SSブログ

2001年夏の旅(7)ペルージア [2001夏イタリア美術とオペラの旅]

8月2日(木)

 朝のペルージアの下の町の眺め(聖ドメニコ教会方向)。今日も良いお天気です。

DSCF0013.JPG

正面にも小さな教会が見えました。

DSCF0024.JPG

 

 

 

 今日は連泊なので1日中ペルージアの観光ですから、のんびりハイソな朝ごはん(シャンパンやスィーツが並んでいました)をいただいて、ホテルの外に出てみれば、このホテル自体がペルージアの観光名所になっていて、写真を撮ってあげたら、お返しに撮っていただきました。

DSCF0025.JPG

 

 

 ペルージアは1991年にツアーで初めてイタリアに来たとき、アッシジへの道すがら遠望したことがありましたが、初訪問です。ウンブリア州の県都でもあり、豊かな緑に囲まれた美しく、エトルリア時代からの旧い歴史のある街が丘の上に城壁に囲まれています。ホテルの部屋から見えた下の町にも街区は広がっています。

↓ホテルからまっすぐのヴェンヌッチ大通り。左手の角は何度か行った書店。この近くには書店が多く、さすがペルージアは国際的な大学のある街です。

DSCF0038.JPG

11月4日広場の手前にウンブリア国立美術館の入ったプリオリ館(ゴシック様式)があります。

DSCF0026.JPG

☆ピエロ・デッラ・フランチェスカ巡り@ペルージア

ウンブリア国立美術館

「サンタントニオ多翼祭壇画」(ペルージアの祭壇画)1470頃 338×230

 
 ここでもピエロの祭壇画は別格の扱い、特別につきっきりの係員が監視しています。祭壇画の前にはベンチが置かれ、ゆっくり鑑賞できます。最近購入したRIZZOLIの画集にも触れられていますが、この祭壇画は相当弟子の手が入っているらしいのです。確かに受胎告知と中央の聖母の顔に固さと違和感はあります。だがロンギの説に肩入れするわけではないのですが、聖人や衣裳、構図にみられるピエロ風の優れた描写は充分に満足できるものです。
特にプレデッラ(下部)中央の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」、夜景好きな私にとっては嘆息がもれるほど美しい・・・右上に現れる6つの赤い翼をもつキリストから発せられる霧のように繊細な光線の神々しさ、それが夜の暗闇のなかでの聖人をより神秘的に見せています。濃淡のグレイと茶色の組み合わせも好ましく、ただ見つめていました。ここのブック・ショップは名ばかり、肝心のピエロの絵葉書がありません。絵葉書蒐集家の私は大いに不満でした。

↓それでNETから拝借

300px-Pollittico_sant_antonio.jpg

 ペルージア出身のペルジーノのコレクションが目立ったほかはウンブリアで活躍した画家たちの抒情的な美しい作品が多く、最後は甘すぎて(笑)食傷気味になりました。

↓ そのなかで目立った一枚はGiovanni Boccatiの「Madonna del Pergolato」1447 聖母子の後方にずらりと並んだコーラスの天使たちが可愛い~!

Boccaccio.jpeg

↓同じくBoccatiの「Madonna dell'Orchestra」

2001.2.jpeg

↓ Orazio Gentileschiオラツィオ・ジェンテレスキ(1563~1639)の「サンタ・チェチェーリア」はカラヴァッジョの影響を受けた色彩と背景から浮き出るような画面構成です。娘のアルテミシアと共に17世紀バロックの画家として活躍しました。

2001.1.jpeg

↓11月4日広場。広場の中央にフォンターナ・マッジョーレ(大噴水)、後方に大聖堂。

DSCF0030.JPG

DSCF0029.JPG

☆大聖堂 以前のロマネスクの後に14世紀にゴシック様式で建立。ファサードは工事中でしたが、内部は見学できました。上の写真でもお分かりのように、外観は教会というより館の風情であり、内部もごたごた飾り付けられています。ここの聖遺物は聖母の結婚指輪ということです(眉唾っぽい 笑)が1年に一度の公開はつい先日(7/30)だったようです。

  ランチは大聖堂の裏側のレストランのテラス席で。イタリア語もわからず前菜の盛り合わせを頼んだつもりでしたが、出てきたのはハムの山盛り、それにパスタも山盛りで1/2を消化するのがやっとでした。味は普通。食後はペルージアの旧市街の散策です。いろいろな旧市街を歩きましたが、ここは格別に難しい、そして中世そのままの迷路でした。

DSCF0031.JPG

DSCF0032.JPG

↓ 坂道の突き当りがサン・ベルナルディーノ教会の建つ広場です。

DSCF0033.JPG

☆サン・ベルナルディーノ教会はルネッサンス様式でファサードの彫刻装飾が素晴らしいオラトリオです。内部はゴシック様式。主祭壇は4世紀の古代ローマの石棺。

隣接のサン・フランチェスコ・アル・プラート教会は工事中で見学不可でした。

DSCF0034.JPG

ここからは午後の強い日差しを浴びて、めまいを起こしそうになりながら(建物がまばらなので日陰がない)遠回りして、旧城壁の北側まで歩きました。

↓ エトルリア門の近くに階段状の大聖堂に抜ける道があり、力を振り絞って登りました。

DSCF0035.JPG

坂道の上に橋が架かっていたり、立体感のあるペルージアの旧市街の面白さ。疲れましたが、忘れられない街歩きでした。ホテルに戻って休憩してから、南側の国立考古学博物館やサン・ドメニコ教会に行く予定でしたが、暑いこともあって気力がわきません。それで、夕方になってから涼みがてらホテルの前の大きな館(Plazzo della Provincia)に行ってみました。エスカレーターがあり地下道かと思って降りてみますと、そこは古代の町の遺跡らしいところで、かなり広いのです。通行人もまばらで怖くなって途中から引き返したのですが、そういう遺跡があるとの目立った表示もなく、不思議な場所でした。

 夕食は本屋さんのマダムに美味しいところご存知か聞いてみましたが、外食はあまりしないのでわからないけれど、近くの食料品屋のご主人に聞いたらいいわとのアドバイス。早速そのお店に行って紹介してもらいました。地図も書いて、予約の電話も入れてくれました。

↓レストランDel Soleで、テラスの席は蚊が来るからと断ったのですが、ここは標高が高いから蚊は来ないというのです。確かに蚊に刺されずに済みました。お勧めの炭焼きの肉や魚、野菜もシンプルで美味しかったです。

DSCF0039.JPG

 美味しい夕食で1日が終わりました。素敵なペルージアの夜、人も通りのカフェなどに沢山出ていますが、騒々しさはなく、落ち着いた大人の町です。何の不安もなくホテルに戻りました。

 今日のペルージアで今回の旅の「ピエロ・デッラ・フランチェスカ巡り」は終わりました。フィレンツェやシエナは観光客で大層賑やかでしたが、アレッツォ、サンセポルクロ、モンテルキはぐっと観光客の姿はまばらになり、日本人は一人も見かけませんでした。
周りの美術好きな友人でピエロを知らない人は皆無と言っていいほどメジャーです。でもこの2001年当時は一般のイタリア・ツアーのコースに入っていないこともあって日本から訪れる人は極少ないころでした。ですから、こういう旅は個人でプランをたて、歩くしかなかったのです。イタリア語もほんのカタコトのか弱い?おばさんの一人旅でも行かれるくらいですから(特に危険なこともなく)誰でも簡単に自分のプランでピエロ巡りができるのではないでしょうか。
私はバスを利用したため、アレッツォに1泊しました。フィレンツェから日帰りすることも可能ですが、3箇所巡るためにはタクシーかレンタカーでの訪問をおすすめします。

夾竹桃の咲く広場、ひまわり畑を背景に丘の町が点在する田舎の道、または
渓谷の山道をゴトゴトとバスに揺られて訪ねたピエロ・デッラ・フランチェス
カの名画・・・2001年夏の旅は忘れられない想い出の旅になりました。


     




nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。