も眺め

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モンテルキ1535〜アレッツォ1605

 帰りは余裕で先程の道を戻り、数分遅れのバスでアレッツォへ向かいました。アレッツオまでの道は中間に谷間の緑深い地区も通ります。その車道に黒人の女性の姿がぽつぽつ見え始めました。どうやら売春婦のようです。そのなかに朝バスで乗り合わせたあの少女たちの姿がありました。真っ赤な口紅をつけて。まだうちの娘たちより幼い感じですのに、ショックでした。世の中の理不尽さに心が凍りました。北と南、西と東、格差が世界を覆っています。このままでは済まない何か不吉な感じがしました。実際この旅の2か月もたたないうちにNYの9.11テロが起こったのです・・・。

 暗い気持ちでホテルに立ち寄り、預けた荷物を受取り、夕方の列車で次の宿泊地ペルージャへ。アレッツォ発1705〜ペルージァ着1809

ペルージアの宿は少々奮発して、ホテルブルファー二に2泊しました。

↓丘の上のホテルからの眺め

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↓一番安い部屋を予約したのに、なんと!スィートにグレードアップしてくれました。

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 疲れたのでルームサービスの夕食。サーモンの前菜他。味は普通。

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 昨夜とは雲泥の差のホテルライフ。ゆっくり入浴して疲れを取りました。


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