(10)ミラノ [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
(9)カリアリ~ミラノ [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
(8)オルビア~カリアリ [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
あとがき (1)
あとがき(2) あとがき(3) あとがき(1)で書いたサルデーニャ・ロマネスクの記事をワードに残してありましたので、ブログを書くことができました。ただ、ブログの字体とワードの字体が一致せず、見苦しいものになってしまいました。15年前の旅なのでGoogle Earthで確認しながらアップしたのですが、サッサリのバスセンターがなくなっていたほかは、泊まったホテルも廃業したところもなく、再訪したい気持ちが高まりました(無理でしょうけれど)。サルデーニャに行く前は「山賊がでるよ」とか「治安が悪い」とか言われましたが、あのころに比べると、観光客も増えて、いろいろ整備されたのではないでしょうか。 |
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(7)サッサリ~オルビア [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
が、静かで誰もいないと思ったら、うめくような声・・・ベンチから崩れるように伏して祈る黒い人影にドキリ。はじめは失礼ながら物乞いの人が行き倒れになったのかと思ったのですが、近寄ると80歳くらいのおばあさんです。どんなに辛いことがあったのでしょうか・・・その暗く苦悩に満ちたまなざしに驚きました。人生の終わりがすぐそこに見えても、こんな風に祈らなければならないほどの試練とは何なのか。ふいをつかれて私に見られたものの彼女自身、誰にも見せない、見せたくない顔だったのでしょうか。
(6-2)サッサリ(ソッレス、トゥルッラス、ポルト・トッレス) [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
午後も3時半ころだったでしょうか、相変わらずイタリアの明るい空が広がっていました。サルデーニャ島の北端の港町ポルト・トッレスのバスセンターに着いたのは4時半ころ。降りるとき運転手さんに教会の場所を聞いたところ、その教会は途中にあったんだよといって、すぐ折り返すからと乗せてくれました。そして親切に帰りの時刻もメモに書いてくれたのですが、それを見てガーン。私が調べて来たのよりずーっと遅いのです。困ったなと思いながらも、港町にしてはみんなのんびりしてて、怪しい雰囲気など少しも感じられないのどかな町です。なんとかなるわ~(いつものセリフ)
(6-1)サッサリ(サッカルジア、サルヴェーネロ、ビザルチオ、アルダラ) [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
↓Google Earthより
土の色と似た赤茶けた壁ですが、近くで見ると石の風合いとともに長い年月を経たものの持つ力強さを感じました。正面はフランスのロマネスクの影響といわれるポルテコの前室があります。しかし、改修工事のため入れるのはここまででした。鐘楼は先が接断されています。後陣外観もピサ様式の装飾窓が美しい。
(5)オリスターノ~サッサリ [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
☆サンナ国立博物館
(4-2)オリスターノ(ボナルカド、ミリス、シニス) [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
怒涛の本日のサルデーニャ・ロマネスク巡り中部篇もそろそろお昼をまわり、時間切れに近くなりました。タクシーは焦るようにスピードをあげてマコメールから南下、田舎の狭い道を走り、丘の上の町ボナルカドに到着しました。細長い広場にサンタ・マリア教会とマドンナ・ディ・ボナカットゥ聖所祈念堂が建っています。道を隔ててBarやお土産屋さんが並んでいますが、観光客の姿はなくひっそりしていました。6月のイタリアは毎日30度以上の暑さです。こんな日の昼ごはんの時間にせっせと歩き回るのは私くらいしかいません。 ☆ボナルカドのマドンナ・ディ・バナルカドゥ聖所祈念堂(旧サンタ・マリア教会)&サンタ・マリア教会
上の写真では手前にある小さな聖所祈念堂を先に見学しました。入り口が2箇所あり、内部は一部小物のショップになっていました。ギリシア十字のシンプルな構造です。丸いドーム屋根のすぐ下が明り取りの窓で、そこからの光が内部の石壁に映って神秘的な空間。祭壇の飾りもお花だけの清楚で、とてもいい感じ。オリジナルは5世紀の創建とのことです。 隣の階段を少し上ったところが新サンタ・マリア教会。玄武岩でしょうか、今までの中では一番
↓2つの教会のプラン
↓Google Earthより
運転手さんが待っているBarに戻り、コーヒータイム。ここの店主が古いサンタ・マリア教会の写真を店内にいくつか飾っていて、いろいろ説明してくれました。(大部分理解できず・・・)戦前のお祭りの写真とかも残っていて、教会がこの村の、店のご主人の誇りというのが伝わってきました。 次の予定にしていたMilisは実は運転手さんのミスで、あっという間に通り過ぎてしまって、違う教会に連れて行かれたのです。↓ミリスの街角 空腹と疲れもあり、町はずれのミリスのサン・パオロ教会は車の中から眺めただけで終わりました。↓参考書からスキャンしました。後方に墓地が広がっています。12世紀のピサ様式の建築。 ホテルに着くころになると、またまたちゃっかりな運転手さん。ランチの後は疲れたから夕方まで昼寝するというのを、ここまできてタッロスを観ない人はいないというのです。サービスするというので交渉成立。6時に迎えにきてもらうことにしました。ホテルの食堂へ直行してランチを済ませ、あとは倒れるようにベットへ。6時にロビーに降りるともうタクシーの運転手さんは張り切って?待機していました。
夕方の6時といってもまだ昼間のように明るいなかORISTANOから西へ。湾を左に眺めながらシニス半島突端のサン・マルコ岬まで走ります。タッロスTharrosの遺跡は一部海中に沈んでいます。入場券を払い柵の小道に沿って歩きます。もとは最古のヌラーゲ集落(紀元前10世紀~前5世紀)のあった場所にフェニキア人によって前8世紀ごろに造られました。その後はカルタゴ、エトルリア、ギリシャ、ローマと支配され交易で栄えた歴史を持っています。地盤沈下やサラセン人の侵入で町はうち捨てられました。発掘は17世紀からはじまりましたが、ルネッサンス時代にはすでに見学の対象になっていたそうです。下水溝が走る道路に沿って、古代カルタゴの家屋や要塞、帝政ローマ時代の神殿、初期キリスト教時代の洗礼堂(5世紀)などが廃墟となっています。考古学のお好きな方には見逃せない場所でしょう。
まず、目に入るのは海辺に立つ神殿の柱です。その彼方にヨットが何艘も浮かんでいます。さすが、リゾート地サルデーニャ、すでに夏のバカンスが始まっています。 岩陰に咲く小さな花を愛でながら1キロくらい歩くと、さすがに今日の疲れが腰にひびき、痛くなってきました。 結局入場券に含まれていた博物館もパスして、30分ほどで退散しました。それにそろそろ夕暮れです。
この近辺は計画に入ってませんでしたので、資料もないのでもう帰るというと、運転手さんがこの近くに古い教会があるよというのです。地図だけは持っていましたのでチェックしましたら、帰り道沿いに寄れることがわかりました。ちゃっかり運転手さんもたまに良いこと言うわ。(笑) タッロスの廃墟から賑わう海水浴場の横を走り、車で数分の道路沿いに古い聖堂が見えてきました。 ☆シニスのサン・ジョバンニ教会San Giovanni di SINIS
サルデーニャのプレ・ロマネスクの代表格の教会です。6世紀のドームに加えて、9世紀に今の建物になりました。同じプレ・ロマネスクのカリアリのサトゥルニーノよりも、天井も低く、素朴でプリミティブな建築様式。正面には十字架の飾りなどもありません。でも、内部に入ってみますと太い柱が並んだ三廊式のバジリカに夕暮れ迫る淡い光が差し込んでいます。信仰を持たない私にはなにか恐ろしいほどの神々しい雰囲気。壁には緑の苔が生えていて、足元には古い板が張られています。後陣は半円形で石棺らしい祭壇が見えましたが、何故か、ずかずかと奥まで踏み込めないような厳粛さがあたりを支配していました。
入り口付近に留まり写真を写してから、外に出て道路側からの後背部を眺めました。逆光のため壁の色がまったく変わって写りました。
予期せぬ出来事で素晴らしいロマネスク体験ができました。オリスターノの大聖堂の前でタクシーを降りようとしたら、またまた「明日は何時の汽車?」「朝とても早くなのよ」「問題ないよ。迎えに行きます」ということで、この運転手さんとはオリスターノの最初から最後までご一緒でした。 ↓オリスターノの大聖堂
↓大聖堂からホテルへの道
夕食は盛りだくさんのスケジュールをこなしたせいで疲れ果ててしまい、食堂に行く元気も食欲もありません。手持ちのせんべいや果物などでおなかをごまかし、就寝。
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(4-1)オリスターノ(ギラルツァ、ズーリ、オッターナ、シラヌス) [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
この後は湖の景観を楽しみながら次の目的地オッターナへ向かいました
イタリア・ロマネスクの本が年に1~2冊の割合で出版されています。イタリア語はほんの片言なので読むのは無理なのですが、こうして個人でロマネスクの旅をするうえでの強力な助っ人になっています。サルデーニャ版がボローニャのネット書店から届いて、下の表紙を見たときにサルデーニャ行きを決意したというわけです。
ここからマコメールを経て、オリスターノに戻る途中、わき道を西にそれます。続きます~。
(3)カリアリ(ウタ、ヴィラスペチオーザ)~オリスターノ(サンタ・ジュスタ) [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
サンタ・マリア教会はウタの町を通り抜けたはずれにぽつんと建っていました。係員が常駐しています。「日本人はロマネスクが好きだね。先週もグループが来てたよ」とややアキレ気味。でも嬉しそうでした。建物の向かって左の一画には古代ローマ時代の遺跡も保存されています。
内部は三廊式のバジリカ様式で、後陣上部の明り取りの窓からやわらかな光が差し込んできます。
教会は町外れの大きな公園の隣のだだっ広い空き地にぽつんと建っています。鍵がかかっていましたので、運転手さんが管理者の家をさがして鍵を開けてもらいに行ってくれたのですが、残念ながら留守でした。
その間に私はゆっくり外観を見学しました。外壁は白やさまざまなヴァリエーションの花崗岩や白い大理石をつぎはぎして、パッチワークのようです。正面上部の簡素な鐘楼はUtaのサンタ・マリアに似ています。その下の丸い飾りもパッチワーク風。村の人たちが石を集めて建てた、いかにも手造りという感じが好ましく見えましたが、実際はトスカーナや地元の石工たちによるもの。後陣の2連の祭室も小さく可憐な佇まい。
今日も朝から暑く、さえぎる木陰もないここは日射病になりそうで、中に入れないとなると長居はできません。乗り込んだ車から遠ざかる教会を振り返えると、古びた小さな宝石箱のような教会が青空に浮かんで見えました。素晴らしいロケーション!
Cagliari14:03→Oristano15:35