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(15&16)チューリッヒ~千歳 [2002初夏友人たちとヨーロッパの旅]

7/9(火)チューリッヒ17:30→


 今日は帰国の日ですが、夕方の便なので、チューリッヒ美術館とスイス国立博物館の見学をしました。先ずはホテルから徒歩で10分くらいのチューリッヒ美術館へ。


☆チューリッヒ美術館Kunsthaus Zurich(2)

チューリッヒは14世紀初頭から市民の自治を実現し、経済的に豊かな都市でした。市民の文化と教育への関心も高く1787年には美術館設立を目指し、1910年に念願の美術館をオープンしました。中世から現代まで幅広いコレクション。なかでもホードラー、フュースリ、ベックリーン、セガンティー二、ジャコメッティはここの美術館の至宝と言えるでしょう。

1996.9に次女と訪れていましたので6年ぶりの再訪。


↓中世の部屋

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↓フュースリのコーナー


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↓フュースリ「3人の魔女」1783 65×91.5  シェイクスピア『マクベス』から。


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同名のヴェルディ作曲のオペラのほか「ファルスタッフ」や「真夏の夜の夢」からのモティーフも。


↓セガンティー二「編み物をする娘」1888 53×91.6(絵葉書)


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↓現代絵画の展示室では子供たちもアーティスト?楽しそうに描いてました。


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次は中央駅近くに建つ古城風建築のスイス国立博物館へ。


☆スイス国立博物館Schweizerisches Nationalmuseum (初)先史時代からのスイスの歴史と文化を紹介。スイス連邦成立50周年を記念して1898年に建築&オープン。

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↓ 中世のコーナーからロマネスクの彫刻2体(Zodiaque/Suisse Romane から)


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駅構内のカフェでビールやサンドイッチでランチ。タクシーでホテルに戻り、スーツケースを受け取り空港へ。出発まで3時間もあったのですが、チェックインできました。ただ当時の古い空港は免税店も少なく、最後にショッピングの予定が狂ってしまいました。JAL便だったのですが、機内販売もゴディバのチョコもランコムなどの化粧品も積んでなくてがっかり。


7/10(木) →成田12:30/18:30→千歳20:05


席はFAの前(エコノミーでは一番前の席)でした。3人とも疲れてましたから機内でも、乗り換えの成田のカード会社のラウンジでも、ほとんど寝て過ごし千歳着、解散。この時の旅行の後は琵琶湖ホールや東京のオペラ観劇に3人で出かけ、仲良くさせていただきました。


特にE子さんとは何度もヨーロッパ・オペラの旅、地元のオペラ鑑賞教室などご一緒することも多く、温厚で優しいお人柄で大好きでした。しかし残念なことですが、現在は静養中になられお目にかかれる機会もなくなってしまいました。この時の旅も彼女との大切な思い出としてアップしました。ミュンヘンで寒かった時、彼女はいつも地味な洋服なので、Iさんと無理矢理赤いジャケットを買わせたこと。それを着て恥ずかしそうに笑っていたE子さん。あなたが何もかも忘れてしまっても、私が生きているうちは決して忘れないようにしたいです・・・。END





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(14)チューリッヒ(ルツェルン) [2002初夏友人たちとヨーロッパの旅]

7/8(月)


 朝はのんびり朝食を取った後、中央駅から列車でルツェルンへ。

↓湖からルツェルン駅方向


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快晴の夏の一日、スイスの湖畔の街の観光です。ただ残念だったのはルツェルン郊外にあるワーグナー博物館が月曜日で休館だったことです。

↓ルツェルンのシンボル、屋根の付いたカぺル橋


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↓旧市街


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カぺル橋を眺めながらロイス川の畔に並ぶレストランのなかからイタリアンを選んで、美味しいビールで乾杯。リゾットは?のお味。午後からはルツェルン駅前のインフォで湖畔巡りボートツアーのチケットを買って、出発。

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 湖と湖畔や小高い山に点在する小さな村や町の景観をのんびり楽しみました。下車観光なしで2時間程度の湖上遊覧を終え、列車でチューリッヒに戻りました。


☆グロスミュンスター大聖堂/チューリッヒ(初)

 1100年頃着工したのですが完成したのはその110年後。外観はロマネスク様式ですが、高くそびえる二つの塔は18世紀の火事によりネオ・ゴシック様式に建て替えられたもの。内部のシャガールやジャコメッティによるステンドグラスが有名。回廊やクリプトにロマネスク様式が残っていますが、見学不可でした。教会内も撮影禁止。


↓プラン


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↓ジャコメッティによるステンドグラス


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 夕食は隣の同系列のホテル1階のイタリアレストランで。スイスの白ワイン、前菜3種、ラムのローストで旅の最後のディナー。私が2日ほど消化不良で心配おかけしてしまいましたが、そのほかは3人とも元気で旅を続けることができました。乾杯!!!


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(13)チューリッヒ(ヴィンタートゥール) [2002初夏友人たちとヨーロッパの旅]

7/7(日)


 今夕は私だけ『オテロ』を観るので、あまり遠くへは行けません。友人たちはベルンへ、私はヴィンタートゥールへと別行動。チューリッヒからヴィンタートゥールまでは急行で25分。ここでのお目当ては「オスカー・ラインハルト・コレクション」です。実はここの富豪の家に生まれたオスカー・ラインハルトの収集した美術品は2つの美術館に分かれています。私はオールドマスターから印象派までを主に展示されている郊外の「オスカー・ラインハルト・コレクション・アム・レーマーホルツ」へ。もう一つのほうは「オスカー・ラインハルト美術館」と呼ばれて市内中心の市立公園に位置していて、世紀末のベックリンやホドラー、ドイツロマン派のフリードリッヒなどを展示しています。


さて、駅から「オスカー・ラインハルト・コレクション・アム・レーマーホルツ」までは1時間に1本ほどのバスがありますが、時間が合わずタクシーで向かいました。2Kほどの距離なので徒歩で30分くらいですが、丘を上るのでちょっときついかも。


☆オスカー・ラインハルト・コレクション・アム・レーマーホルツOSKER REINHART AM ROMERHOLZ(初)

 1958年オスカー・ラインハルトはレーマーホルツの自邸と土地とともにコレクションをスイス連邦に譲渡(改変しないという条件付きで)、公開されています。邸宅の南は芝生の庭園、北の背後は森林の広がる素晴らしい場所にあります。森林はハイキングやウォーキングの人たちが入っていくのが見えました。フット・パスが整備されているようです。


↓門から入りますと


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↓左に旧オスカー・ラインハルトの邸宅。右側に増築したらしいギャラリーの建物。


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玄関ホールはチケット売り場やブックショップ、その奥の居間だったらしい暖炉のある部屋にオールドマスターの作品が展示されています。


↓グリューネヴァルト「手を組んで嘆く女性」1512-1515頃 写真では鼻の下が黒く写ってしまいましたが、顎も含めて毛深い女性なのです。大事な人を喪った嘆きの声も聞こえそうな、グリューネヴァルトの痛いほどのリアリズム。美しく描くことより大事なものを描こうとしたのですね。「きれいは汚い、汚いはきれい」・・・。


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↓同じ部屋にヘラルド・ダーヴィッド「ピエタ」  哀しみの聖母マリアの蒼白な横顔に胸を突かれました。


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↓シャルダン「トランプの城」同主題の作品がロンドン・ナショナルギャラリーに、また模作ががパリのコニャック・ジェイ美術館にあります。遊びに夢中のバラ色の頬の少年が初々しい、魅力的な作品です。


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↓居間から渡り廊下を経て別棟のギャラリーへ。マネ、クールベ、ゴッホ、ドーミエなどの名画を自然光を取り入れた展示室で静かに鑑賞できました。


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↓ゴッホ「アルルの施療院の庭」1889 73×92 ゴッホは特にアルル時代の作品が素描も含めて数枚あり、どれも印象に残っています。

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カフェで一休み後タクシーを呼んでもらって駅へ戻り、列車でチューリッヒへ。中央駅の近くで中華飯店を見つけたので、焼売などの簡単なランチをとりました。味は普通ですが日本の3倍はするお値段でした。ただし余った焼売は夜食用に持ち帰りして、トラムでホテルに戻り仮眠。


♪~ヴェルディ『オテロ』20:00開演@チューリッヒ歌劇場


指揮・・・Vladimir  Fedoseyev   演出・・・Sven-Eric Bechtolf

オテッロ・・・Jose Cura   デズデモーナ・・・Daniela  Dessi 

イアーゴ・・・Ruggero  Raimondi  エミーリア・・・Bugitte Pinter    ロドリーゴ・・・Miroslav Christoff

オーケストラ&合唱・・・チューリッヒ歌劇場管弦楽団&合唱団

席は平土間やや後方の中央

 

 今回の旅の最後を飾るオペラは宇宙船内で起こった愛憎ドラマとしての演出です。舞台奥に大きなスクリーン、動く宇宙船から眺めた無限の空間が全幕とおして映し出されます。最初の嵐の場面ではそれが惑星の衝突のシーンと変わります。フェドセーエフの指揮はそのドラマティックな場面にあわせた素晴らしいもの、まったく新しいヴェルディに聞こえます。これは賛否両論かとも思うのですが、私は感動しました。オーケストラも昨日より格段に良く、この劇場の響きを堪能できました。最近評判のあまり良くないクーラのオテロ船長、宇宙船の閉ざされた空間のなかで、次第に妄想を深め心理的危

機状態に陥っていくさまを歌い、熱演。ただ、演技に比べると歌唱の表現が深くないので、こちら

に伝わってくるものが薄いのです。今夜のような努力を積み重ねて大成するしかないとつくずく思わされました。デズデモーナのデッシー、やはり働き過ぎ?(ミュンヘンで聴いたばかり)で調子が悪く、後半は代役が歌いました。この歌手の名前はその時はわかりませんでしたが、クーラの助けもあって、無事に歌い終わり、沢山の暖かい拍手をもらいました。代役のお知らせのとき、多分「ドレスがあ

わないのでご勘弁を」との説明があったのでしょう。観客が爆笑してて?。

背丈は良いのですが、胸がブカブカでした(^^;)。ライモンディのイアーゴは頭髪も短く、宇宙服も似合って、昨年のスカルピアに較べるととても若々しくみえました。第二幕、イアーゴの悪魔的な冷酷さを見せつける場面も圧巻。嫉妬に狂うへなちょこ?オテロより魅力的に見えてしまいます。代役が頑張ったとはいえ、デッシーの「柳の歌」と「アヴェ・マリア」が聞きたかったです。

ミュンヘンのアリーチェが素晴らしかっただけに、残念な気持ちが強いです。

 

↓オテロのホセ・クーラー(プログラムから)

 

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 追記:帰国後、代役の名前が判明しました。なんとエレーナ・プロキナでした。何ヶ月か後、偶然

彼女の歌う『エフゲニ・オネーギン』(グラインドボーン)を観る機会がありました。素晴らしいタチアナでした。

 

終演は11時過ぎ。今夜で今回の旅のオペラ観劇は終了です。アラーニャのキャンセルやチケット屋の夜逃げなど残念なアクシデントもありましたが、それぞれが想い出に残る舞台に接することができました。明日一日はのんびり観光することにします。

 











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(12)ミュンヘン~チューリッヒ [2002初夏友人たちとヨーロッパの旅]

7/6(土)ミュンヘンHbf12:14→チューリッヒHbf16:29


Zurich/Hotel Ambassador  3泊(シングル780CF(3泊分朝食込)


  雨模様の朝、ホテルをチェックアウトし、タクシーで中央駅まで。

↓列車に乗る前のIさん、E子さん


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駅構内に焼きソーセージ屋さんがあり、テイクアウトして、列車のなかで車内ランチ。列車は西へ国境を越え、ところどころに美しい湖の眺めを楽しみながらほぼ定刻にチューリッヒ中央駅に到着。チューリッヒは今回の旅の最後の滞在地です。なるべく歌劇場の近くに泊まりたかったので、劇場真裏のホテル・アンバサダーに3泊しました。スイスは物価が高いので、今回の旅の中では一番高いホテル代になりました。当時のレートで1泊2万円くらいでした。

ホテルはネットで予約できたのですが、問題だったのはオペラのチケットです。この時はFAXで申し込み、代金は銀行振り込みだったのです。そのためパリやミュンヘンに比べるとかなり高額になりました。そのうえ追加のチケットがとれたかどうかの返信が遅れ、「椿姫」を1枚余分に取ってしまったのです。ホテルで休養する間ももどかしく、開演1時間前に劇場の前に立ちチケットをさばこうとしましたが、上手くいきません。そんな私をみかねて、親切な青年が窓口に一緒に行って、売り場の人に払い戻しを頼んでくれました。当然キャンセルはできません。あきらめて、上の天井桟敷の席というこの好青年に差し上げると言ったのですが、上階のほうが音響が良いからと辞退されてしまいました。
そこへチケットの当日券を買いに現れた若い女性。窓口の係りに見られないように、陰に隠れてこっそり交渉。結局半額で譲ることになりました。この女性はロシア人で、お化粧や雰囲気がバレリーナのようで綺麗な方。舞台が終わった後、良い席で素晴らしいオペラが聴けたわと感謝され、嬉しかったです。

 

♪~ヴェルディ『椿姫』 19:30開演@チューリッヒ歌劇場



指揮:カルロ・フランチ    演出:ユリゲン・フリム

ヴィオレッタ:エヴァ・メイ   アルフレッド:ジュセッペ・フリアノーティ
ジェルモン:レオ・ヌッチ


席はファーストカテゴリー2階バルコンやや左の前列27100円(振込手数料込み)

 

 

 

さて、この公演のお目当てだったハンプソンはキャンセルの張り紙。がっかり。でも代役がヌッチなので、あまり文句も言えない気がしました。
エヴァ・メイはとても綺麗な声と容姿なのですが、繊細ではあるが、ヒロインとしては優等生的という感じで、線が弱いのが私には物足りなく思えました。フリアノーティとヌッチはまあまあ。小振りでクラシックなチューリッヒ歌劇場は気にいったのですが、この日の演奏にはいまいち乗れなかったのは友人たちも同様とのこと。ヴェルデイのドラマチックな盛り上げに欠けた舞台は少々残念。簡素な舞台装置も地味過ぎだったのです。
華美で空虚なデミ・モンドの世界から最後の薄幸なヴィオレッタの天に召されるシーンまで。文学的演劇的な表現がオペラとして昇華されないと、「椿姫」を観たと言う満足感は得られないのでしょう。オペラにのめりこむようになって数年。なかでも「椿姫」は道新教室でも一番多く鑑賞し、実舞台も札幌やオランジュ、パリと観てきました。

生意気にも求めるものも高くなってきているのかもと感じたチューリッヒの夜。。。

隣席の日本人のシニアの男性の方、今年のチューリッヒはぱっとしないと翌日観る予定の『オテロ』も酷評。(う~ん 聞かなければ良かった 汗)

 

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終演は10時半ころ、夜食はホテルのレストランが満席とのことで、ロビーにビールやチーズ、サラダなど運んでもらい、おしゃべりしながらいただきました。

↓バルコンの席で

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参考映像:GIUSEPPE VERDI『LA TRAVIATA』

 

 
ヴィオレッタ・・・・・テレサ・ストラータス(ソプラノ)
フローラ・・・・・・アクセル・ガル(メゾ・ソプラノ)
アンニーナ・・・・・ピーナ・チェイ(ソプラノ)
アルフレード・・・・・プラシド・ドミンゴ(テノール)
ジェルモン・・・・・・・コーネル・マクニール(バリトン)
ガストーネ子爵・・・マウリッツオ・バルバチーニ(テノール)
ドゥフォール男爵・・・アラン・モンク(バリトン)
ドビニー侯爵・・・・・リチャード・オネット(バス)
医師グランヴィル・・・ロバート・ソファー(バス)
ジュゼッペ・・・エルネスト・ガヴァッツイ(テノール)
フローラの召使・・エルネスト・パナリエッロ(バス)
使者・・・・シルベストロ・サッマリターノ(バス)
管弦楽:メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団
バレエ:ヴォリショイ劇場バレエ団
指揮・音楽監督:ジェイムス・レヴァイン
監督・脚本・美術:フランコ・ゼッフィレルリ
制作:1982年 ローマ 
*道新教室でみた映画版のもの。さすがゼフィレッリ!豪華版

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(11)ミュンヘン [2002初夏友人たちとヨーロッパの旅]

7/5(金)

 この日も友人たちとは別行動。喧嘩をしたわけではありません。先日体調が悪くなってノイエ・ピナコテークをパスした私に配慮してくれたのです。一緒に外出して、彼女たちが見つけた近くの日本食のレストランを教えてもらってから分かれて、私はノイエ・ピナコテークへ。一昨日、アルテ・ピナコテークで購入済みのコンビネーションチケットを使えました。寒いくらいだった昨日と違い、今日は暑くなりました。


☆ノイエ・ピナコテークNeue Pinakothek(2)

  1995年に次女と訪れていますので、今回は19世紀のドイツ絵画を主に鑑賞することにしました。ドイツロマン派からナザレ派、そしてベックリーンから始まる近代への歩み。世紀末ミュンヘン(ユーゲントシュティール)の美学も見逃せません。そして20世紀に入るとミュンヘンで結成された<青騎士たち>カンディンスキー、クレーなど。シュトゥックやマルクなどあまり知られていないけれど忘れがたい作品にも会える美術館です。


↓JOHANN FRIEDRICH OVERBECK オーヴァーベック「イタリアとゲルマニア」1828 (94.4×104.7)


左の月桂冠の女性はイタリアを右のブロンドの女性はゲルマニアを表しています。ナザレ派の画家はローマで宗教的な共同生活を送り、宗教美術の刷新を目指しました。この作品はドイツ中世への回帰と南方イタリアへの憧れが背景の景色とともに描かれています。



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  Arnold Böcklinベックリン「波間の戯れ」1883 180.3×237.5
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↓シュトゥック「原罪」1893年 96×59.7  蛇が絡みつく女=原罪のエヴァとは簡単に推察できない何かがうごめいているような怖い作品です。世紀末の男を破滅へと導く「ファム・ファタル」、革新的な俗悪さに秘めた世紀末の象徴主義。当時のミュンヘンの画壇に君臨したシュトゥックはミュンヘンで発行された芸術誌「ユーゲント」の中心人物でもあり、時代の寵児だったのです。


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初回の訪問で紹介したクリムトやクノップフの名品を鑑賞後、館内のカフェでビールとサーモンのパスタのランチ。帰途、和食屋で夜食用にお寿司をお持ち帰り。仮眠の後、生寿司のほうを少し食べてから劇場へ。


♪~ベッリーニ『清教徒』19:00~ @バイエルン州立歌劇場


舞台は私の好きなロマネスク聖堂風な建物、石壁が厚くシンプルな窓から

さす光は柔らかい。衣裳の色遣いも抜群のセンスです。プログラムには

↓ヴァン・ダイクの「Konigin  Henritta  Maria」の美しいチャールズ1世の妃の肖像画。

 

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エルヴィラの衣装や髪飾りなどはこの絵を参考にしたようです。このモデルはフランスからイギリス王家に嫁いだエンリッタ(劇中ではイタリア名エンリケッタ)オスカー・ワイルドの同名の詩が添えられて興味をそそられました。

エルヴィラの淡いグレイのサテンのドレスが石壁に美しく映えて。グルベローヴァのあの!!狂乱のコロラトゥーラは鳥肌のたつほどの感動。人間の声でこんなにも清らかで一途な表現ができるものなのか・・・と。

観られなかった東京でのボローニャ引越公演ではアルトゥーロをサバティーニが歌って大喝采だったそうですが・・・さて、ミュンヘンでのクンデです。尻上がりによくなったものの序盤は苦しげでした。

高音も振り絞ってようやくという歌唱で、がっかり。クンデはこの後だったと思いますが、「トロイの人々」(パリ・バスチーユ)は素晴らしく、復調してました。合唱は良かったのですが、他の歌手たちはほとんど印象に残らないほど・・・圧倒的なグルベローヴァの歌唱でした。。舞台袖のバルコン(右側・

)にずーっと詰めてらしたヨナスさんに、カーテンコールのとき誇らしげな笑顔で会釈するグルべ様でした。生きているうちにこれ以上のエルヴィラを聴くことはないでしょうねと友人たちと話しながら満足感と寂寥感、複雑な気持ちを抱えてホテルに帰りました。

 

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参考映像:Vincenzo Bellini『I Purtani』  2001 バルセロナ・リセウ劇場ライヴ盤

 

指揮:フリードリッヒ・ハイダー   演出:アンドレ・セルバン

 

ヴァルトン卿:コンスタンティン・ゴルニー   ジョルジョ:シモン・オルフィラ    アルトゥーロ:ホセ・ブロス   リッカルド:カルロス・アルバレス   エンリケッタ:ラクエル・ピエロッテイ

エルヴィラ:エディタ・グルベローヴァ

 

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参考CD:Bellini『I Puritani』1953録音

 

指揮:トゥリオ・セラフィン  オーケストラ:ミラノ・スカラ座管弦楽団

 

エルヴィーラ:マリア・カラス   アルトゥーロ:ジュセッペ・ステファノ   リッカルド:ロランド・パネライ

   ジョルジョ:二コラ・ロッシ・レメーニ   ブルーノ:アンジェロ・メルクリアーノ   ヴァルトン:カルロ・フォルティ   エンリケッタ:オーロラ・カッテラーニ

 

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(10)ミュンヘン [2002初夏友人たちとヨーロッパの旅]

7/4(木)

 今日は私一人がオペラ観劇『ワルキューレ』です。開演16:00なのであまり時間もなく、天気も悪いので近くを散策することにしました。州立劇場に隣接するレジデンツを見学。旧バイエルン王国ヴィッテルスバッハ王家の王宮。現在は博物館や劇場として公開されています。11時のからくり時計に間に合うように駆け足で回りマリエン広場へ向かいました。日本人ツアーの人たちに交じって見学。それにしても盛夏とは思えない冷たい雨が降ってきました。近くのデパートに駆け込み、厚手のレインコートや木綿編みセーターなどの買い物。どちらもサイズが合わず大きすぎですが、意外に重宝しました。宿に戻り休憩後劇場へ。


これまでの私の数少ないオペラ体験の中で、もっとも強力な印象を与えてくれた演出家はヘルベルト・ヴェルニケでした。彼の演出する『ワルキューレ』がミュンヘンであるとのことで、旅の予定はこの公演を中心に立て、無事にチケットも2月に予約。とても楽しみにしていたのです。

ところが、ヴェルニケは4月にバーゼルの路上にて倒れ、急逝してしまったのです。享年56歳。
そのニュースは地元の北海道新聞にも載ったほど。クラシック界のニュースはあまり取り上げられないので、夫が見つけ教えてくれました。ショックで、しばらく呆然。。。

ヴェルニケは自分の演出ではいつも装置や衣装も手がけ、その隙無く構築された舞台には魅了されました。女性歌手の衣装は常にエレガントなドレス姿。横向きに配する立ち姿の美しさは今でも目に焼きついています。時には大胆な読み替えも、私には少しの違和感もなく、洗練され、知的な刺激に満ちたものでした。完成することはなかったのですが遺作となった『ワルキューレ』。プログラムにも追悼記事が組まれ、ヨナス氏やニケ・ワーグナー女史の追悼文などに、多くのページが割かれています。ドイツ語なので読めないのは残念。


↓ワグナーの像を見上げるヴェルニケとニケ・ワーグナー?プログラムから転載


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 いよいよ幕が上がり、序曲が始まると胸が詰まり、熱いものがこみ上げてきました。今はただ冥福を祈るだけ・・・。


♪~ワーグナー『ワルキューレ』16:00開演 席は平土間前方左端。


指揮:ズービン・メータ  演出:ハンス・ペーター・レーマン/コンセプト:ヘルベルト・ヴェルニケ

ジークムント:ペーター・ザイフェルト   ジークリンデ :ワルトラウト・マイヤー
  ウォータン :ジョン・トムリンソン     ブリュンヒルデ:ガブリエレ・シュナウト
  フリッカ      :藤村実穂子             フンディング :クルト・リドル



 歌手たちも錚々たるメンバーを集め、メータの明快な指揮やオーケストラの輝かしい響き。席も平土間の前(4.5列目?)の左側。打楽器がやや左壁に反響するのにも慣れてきて、ワーグナーの世界にどっぷり。
舞台はバイロイトの歌劇場の内部を模して、中央にはワルハラ城の小さな模型が見える。1幕で剣を抜くシーンはトネリコの木が中央に倒れて置かれていて、意外に簡単に抜いてしまうのであれれ!マイヤーが昨年のウィーンの時より痩せていて、そのためか声にあのときの艶やかさには及ばない。ジョン・トムリンソンは全盛期を過ぎたとはいえ、この役はやはり彼しか考えられない。
2幕の騎行の場面、乙女たちは華やかなロングドレスにミリタリーなカーキ色のトレンチコートスタイルで、せっせと戦死した兵士たち(人形)を運ぶ。
3幕の父と娘の別れは、恋人たちの別れのように切ない。シュナウトは初めて聴いたのですが、登場した時から全開の見事な歌唱に驚きました。ザイフェルトは一時不調とのことで心配でしたが、素晴らしい歌唱で、完全復帰といっていいでしょう。ジークムントにしてはやや軽めなテノールかもしれないが、悲劇のヒーローらしい切なさと若さが表現されていました。藤村も完璧なフリッカ!最後のシーン岩山に炎が点火される場面はちょろちょろの炎で物足りない。そのせいか幕が下りたとたんにブーが飛んで。天国のヴェルニケにもこのブーが届いたような気がして、思わず首をすくめてしまいました。今でもあのときの舞台が鮮烈に蘇ってきますが、ところどころ何故一角獣が?とか不明な部分も。でもメータの指揮やオーケストラも含めて一体感のある優れた舞台で、ワーグナーを満喫できました。

30分の休憩2回を含めて6時間。疲れ果てお粥の夜食。


参考映像:ワーグナー:楽劇《ヴァルキューレ》全曲1980年収録/クラシカジャパンで放映

ジークムント…ペーター・ホフマン(テノール)
フンディング…マッティ・サルミネン(バス)
ヴォータン…ドナルド・マッキンタイア(バリトン)
ジークリンデ…ジャニーヌ・アルトマイア(ソプラノ)
ブリュンヒルデ…グィネス・ジョーンズ(ソプラノ)
フリッカ…ハンナ・シュヴァルツ(メッゾ・ソプラノ)
ゲルヒルデ…カルメン・レッペル(ソプラノ)
オルトリンデ…カレン・ミドルトン(ソプラノ)
ヘルムヴィーゲ…カティ・クラーク(ソプラノ)
ヴァルトラウテ…ガブリエレ・シュナウト(メッゾ・ソプラノ)
ジークルーネ…マルガ・シムル(ソプラノ)
グリムゲルデ…イルゼ・グラマツキ(アルト)
シュヴェルトライテ…グェンドリン・キレブリュー(メッゾ・ソプラノ)
ロスヴァイゼ…エリーザベト・グラウザー(アルト)

バイロイト祝祭管弦楽団
指揮:ピエール・ブーレーズ
演出:パトリス・シェロー


参考CD:ワーグナー:楽劇《ヴァルキューレ》全曲1965年収録

ジークムント・・・ジェームス・キング

ジークリンデ・・・レジーヌ・クレスパン

フンディング・・・ゴットローブ・フリック

ヴォータン・・・ハンス・ホッター

フリッカ・・・クリスタ・ルードヴィッヒ

ブリュンヒルデ・・・ビルギット・ネルソン

オルトリンデ・・・ヘルガ・デルネッシュ

ヴァルトラウテ・・・ブリギッテ・ファスベンダー

シュヴェルトライテ・・・ヘレン・ワッツ

ヘルムヴィーゲ・・・ベリット・リンドホルム

ジークルーネ・・・ヴェラ・リトゥル

グリムゲルデ・・・マリリン・タイラー

ロスヴァイセ・・・クラウディア・ヘルマン


指揮・・・サー・ゲオルグ・ショルティ

ウィーン・フィルハーモニー


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(8&9)サン・マロ~パリ~ミュンヘン [2002初夏友人たちとヨーロッパの旅]

7/2(火)San Malo10:04→Renne10:54/11:05→Paris(M.P)13:05

     ParisCDG18:25→Munich20:00      Munich/Hotel An Der Oper 4泊(S朝食込 120€)


 早めに朝食を終え、タクシーでサン・マロ駅へ。レンヌでTGVに乗り換え、昼過ぎにパリに到着。地下鉄でオペラ座に移動、ランチは「やすべえ」の海鮮丼。「美味しくない~」道産子3人組の評です・・・。


サンルイ島のホテルに戻り、預けてあったスーツケースを受け取り、ホテルで予約してもらった小型のシャトルバスで空港へ。バイエルン歌劇場にほど近いホテルにチェックインしたのは9時過ぎになりました。それぞれ手持ちのものでおなかを満たし就寝。この日はこうして移動しただけの一日になりました。


7/3(水)

 ドイツのホテルはどこでも朝ごはんは充実していますが、ここも豪華と言っていいほど、チーズやハム、ソーセージ、生絞りのオレンジジュース、果物の中では時季のアプリコットが美味。


大移動の翌日でもあり、この夜のオペラの予定はなかったのですが、『ファルスタッフ』が上演されるということで、3人の観たい気持ちが一致しました。でもチケットがあるかどうか・・・バイエルン州立劇場↓に行ってみました。


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チケット売り場では売り切れとのことで、がっかりしてますと、大学生らしい感じの良い青年が声をかけてきました。額面8000円くらいの席ですが、手数料含めて10.000円くらいで3枚あるというのです。マダム?3人組は値切らずに即お買い上げ。苦学生を助けたみたいな良い気分の私たちでした。


↓チケット売り場付近にチケット譲るや求む?の貼り紙。こちらの方が安かったのかもですが、ドイツ語は解りません。


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↓市庁舎広場

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徒歩でマリエンプラッツからカールスプラッツまで。トラムでミュンヘンの美術館巡りへ。


 ☆Alte Pinakothekアルテ・ピナコテーク (2)

 ミュンヘンでの一番の見どころはこの絵画館です。前回は1995年に次女と訪れていますが、建物の大改修中でした。綺麗に改装されエレベーターやレストランなども新しくなったようです。直訳すると古画館という意のとおり18世紀までの絵画が展示されています。特に15,6世紀のドイツ絵画デューラー、アルトドルファー、グリューネヴァルトは見逃せませんが、イタリア、オランダ、フランドル、スペイン絵画も充実しています。


↓Michael Pacherパッヒャー「教父の祭壇画」1480頃 (129×161) 左から聖ヒエロニムス~聖アウグスティヌス~聖グレゴリウス~聖アンブロシウス。教父たちの秘蹟のエピソードも描きこまれていますが、解読できたのは聖ヒエロニムスくらい・・・。


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↓ハンス・バルドゥング・グリーン「キリストの降誕」1520 (105.5×70.4)画面中央の大きな柱に3つの光源。グリーンのユニークな画面に惹かれました。


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↓デューラー晩年の代表作「4人の使徒」1526  左/聖ヨハネと聖ペテロ(215.5×76)  右/聖パウロと聖マルコ(214.5×76)ルネッサンス時代に流行した人間の4つのタイプの分類とも関連づけられている作品。 


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↓JAN GOSSAERTホッサールト(通称Mabuse/16世紀ネーデルランドの画家)の「ダナエ」1527(113×95

)ダナエはギリシア神話の女王でアルゴスの王女。孫の誕生を恐れた父王により塔に幽閉された場面。古代ローマの建築に傾倒した画家の技巧が光る印象的な作品。

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↓春にNYで観たばかりのオラツィオ・ジェンテレスキ「マルタとマリアの会話」に再会。1620頃(133×155)


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↓ルカ・シニョレッリ「聖母子」1498頃 直径87  背景に見える古典的なモティーフ<とげを抜く少年>は報われない人間の一生のありのままの姿を暗示しているそうです。聖母子像にこのモティーフが描かれているのは初めて見ました。


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 館内のカフェで軽くランチ。野菜サラダが新鮮で美味しかったです。疲労で体調があまりよくないので、午後からはお向かいのノイエ・ピナコテークを見学する友人たちと別れて一足早くホテルに戻りました。途中果物屋さんでアプリコットやサクランボをショッピング。夕方まで休養したおかげで元気になり、バイエルンSOへ。安い席ですし、お洒落は必要ないと思い、ニットのワンピースで出かけたのですが・・・夏の音楽祭ですものね。華やかイヴニングドレスを着こなしたマダムたちに圧倒されました。


♪~ヴェルディ『ファルスタッフ』19:00開演 席は2階バルコン後方

 指揮:ズービン・メータ  演出:エイク・グラムス

ファルスタッフ:ブリン・ターフェル  フォード:ルチオ・ガッロ  アリーチェ:ダニエラ・デッシー  
バルドルフォ:アンソニー・メイー  メグ:パトリシア・リスレイ  ミセス・クイックリー:ジュネ・ヘンシェル  ナンネッタ:レヴェッカ・エヴァンス    フェントン:ライナー・トロスト

4月にNYで見た『ファルスタッフ』はゼッフレッリ演出のオーソドックス&豪華版だったが、こちらは今をときめくミュンヘン夏の音楽祭とあってシンプルながら良く練られた楽しい演出でした。開演前から薄い紗のカーテンの向こうに舞台が透けて見え、楕円形の木製?盤がやや傾いて置かれている。手前にターフェルがガウン姿で背を向け座っています。その背が何故か元気が無く見えて・・・その時、ヨナスさんが現れて「ターフェルが腰痛のため本来の動きは難しいが、歌は良いものを聞かせてくれるでしょう」と挨拶されました。ドイツ語のため理解不能でしたが、休憩のとき友人が係員に英語で説明してもらい分かりました。
そのせいで、ターフェルに関してはメトのときのほうが歌、演技とも生き生きしていました。カーテンコールのとき、自分でも不本意だったのでしょう、腰を指さしして彼らしい困ったちゃん仕草をして、笑いを誘いました。「ターフェルくん、良く頑張ってくれてありがとう!!」。
他の歌手はすべてと言っていいほどMETよりこちらのほうが勝ち!特にデッシーのアリーチェは素晴らしかったです。ガッロはマチェラータでも聴いたことがあったのですが、軽めのバリトンがこの役にぴったり。イギリス人ならぬイタリア男っぽい情熱的な嫉妬深さもユーモラス。

衣裳のセンスも面白くて、若い恋人達は今風にパンクファッション、洗濯かごを運ぶボーイズもなにやらベッカム風なヘアーと半ズボン。夫人たちは洗濯女風に頭に白い布を巻き付け木綿のドレスに裸足。場面が変わると色っぽいゴージャスなドレス。フォード氏はタータンチェックのキルトを着込んだスコットランドの紳士風。
演出全体がポップでチャーミングのうえにオーケストラも金管の音がソフトに響いて花。ただし、ここの劇場の欠点は木製の椅子の音がギシギシと絶え間なく聞こえること。このテアトルは初めてだったので余計に気になりましたが、この後3回目では慣れました。(マイHPから)


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 終演後はビールや食べ物を持ち寄って部屋宴会。初めてのバイエルン音楽祭に乾杯~!!


参考映像:ヴェルディ『ファルスタッフ』 2001.12 道新教室にて視聴

ファルスタッフ・・・・・レナート・ブルゾン(バリトン)
フォード・・・・・・・・・・・・・・・レオ・ヌッチ(バリトン)
フェントン・・・・・・ダルマシオ・ゴンザレス(テノール)
医師カイウス・・・・・・ジョン・ドブソン(テノール)
バルドルフォ・・・フランシス・エジセートン(テノール)
ピストラ・・・・・・・ウイリアム・ヴィルダーマン(バス)
アリーチェ・フォード夫人・・・カーテイア・リッチァレルリ(ソプラノ)
ナンネッタ・・・・・バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)
クイックリー夫人・・・・・・ルチア・ヴァレンティーニ・テラーニ(メゾ・ソプラノ)
メグ・ページ夫人・・ブレンダ・ブーザー(メゾ・ソプラノ)
コヴェント・ガーデン歌劇場管弦楽団
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団
合唱指揮:ジョン・マッカーシー
指揮:カルロ・アリア・ジュリーニ
演出:ロナルド・アイアー 













 

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(7)モン・サン・ミッシェル~サン・マロ [2002初夏友人たちとヨーロッパの旅]

7/1(月)Mont -saint-Michel13:00→Saint-Malo14:20
サン・マロ/Best Western Sentre1泊(シングル103.67€)
 昨夜はまたもやおなかの調子が悪く、3度ほどトイレに通ったため不眠状態です。体もだるく熱っぽいので朝ごはんもパス。今日の見学予定だった修道院は友人たちだけで行ってもらい、チェックアウトまでぎりぎりベットの中で静養に努めました。。いつの間にか寝込んでしまって、レセプションからの電話で「チェックアウトの時間です」と起こされ大慌て。なんとか30分ほど延ばしてもらって、急いで身支度。友人たちも修道院の見学から戻ってきていたので、電話で11時と知ってびっくり。12時がチェックアウトと勘違いしていました。
お土産屋さんで「fleur de sel」塩の花というゲランド産の塩を購入。ミネラル感と風味のあるこのお塩が気に入りました。(パリの空港でも購入できます)
☆モン・サン・ミッシェルMont-Sait-Michel
 海の中にそびえたつ修道院は古くから巡礼地として栄えた聖地です。708年司教オベールの夢に大天使ミカエルが現れてお告げをしたという伝説があり、そのお告げに従ってモン・トンプの岩山に礼拝堂を建てると瞬時に海に浮かぶ小島になったというのです。修道院はその後何世紀にもわたって拡張されましたが、現在の建物の基盤は1022年起工1135年完成したもの。身廊と袖廊は現存するノルマンディ・ロマネスク建築の代表例とされています。内陣は1450-1521にフランボワイヤン=ゴシック様式に改築。14世紀の百年戦争では城壁や塔が築かれ要塞になりました。一時は牢獄として使われたこともありますが、現在は再びベネディクト派の修道院となりました。「驚異の建築」と呼ばれる建物の中でも、中庭に面した回廊は素晴らしいものです。体調不良で見学できなかったのは返す返すも残念なことでした。
ランチは宿のレストランでクレープ・シュゼット。本場のはやはり美味しく大満足。
 門のところからバスで西のサン・マロへ向かいました。時々海の見える道でしたが、終点の停留所はサン・マロの旧市街から少し離れて停まりました。ホテルは家族経営の上品で落ち着いた良いホテルでした。荷物を置いて早速街の散策へ。
サン・マロはイギリス海峡に面したフランス北西部のブルターニュ地方の城壁に囲まれた町です。6世紀には聖人の居留地となり聖マロが名前の起源となっています。
☆Cathedrale  Saint -Vincentサン・ヴァンサン大聖堂
11世紀創建当時はロマネスク様式の教会でしたが、以後改築を重ね複雑な構成になっています。第二次大戦時による破壊で倒壊。戦後は市民たちによって、崩れ落ちた石を積み上げて復元されたという「平和への祈り」の空間です。さすがにステンドグラスは新しいもののようです。
 
↓ 身廊
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↓サン・マロの旧市街と城壁の散歩
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↓城壁の上から(写真が残っていませんので、Googleから拝借)
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 夕食は風が冷たくなってきたので、ホテル内のレストランで。日本人のツアーが2組一緒でした。この町でのんびり観光ができたのが良かったのか、体調も食欲もかなり回復。ここで念願のカンカルの牡蠣をいただいて、幸せ~(^^♪
これでパリからの2泊の旅も終わりました。明日はパリ経由でミュンヘンまでの大移動です。

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(6)パリ~モン・サン・ミッシェル [2002初夏友人たちとヨーロッパの旅]

6/30(日)Paris Montparnasse10:05→Rennes12:08/16時頃(バス)→Mont-Saint-Michel17:30頃

モン・サン・ミッシェル/オーベルジュ・サン・ピエール 1泊(シングル1泊2食付き 100€)


 今日は移動の日ですが、昨夜は食べ過ぎ?朝食後おなかの調子が悪く正露丸を飲んで、出発。スーツケースはホテルに預けて2泊分を携え、モンパルナス駅からレンヌまでTGV(予約済み)に乗車。ユーレイルセレクト・パスもこの時バリデートしました。


 ファーストクラスの快適な列車の旅を楽しみ、初めてのレンヌ駅に到着。さて、まずはバスターミナルの確認と駅前広場を見渡せども、それらしい発着所は見つかりません。人に尋ねてようやく判明。「La Gare routière」というビルの中に入って、向こう側が長距離バスの発着所になっているのです。バスが見えないのでわかりにくいけれど「Bas Terminal」と言っても通じないのです。「La Gare routière」道の駅と憶えました。バスの時間を確認してから、駅前の道をまっすぐ歩くとレンヌ美術館です。昼休みがありオープンは2時からなので、街の散策とランチを済ませました。


 レンヌはブルターニュ地方圏の首府であり、ケルト系のアルモニカ王国のあった古代から栄えた都市です。ただその歴史を感じさせる遺跡、建物などは第二次大戦のドイツ軍の爆撃による被害が大きかったこともあり、あまり残ってはいないようです。ほとんどの観光客にとってレンヌはモン・サン・ミッシェルへの玄関口なのでしょう。


↓レンヌの旧市街には木組みの家が残っています


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 美術館の近くでゆっくりランチ。私は食欲もなく不調でしたが、時間になり美術館に入ると、何故か急に元気になりました(笑)。


↓ヴィレーヌ川の畔に建つレンヌ美術館


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☆Musée des beaux-arts de Rennes レンヌ美術館

  1794年フランス革命時の創設。後にリヴォワ候のコレクションの寄付を受け、14世紀から現代までの作品を展示。ここでのお目当ては何といっても


↓ラ・トゥールGeorges de La Tourの「新生児/聖誕」1645-48 76×91


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↓同上(絵葉書)


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↓ド・スタール「コンポジション」シリーズの1枚 1949  60×81


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↓イヴ・タンギー「インスピレーション」1929 130×97


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↓グロ「Portrait de Paulin Des Hours」1793 74×98 (絵葉書)


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他にはゴーギャン、シスレー、シャンパーニュなど。


駅構内のカフェで「テ・オ・レ」ミルク入り紅茶を飲んで一休み。バスに乗ってモン・サン・ミッシェルへ。2002年当時の旧道から見えたあの威容にはやはり感激でした。

↓Google earthのストリートビュー より

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バスは門の前が終点で、ホテルはそこから徒歩数分。レセプションと宿泊するところは別棟になっていて、私たちの部屋へは螺旋階段を上って行きます。スーツケース持ってなくて良かったわね~。

↓私の部屋はシングルでバス無しですが、清潔。


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↓ベットに寝るとこの眺め


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 友人二人はツインの部屋。裏の湾に面してソファーもあって広い部屋。私の体調がよくないので、皆でヨガ体操をしてから、夕食へ。レストランもレセプションのある別棟なので、海を眺めながら城壁を歩きました。


↓夕食は前菜、主菜、デザートをそれぞれ5種類の中から選ぶようになっています。飲み物はシードル、前菜は魚介の盛り合わせ、主菜はここの名物のオムレツ


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明日から7月というのに、日が暮れると寒いくらいでした。








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(5)パリ [2002初夏友人たちとヨーロッパの旅]

6/29(土)

 今日は曇り空で肌寒い一日でした。地下鉄でポン・マリからイエナまで移動し、パリ近代美術館とギメ美術館の見学をしました。


☆Musee d’Art Moderne de la ville de Paris パリ市立近代美術館(初)

 パレ・ド・トーキョー内にパリ市民の寄贈を母体とする美術館。フォーヴィズム、エコール・ド・パリ、キュビズム、シュルレアリスムなどが並びます。現代絵画はポンピドーセンターの国立近代美術館のほうが有名ですが、こちらは隠れた名画を鑑賞しているような気分で、見物客も数えるほど。ゆったりと美術鑑賞ができました。


 ↓階段を下りた入り口から入りますと目の前がマティスの大作「ダンスⅠ」(壁画357×1282.7)1931-32 


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↓マティス「ダンスまたは妖精たち」1931-1933(絵葉書)


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↓ヴァン・ドンゲン「Le Sphinx」1925 (146×113)


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Kees van Dongen ヴァン・ドンゲン(1877~1968)オランダ出身のフォービズムの画家。フォーヴ期を経て1920年代から洗練された画風になり、社交界の婦人や有名人の肖像画で人気を得ました。これはその肖像画の一枚ですが、タイトルの「ル・スフインクス」といい、モデルの醸し出す雰囲気の謎めいたパワー。忘れられない作品。


↓キリコ  タイトル他不明。


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↓ドニ? 宗教画のようですが詳細不明。

 


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 ほかボナール、モディリアーニ、スーティン、レジェ、ドローネーなど。


 次は同じイオナ駅付近のギメ美術館へ。

☆Musee National des Arts Asiatiques-Cuimetギメ美術館(初)


 アジア美術のコレクションで知られている美術館はリヨンの実業家エミール・ギメの収集品がもとになっています。フランス文部省の委託を受けアジア各地を調査して、持ち帰った美術品とルーヴルの東洋美術部門が統合され1945年に開館。


 1996年春にカンボジアを訪れていますので、まずは1階のクメール美術の展示室へ。「南大門の阿修羅と神々が大蛇ナーガを引き合っている像のある橋(一部はパリのギメに収蔵されたため模刻)の見事なこと!」と感嘆したあのときのオリジナルがやはりここの一番の見どころです。カンボジアの歴史のなかでもっとも繁栄した王朝(12~13世紀)のころ造られたもの。またインド、中国(とくに西域)、日本の美術品も逸品揃いです。


 それからエッフェル塔へ向かいました。ランチは事前に予約してあったエッフェル塔にあるレストラン「ジュール・ヴェルネ」です。エレベーターのところでキョロキョロしてると、黒服の案内役の男性が専用のエレベーターに案内してくれました。素晴らしい眺めに感嘆しつつ窓際の席に案内され、これまでの人生で一番の(お値段もハイソ汗)高級フレンチをいただきました。少量ずつ8品のコースでしたが、当時は珍しかったので、ソムリエさんに「日本の懐石料理みたいね」というと、それを目指しているとのお答えで、日本の食文化を誇りに思う私たちでした。


 午後はマレ地区の散策とコニャック・ジェイ美術館の見学です。マレは初めてのひとり旅以来パリに来るたびに訪れるところです。古い貴族の館も点在していて、その建物を美術館に転用したピカソ美術館やカルナヴァレ美術館など。庶民的な界隈でありながら、文化の薫り高いパリらしいエリアです。


Musée Cognacq-Jay コニャック・ジェイ美術館(初)


 パリの「サマリテーヌ百貨店」の創業者エルネスト・コニャック夫妻のコレクションをもとに1990年、16世紀に建てられたドノン館にコレクションが移され公開。広壮な館には18世紀のフランス風俗画が多く展示され、ロココ調の優美な家具や調度品で飾られています。

↓圧倒的に多かったのはグルーズの少年や少女の肖像画。可愛らしいけれど甘美過ぎて飽きてしまいます。「赤いジレを着た少年」1775  40.6×32.2


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他にはシャルダンやヴァトー、フラゴナールなど。

↓ここで見逃せないのはレンブラントの「バラムのロバ」(1626) 65×47


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旧約聖書の民数記(22-24)が典拠。図像ではバラム(預言者)がイスラエルの民を呪うためにロバに乗って連れていかれる途中、天使が現れ止められる場面。珍しい主題ですがレンブラントが20歳で描いた初期の宗教画。



 この近くに素敵なプチホテルを見つけ覗いていましたら、レセプションの方がロビーまでどうぞと声をかけてくれました。日本の雑誌にも掲載されたそうです。(翌年ここに宿泊)

ランチが豪華版でしたので、夕食は慎ましく部屋食ということにして、帰途中華のお惣菜などショッピング。おにぎりと味噌汁など手持ちのものを追加して、3人で賑やかに食事。さて、明日からはブルターニュ方面に出かけます。








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