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2001年夏の旅(5)シエナ~アレッツォ [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

7/31(火)シエナ1230→アレッツォ1400  

アレッツオ/HOTEL CAVALIERE PALACE

 シエナの爽やかな朝を迎えました。裏庭での朝食を終え徒歩数分のシエナ国立絵画館へ。朝一番乗りだったせいか、ほとんど見学者のいない館内で良かったのですが、カメラ禁止のうえショップには絵葉書も目ぼしいものは売っていませんでした。

↓シエナ国立絵画館の入っている15世紀の館。内部は改装され自然光で明るいギャラリー。

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シエナ国立絵画館 Pinacoteca Nazionale 

 シエナ派のお好きな方は必見のギャラリーですが、シエナの市庁舎にあるものと比べると地味な印象を受けました。ここでの一番の見どころはアンブロージョとピエトロのロレンツェッティ兄弟の作品と彼らの先駆けとなったドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャです。画像はすべてアートギャラリーなどのサイトから拝借しました。正直、訪れた当時はあまり印象に残っていない作品もあり、すでに忘却の彼方なのですが、復習を兼ねてアップさせていただきます。

Duccio di Buoninsegnaドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(1255頃シエナ生まれ~同地にて1319頃死去)13世紀シエナ派の画家。1285年にフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の「ルチェライの聖母」(現在はウフィツィにある)、1308-11年にシエナ大聖堂の主祭壇「マエスタ」(現在は大聖堂付属美術館にある)を制作。ビザンティン美術とフランスのゴシック美術の影響がみられる。微妙な金色の線や繊細華麗な色彩を持ち、装飾的。14世紀のシエナ絵画(シモーネ・マルティー二やロレンツェッティ兄弟に多大な影響を与えた。ドゥッチョの作品はここシエナ国立絵画館に3点あります。

↓「フランシスコ会修道院の聖母」1300年頃23.5×16

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↓「シエナ28番の祭壇衝立」1305-10頃、128×234

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↓「シエナ47番の祭壇衝立」(1311以降)170×237

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 ドゥッチョの超有名な「マエスタ」以外のシエナにおける作品をここで確認できただけ良しとし、次のロレンツェッティ兄弟の作品に移ります。

Pietro Lorenzettiピエトロ ロレンツェッティ(シエナ1280/85~1348)14世紀シエナ派の代表的な画家。アンブロージョの兄。ドゥッチョの影響が認められることからその弟子であったと考えられている。また、アッシジではジョットの影響を受け優れた空間表現と、色彩人物の身ぶりに劇的表現が強い。弟アンブロージョと同じペストが原因で同じ年に亡くなったようだ。

↓オリジナルは5連祭壇画でしたが、現在は分割され焼失した部分もあるという「カルミネの祭壇画」の中央部分。「玉座の聖母子と聖ニコラウス、預言者エリアと4天使」(1329)165×148

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↓同じく「カルミネの祭壇画」のプレデッラの「ソバクの夢」37.3×45.2

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↓同じくプレデッラの「エリアの泉のカルメル会隠修士」37.3×45.2

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Ambrogio Lorenzettiアンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ1285頃~1348)兄ピエトロとともに14世紀シエナ派の代表的な画家。ジョットの絵画やアルノルフォ・ディ・カンピオなどの彫刻からも影響を受けた。遠近法に深い理解を示し、構図や図像は極めて独創的である。

↓「受胎告知」122×117

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 上の「受胎告知」も素晴らしかったのですが、ここで一番印象に残ったのは下の2枚。ヨーロッパ最初の風景画だそうです。数多の宗教画の中にこれらを発見した時は「さすが!アンブロージョ!」と感嘆しました。写真よりずーっと綺麗でした。

↓「海に面した都市 Citta vicino al mare」22.8×33

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↓「湖に面した城」22.5×33.2

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 ホテルに戻り荷物をピックアップして、タクシーでバスターミナルへ。この時のバスの時刻表はNETで調べていったのですが、一応ホテルのレセプションの女性に再確認しました。ところが、アレッツォへ行くバスはないわと言い張ります。「いいわ、バスターミナルに行ってみてダメだったら汽車にするわ」と出発。またもやツーリストで混雑する道をくねくね走ってバスターミナルへ。NETのバスの時刻表は確かでした。イタリア人の情報は当てにならない時も多いです・・・時々痛い目にあいました。

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 ランチをとる暇もなく、バスの中で水と手持ちのお菓子で細々とお腹を満たし、アレッツォに予定通り到着。駅から近いホテルを選んだのですが、騎士の館という名前とは裏腹の味気ないビジネスホテル風の宿。部屋も暗く狭い。

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☆ピエロ・デッラ・フランチェスカを巡る@アレッツオ

 今回の旅の目的の一つはピエロ・デッラ・フランチェスカの名画を訪ねることでした。なかでは一番の見どころである「聖十字架伝説」が長年の修復を経てようやく終了。サン・フランチェスコ聖堂のサイトで予約ができるようになったとの情報をがあり、良いチャンス!とスケジュールに組み入れました。予約は17:00なので、それまでに大聖堂や他の観光もするため、急いで外出しました。

↓駅前のホテルから結構傾斜のある丘を登って、炎天下の旧市街をドゥォーモへ。

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(1)「マグダラのマリア」(1460頃)190×180 アレッツォ大聖堂 絵葉書

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 左側廊の聖具室の扉近く、なんとなく落ち着かない場所に描かれている。カメラ禁止。
そのうえ天井の大工事中、騒然とした雰囲気のなかのマグダラのマリア・・・けれどもその部分だけは見事なほどの清々しさをあたりに漂わせていて、さすが。しかも堂々たる存在感のマグダラのマリア。
綺麗に梳られた髪の毛、香油壷の磨かれたガラス、やや伏し目がちだが、通常描かれることの多い悔恨のマグダラのマリアにみられる罪の意識におびえた様子はまったくない。

清潔感あふれる柔らかな色調はウエイデンの「読書するマグダラのマリア」に匹敵する。
フランドルのお嬢様VS質素なイタリアの田舎娘と言ったところか。(マイHPから転載)

↓ ウェイデン「読書するマグダラのマリア」 ロンドン・ナショナル・ギャラリー(絵葉書)

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↓ この後は坂を下りグランデ広場へ。後ろに見えるの鐘塔がサンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教会です。

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↓ イタリアの美しい広場は数々あれど、一番好きです。

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↓ 傾斜のある広場の上の方に開廊のある建物。このカフェでお茶しました。

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 アレッツオは映画「ライフ イズ ビューティフル」の舞台、この広場のシーンも印象的でした。広場の片隅のショップに映画のポスターが貼ってありました。それを眺めていましたら、小さな男の子を連れた若いご夫婦がきました。ママが日本人らしいので、つい注視したのですが、それを避けるような感じでさっさと独りで向こうに行ってしまいました。日本人の私を疎ましく感じているのがありありで、少々淋しい想い。ところがパパが気を使ったのでしょうか、いろいろ話しかけてきて、オランダから来たこと、妻のお母さんが日本人、なのでこの子はクオーターだと、笑顔。「こんにちは」と日本語で4,5歳くらいの子に話しかけたのですが、パパは「全然日本語は教えてないんだ」と残念そう。日本人のママよりオランダ人のパパの方が、日本に好印象と興味を持っているようでした。映画に出てくるあの男の子と同じ年頃の日本人の血が混じった可愛い男の子とこの広場でのひととき。忘れられない一コマです。

 そのせいか広場から見えるサンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教会の後陣をカメラに収めるということを失念。正面の写真も狭い道に面していますので、撮れませんでした。

↓なので、NETから拝借しました。

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☆サンタ・マリア・デッラ・ピェーヴェ Santa Maria della Pieve教会

 教会のファサードは残念なことに、扉口を中心に修復中。ピサ=ロマネスク様式らしい小開廊が上部に並んでいるのを確認しましたが、工事中の上、狭い道路に面しているため、じっくり眺めることもなく内部へ。

内陣はクリプトの上にあり、14世紀シエナ派のピエロ・ロレンツェッテイの多翼祭壇画が、見上げるような高い祭壇にドンと置かれています。11世紀から始まった教会建築はそれぞれの時代にあわせた改築を重ねた末、19世紀にはもとのロマネスク様式に戻る修復がなされたそうです。私の目は自然にホンモノのロマネスクは何処?と探しますが、
暗い堂内にみつけたのは側廊にあった浮き彫りは

↓「マギの礼拝」。(絵葉書)

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後期ロマネスクでしょうか?鼻が高い大人顔の面々、他に比べて大きく彫られた聖母は、頼りになる教区のマリアさま(教会の名)にふさわしいと微笑ましくながめました。

 内部は三廊式、クリプトの上にある内陣はこの教会の中で一番古い部分です。主祭壇にはシエナ派のピエトロ・ロレンツェッティの多翼祭壇画が暗い堂内に金色の光を放っています。

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 上の浮彫の素朴な聖母子と優美なルネッサンス初期の聖母子、美の系譜がじかに伝わってくるような名画です。

↓ 教会の通りにある中世の館

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↓ 予約した時間になり、サン・フランチェスコ教会へ。下の絵葉書のように「えっ!ここにあるんですか?」と地図に確かめるほど素朴なファサード(未完成)の佇まい。

(2)「聖十字架伝説」

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 チケットは教会に向かって右の建物の(i)で名前と時間を申告してゲット。この時の旅の資料にチケットが残っていました。チケットの裏表です。

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 教会に入ってすぐ後陣のフレスコが、なかでも私の好きな「コンスタンティヌス帝の夢」(下右)が目に飛び込んできた。

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 まるで恋人にでも会う時のように胸が ドキドキと高鳴ってくる。思ったより狭い後陣には既に熱心な先客が10人ほど静かに鑑賞中。予約がないと後陣に入ってまじかに鑑賞ができないようになっている。そのシステムを知らずにきた人も結構多いようだった。しかもこの時は夕方だったので、申込みは終わったと近くで観たいという人たちにけんもほろろな対応・・・。

 珍しい主題の捉え方、描写については多少調べは済んでいたが、実物を前にその迫力には圧倒された。イタリアへ旅立つ直前に偶然、美術史の先生からいただいたのが「ソロモンの橋」についての解説。それには「橋」という単語は聖書にはでてこないこと、つまりはこの物語は聖遺物崇拝とその収集が盛んに行われた中世のカルトの一環であること。キリスト教=聖書のイメージから切り離して鑑賞する必要があるというわけだ。それを念頭に入れ「アダムの死」から順番に観ていく。
生き生きと描かれた跪いて聖木の橋を礼拝するシバの女王をはじめ、どの場面も神秘的で壮大なストーリー、そのなかにピエロ独自のおおらかな詩情があふれている。(マイHPから)

 ↓「アダムの死」

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↓「橋の礼拝/聖木を礼拝するシバの女王」

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 朝のシエナ派から始まった長い美を巡る一日も終わりました。さすがに目も頭も飽和状態でホテルに戻りました。夕食はホテルの入り口右にあったトラットリアで簡単に済ませました。さて、明日もピエロ・デッラ・フランチェスコの名画巡りは続きます。

 



 

            


 



 



     


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