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2000年春の旅(13&14.15) パリ (シャルトル)&帰国 [2000春ブルゴーニュ・ロマネスクの旅]

4/24(月)

 今日はなんとか晴れましたが、気温が上がりません。結局暖かかったのはリヨンだけで、パリはまた逆戻りで寒い日の続く春の旅でした。昨夜は何故か目がさえて眠れず、睡眠導入剤を半分飲んで、ようやく就寝。

パリから列車でシャルトルを訪れたこの日は、旅の終わりに近く、疲れがでて、朝寝坊してしまいました。モンパルナス行きのバスが渋滞したこともあって、午前の適当な時間の列車を逃して、結局はモンパルナス駅構内のカフェで少し早めのランチを済ませ、シャルトルへ。到着したのは1時半ころでした。駅舎を出ると大聖堂の塔の先端が見え、それを目指して10~15分くらい歩きました。
途中バス停があり、待っていた若い娘さんが、「このバスはどこそこに行くの?」「私ツーリストなのよ。」パリの町中でも道を聞かれることが多いけれど、田舎では珍しい。どこからみても普通の日本人のおばさんが頼りなげ?にきょろきょろ歩いていると思うのですが・・・。

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さて、シャルトル大聖堂が見えてきました。どういうわけかこの後の写真が見当たりませんので、以下は絵葉書です。

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 ☆シャルトル大聖堂

 まずシャルトルブルーと呼ばれるステンド・グラスの青を堪能しました。特にエッサイの木が素晴らしい!12世紀と13世紀、ロマネスクとゴシックの違いが手に取るように理解できるのが、ロマネスク入門したばかりの私にはとても勉強になりました。とはいえ西正面の王の扉口が一番好きで、ほとんどをここで過ごしたのですが・・・。この時の旅はブルゴーニュ巡りがが主でしたので、シャルトルの資料まで用意していませんでした。内部をぐるりと回ったあと、ブックショップで王の扉口の細かい解説のあるガイド本(日本語版)を購入して外へ。この西扉口の彫刻、キリストの生涯がエピソードごとに38場面に彫られています。結構な高さがあるので、首が痛くなってしまいました。

また中央タンパンの均整のとれた「荘厳のキリスト」、そして自由学芸の彫刻、例えば音楽(絵葉書参照)に見られる知的な表現は、どことなく人の苦悩を、今迄観てきたロマネスクから一歩進んだ深さを、感じ取ることができます。

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左後方に隣接するシャルトル美術館も見学しました。

☆シャルトル美術館  
 スルバランの「聖ルキア」がこの美術館にあることを知ったのは、シャルトル大聖堂訪問を計画していたときでした。場所は大聖堂の向かって左隣に建つ瀟洒な館です。展示室の窓から大聖堂の勇壮なフライング・バットと、裏の展望台が見えました。見学者より係りの方が多いくらいで、スルバランのある部屋にも私ひとり。お皿に乗った目玉がぎょろりと今にも動きそうで、少し怖くなりましたが、聖女の衣装がスルバランらしく、こっくりした色彩で素敵でした。他はほとんど知らない画家ばかり・・・。ただ一枚の絵画のために訪れた美術館でした。

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 この後大聖堂の見えるカフェでお茶。焼き立てのアップルパイにテ・オ・レでひと休み。そろそろ夕方なので、最後はもう一度ステンドグラスの鑑賞。西日が薔薇窓を透して床に色があふれていました。「なんて綺麗なの!」思わず叫びそうになりました。復活祭が過ぎたばかり、菜の花畑の広がる平野を車窓に眺めながらパリに戻りました。

パリに着いたのは6時ごろ、またバスでサンポールまで戻り、最後のパリの夕食を美味しいフレンチでと思いながら、結局は中華とお寿司のテイクアウト。やはり疲れていたようです。明日は帰途に就きます。

 4/25(火)26(水)アムステルダム経由で札幌へ 。初めての独りオペラ&ロマネスクの旅はこうして、無事に終わりました。特に自力で訪ねた教会や回廊の感動的な体験は癖になったようで(笑)これから続いて行くことになってしまいました。   


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2000年春の旅(12) パリ  [2000春ブルゴーニュ・ロマネスクの旅]

4/23(日)

 今日も一日中雨でした。朝食を済ませた後、昨日教えてもらったオペラ座近くのトーマス・クックの両替屋に行ってみました。日曜日なので行列していて、他は閉まっているせい?手数料は昨日のサン・ジェルマンと同じくらい・・・。20,000円のTCで、1,000Fと少し。オータンと比べると200Fも少ないのでがっかりでした。

気落ちしていたせいかメトロに傘を忘れて、降りてしまいました。雨の中、レインコートのフードをかぶって小走りで、初訪問のポンピドウ・センターへ。オテル・ド・ヴィルから徒歩数分。何度も写真で観ていたモダンな建物の前の広場には、このそぼ降る雨の中、昨日よりも大勢の人が行列しています。それを横目にミュゼ・パスでスムーズに入館できました。

 4.5階に主な展示室があり、まずはアンリ・ルソー「戦争」が入り口近くに一番目立つ展示。女の子までが武器を持つ、暴力的な戦争の悲惨さを描いたもの。近代美術館の最初の展示に相応しいセレクション・・・と、そのときは思っていたのですが、実際は特別展示だったようです。(オルセー美術館所蔵)画像はwikipediaから拝借。

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フォービズムから、ポップ・アートまで近現代アートの殿堂にふさわしく、見ごたえ充分。
なかで印象的だったのは

↓ イヴ・タンギー「緩慢な日 jour de lenteur」

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↓ バルテュス「画家とモデル」

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主に5階を時間をかけて見学しました。タンギー、ダリ、バルティスなどお目当てを鑑賞。バスチーユ広場近くのホテルへ戻りました。ホテルの近くに竈でピザを焼いているお店があったので、テイクアウト。

♪ 「椿姫」ヴェルディ

指揮:ムウリッツオ・ベニーニ  演出:ジョナサン・ミラー

ヴィオレッタ:ガラッルド・ドマス  アルフレッド:ロナルド・ヴィッラゾン  ジェルモン:ロベルト・フロンターリ

2000/4   パリ・バスチーユオペラ

 ドマスのヴィオレッタは全力投球という歌唱、圧倒されました。カーテンコールでは息も絶え絶え、倒れそうなほどでした。ドマスは昨年のミラノに続いて2度目でしたが、豊かな声量で瑞々しいヴィオレッタの青春と愛を表現。ヴィッラゾンはこの時がバスチーユデビューでした。将来を嘱望される若手として瑞々しいアルフレッド像を表現、主役に負けない拍手をもらっていました。しかし、私の感じではこの後の活躍を予想するほどではなかったのですが・・・。フロンターリも説得力のあるパフォーマンスで◎。演出は現実的、3幕のヴィオレッタの死を迎える場面は病院ということで、観客はざわざわ。フィンランド映画の「ラ・ヴィ・ド・ボエーム」のミミのようにパリ場末の病院で、はかなく生涯を終えたヴィオレッタの哀れさに胸が痛みました。カウリスマキのこのフィルムはこの数年前に公開されていますので、そのパクリ?かも。バスチーユは1998年と昨夜で3回目でしたが、今夜はポピュラーな演目だったせいでしょうか、観光客が多いせいでしょうか・・・マナーが悪くて閉口しました。

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参考映像/1996.4道新教室にて

指揮:サー・ゲオルク・ショルティ
ヴィオレッタ・ヴァレリー:アンジェラ・ゲオルギウ   アルフレード・ジェルモン:フランク・ロパード   ジョルジュ・ジェルモン:レオ・ヌッチ   医師グランヴィル:マーク・ビーズ

コヴェント・ガーデン・ロイヤルハウス合唱団・管弦楽団

収録:1995年12月コヴェント・ガーデン・ロイヤルハウス

 マチネでしたので、6時過ぎには終演。オペラ劇場の隣のレストランで、少し早目の夕食をとりました。ハーフボトルの赤ワイン(サンテミリヨン)、ブルターニュの牡蠣(半ダース)、鴨のグリル、コーヒー、水で330F(チップ込)。ワインも食事も美味しくて満足満腹。至近距離の宿に帰り早めに就寝。




 


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2000年春の旅(11) パリ [2000春ブルゴーニュ・ロマネスクの旅]

4/22(土)

 朝は灰色の曇り空でしたが、まもなく本格的に雨が降ってきました。午前中はポンピドゥーへ行ってみましたが、この雨の中凄い行列です。

↓ ポンピドゥー・センターの近くで。

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 諦めてオテル・ド・ヴィルの駅に戻ると「カルト・ミュゼ」を売っていたので、これがあると並ばずに済みますから三日有効を購入(140F)。メトロでコンコルド広場まで行って、プチ・パレへ。ところが4/18から改装のため閉館とのこと・・・次から次へ閉館を知らずに見学のひとがやってきました。今日はついてません。気をとりなおし、徒歩で30分くらいのオルセーまで。ここも何重にも並ぶ人々ですが、私はカルト・ミュゼの威力で並ばずに入館できました。

 オルセー美術館はパリに来ると2回に一回くらいの頻度で訪れました。初回は長女と、2回目は娘二人と3人で、3回目は一人旅と連続3年・・・今回で4回目でした。カメラは禁止です。
オルセーでお気に入りはカフェを抜けたところにあるデッサン画のための照明を落とした展示室で、必ず寄ります。ドガやロートレック、ルドンのパステル画がお目当てです。ルドンの「仏陀」「コキューユ/貝」など、ここで初めてルドンのファンになりました。実はパステル画を習っていたことがあり、特別に興味がありました。ご存じのようにパステルは油絵の具のように色を混ぜて使うことはできません。配色の妙による描き方で個性を出すのです。ルドンの画業はモノクロからカラフルに劇的に変化した画家なので、目の覚めるような色彩が余計に大胆に感じます。

↓ ルドン「仏陀」

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↓ ルドン「コキーユ」

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特別展で小規模なものでは「マグリットとマネ展」、もちろん、ふたつの「バルコン」が並んで展示されてました。
↓ Edouard Manet「Le Balecon」1868~69(169×125)

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↓ Rene Magritte「Perspective Ⅱ」(遠近法Ⅱ)1950(81×60)ヘント現代美術館から出品

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他にもクールベの特別展がありました。クールベの痛いほどのリアリズム。リンゴや花までもが画家の目で「生きることの厳しさ」を表現されています。一昨日観てきたばかりのリヨン派の花が目に浮かびました。なんという違いでしょうか!

コレクションのあれこれを一通り鑑賞した後は館内のレストランでランチ。レストランの中は英語が飛び交って、アメリカ人の観光客が多いのに驚きました。隣席のファミリーもアメリカからとのこと。フレンドリーでお行儀も良いかたたちで、片言でも臆せず話せるのが嬉しかったです。

 このころは絵葉書収集熱が高いころでしたので、何十枚も購入し、手持ちの現金が少なくなりました。サン・ジェルマンまで、歩いて現金両替用のATMを探し両替。手数料が高いのびっくりしていましたら、通りかかった日本人の方がオペラ座の近くのほうがで安いと教えてくれました。ところで、現金両替用のマシンは最近はあるのでしょうか?このころからシティバンクのカードや銀行のインターナショナルカード、クレジットカードのキャッシングなどが利便性があるようになって、キャッシュ両替やトラベルチェックは衰退していきました。ユーロが統一された通貨として浸透してきたからかもしれません。

 4時半頃ホテルに戻り休息。7時にお向かいのオペラ・バスチーユへ。

♪ オッフェンバック『ホフマン物語』 19:30~

指揮:ジェームス・コンロン  演出:ロバート・カーセン

ホフマン:ジャネ・ロートリック  ミューズ/ニクラウス:アンジェリカ・キルヒシュラーガー  リンドリフほか4役:サミエル・レイミー  アンドレスほか4役:クリスチャン・ジャン  オリンピア:デジーレ・ランカトーレ  アントニア:アンドレア・ロスト  ジュリエッタ:エンケライダ・ショコーザ  

2000.4  パリ・バスチーユ 

♪~ホフマン物語もカーセンの演出も初体験でした。幕の上がる前から酔っぱらったホフマンが下のプログラムの表紙のように舞台左手前に座っていました。鬼才と評されるカーセンの抱腹絶倒の舞台でした。人形のオランピアがホフマンを逆レイプ?するなんて誰が想像するでしょう。このころはオペラの情報も少ないころでしたから、なんの前知識もなかったので、もう驚きの一言!でもあのオランピアのアリアはこういう舞台で聴くとエロティック・・・でも少しもいやらしさを感じさせなくて、笑ってしまいましたが・・・。舟歌の場面も露出度は結構凄くて、ヴェニスの退廃と官能的な雰囲気満点でした。この演出は人気は高かったらしく、この後も2年ほど続けて再演されていました。ランカトーレのぴちぴち度満点のオリンピアがとても印象に残っています。このときまだ彼女は20代初め。若くて凄いソプラノがいるものだと思いました。キルヒシュラーガーは前年のラヴェンナに続いて2回目。ズボン役もミューズ役もとてもキュートで、歌唱も素晴らしい!ホフマン役のテノールは声は良いのですが、一本調子で演技も下手でやや不満。Aキャストではデセやシコフが出演した舞台を収録、バスチーユのショップでDVDも発売されました。2,3年後でしたかアマゾンから日本語字幕盤も発売されました。
席は2階席2列目中央。

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参考CD:1996収録

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指揮:ケント・ナガノ  演奏:オペラ・ナショナル・ドゥ・リヨン コーラス:オペラ・ナショナル・ドゥ・リヨン

ホフマン:ロベルト・アラーニャ   リンドルフ/コッペリウス/Drミラクル/ダペルトゥット船長:ホセ・ヴァン・ダム   オランピア:ナタリー・デセ   アントニア:レオンティーナ・ヴァドゥーヴァ   ジュリエッタ:スミ・ジョー   ステッラ:ジュニッタ・ラスカッロ  ラ・ミュゼ/ニクラウス:カテリーヌ・ドゥボック   アンドレス/コシュニーユ/フランツ/ピティキナッチョ:ジル・ラゴン  スパランツァーニ:ミッシェル・セネシャル    シュレミール:ルドヴィック・テジエ




 


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2000年春の旅(10) リヨン~パリ [2000春ブルゴーニュ・ロマネスクの旅]

4/21(金)リヨン~パリ

 2泊したリヨンともお別れです。正午のチェックアウトの時間まで、部屋に荷物を置いたまま織物と装飾美術館の見学をしました。ホテルから2ブロックほどの近さです。

 ☆織物装飾美術館(初)

 リヨンは古くから絹織物が盛んでした。織物美術館は、2000年の織物の歴史(世界で最大級のコレクション)を展示しています。前日の美術館で観たリヨン派の花の絵のような華麗な織物、古代エジプトの裂地、ペルシャの絨毯など。日本の打掛など江戸時代の着物ももちろん展示されていました。

↓ 装飾美術館の前庭

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↓エジプト・コプトの織物(2~3世紀)

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↓花柄の壁紙のデッサン(1786~87)ヴェルサイユ宮殿のマリーアントワネット妃の居室のために製作されたもの。

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 ホテルで少し休憩したのち、リヨンパール・デュー駅へ。この日は週末だったこともあり駅構内は大混雑でした。まだ切符の自販機も完備されていない頃でしたので、行列に並びようやくパリ行きの切符を買うことができました。日本の新幹線と同じくらいの金額(プルミエクラスで600fくらい)でした。車両はがらあきで、車内はビジネスマンらしい人が多く、パソコンをしている人も(このころは少し珍しかったみたい)。ブッフェカーで買ってきたサンドイッチでランチにしました。日本の駅弁が懐かしい~と、ほとんど残すほどの不味さ。車窓の眺めは黄色い菜の花が絨毯を敷き詰めたように広がって綺麗。美しいフランスの田舎の風景にパリに戻るのが嬉しいような、惜しいような・・・「パリに戻ったら寿司屋に行きましょっと」

 パリリヨン駅に到着。久しぶりのパリのホテルに戻りました。レセプションのお兄さんが次はここと案内してくれたのは前のときと違う1階の部屋。ロビーの近くなので出入りする人たちの声も聞こえてがっかり。車の騒音かなりするので、部屋を変えてほしいと頼みましたが、今はイースターの休暇期間なので満室だからとのこと、がっかりでした。

 夕食のためバスでサン・ジェルマン・デ・プレへ。サン・シュルピス教会の前で降りて、教会の見学をしました。ここは2度目ですが、ドラクロアの「ヤコブと天使の闘い」を再見したかったのです。今回はどういうわけか照明が壊れていて、電気が点きません。すでに日暮れですから諦めて、近くの行きつけの寿司屋へ。日本人の男性カップル、ご主人が握り、相棒がサービス係で、いつも繁盛しています。ビール、魚介と海藻の酢の物、握り数貫でお腹がいっぱい。「美味しい~!」というと嬉しそうなご主人。日本の新聞をもらって帰りました。今度はいつ来られるかしら・・・。


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2000年春の旅(9) リヨン [2000春ブルゴーニュ・ロマネスクの旅]

4/20(木) 

 寒いブルゴーニュから南下してくると、暖かく春の陽気のリヨンに心ウキウキでした。まずは念願のリヨン美術館へ。ベルクール広場から地下鉄で行きました。

↓ ベルクール広場から

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☆リヨン美術館(初)

ここでの興味のひとつはリヨン派です。どんな絵なのか、実物を観られると思うと足取りも軽く出かけました。後から気がついたのですが、このとき私は裏口から入ったらしく、リヨン派の目玉ジャンモの「魂の詩」シリーズが一番遠い部屋にありました。歩きまわってようやく発見できた時は疲れてへとへと。広場に面した表玄関からだとエレベータですぐだったのです。

↓ 美術館前のテルロー広場



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 「魂の詩」の展示室(ここだけカメラ禁止でした)は同じリヨン派でも他の華やかな花の絵の部屋とちがって落ち着いた色調です。ロココとも異なる甘美さは官能性からも遠く、宝塚調とでもいえる軽やかなロマンティシズム。フランスの叙情とあまやかさがただよって・・・シャヴァンヌ以来のリヨンの伝統を受け継いでいるのでしょうか。

↓ リヨン派のシモン・サン=ジャン「女庭師」1837


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 シャヴァンヌの代表作の何点かはさりげなく階段室を飾っています。このさりげなさがなんか憎いなって感じ。印象に残ったのはジェリコーの「羨望偏執狂」の老婆。恨みのこもった凄い眼で自分の運命を呪っているよう。人生の終わり近くにこういう目をするって・・・怖いです。終わりよければすべて良しの終章を迎えたいものです。プッサンの「我アルカデァにもあり」と自画像はルーブルから貸し出しをうけて特別展示中でした。

 レンブラントの「聖ステパノの石打ち」(上)は初期の作品。まだ明暗の対比は強くないですが、弱冠19歳でこれだけのものを描いて居たのかと感嘆。同主題のエルスハイマー(エジンバラ・ナショナルギャラリー)
(下)と比べてみましょう。ステパノの衣装が似ていますが、明暗や色彩がそれぞれ素晴らしい個性の輝く名画です。

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ティントレットの「ダナエ」、ヴェロネーゼの「パテシバの水浴」、グレコ「キリストの捕縛」など見ごたえのある名画の数々を3時間ほどかけて鑑賞しました。

さて、橋を渡りフェルヴェールの丘を目指しましたが、坂道に弱いので旧市街の手前で早くもギブアップ。TAXIを拾ってホテルに戻りました。ベルクール広場近くのビストロで遅めのランチ。今日のお勧めのお皿はオマールエビのサラダ&マコンの白ワインをテラス席で。ブルゴーニュは寒かったので、暖かい日差しの下で浮き浮き気分。リヨンのグルメを愉しみました。

2時過ぎにホテルに戻り仮眠。6時に起きてシャワー、身支度をして地下鉄でオペラ劇場へ。初めてのリヨン歌劇場は外観はクラッシク、なかはモダンな造り、内装はほとんど黒一色。バルコンは5階まであり、私は平土間の後方でした。

♪ ヘンデル・オラトリオ 『ヘラクレス』コンサート形式

指揮:マルク・ミンコフスキ 

デジャネラ:アンネ・ゾフィ・フォン・オッター  ヘラクレス:ギドン・サクス  
イオーレ:レイーヌ・ドゥソン   リシャス:カテリーヌ・ダンリィ   
ハイリウス:リチャード・クロフト 

 今回の旅はロマネスク聖堂巡りが主な目的だったのですが、日程はリヨンの
この公演に合わせて計画しました。
前年の夏、エクサンプロヴァンスで初めてミンコフスキとオッターの組み合わせ
『ポッペアの戴冠』を聴いたのですが、魅了され大ファンになったのです。
次の機会がこんなに早く実現できるなんて!と大喜び。初めてのリヨン訪問に
なりました。コンサート形式なので退屈するかとも思ったのですが、ロマネスク
巡りの疲れも問題なく、5時間近くかかったヘンデルのオラトリオを楽しむことが
できました
オッターが英雄の誇り高き、そして嫉妬に苦しむ妻を歌って素晴らしかったのを
筆頭に他の歌手たちも健闘。ミンコフスキも終盤になるにつれて気合の入った
熱情あふれる指揮で大感激!彼の大きな体を揺らすように軽くリズミカルに指揮
する姿も、ノリノリで大好き~☆
参考CD/2000.4 Theatre de Poissy でのライブ録音でキャストは上記のリヨンの時とほぼ同じ。帰国後購入。
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帰途、地下鉄のエレベーターで一緒になった老婦人も美しい演奏だったわね~
感激の面持ちでした。
リヨンは大都会ですが、パリとは違ってメトロの車内も安全、真夜中のベルクール
広場を横切ってホテルへ帰りました。

   


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2000年春の旅(8) ボーヌ [2000春ブルゴーニュ・ロマネスクの旅]

4/19(水) ボーヌ→マコン→リヨン

リヨン/ロイヤルホテル 2泊

 この日はお得意の?うっかりミス、リヨン行のはずが反対方向のデジョン行の列車に乗ってしまいました。どうやら駅の小さなモニターのホームの表示を見間違えたようです。デジョンで次の列車までの待ち合わせで結局2時間の時間ロスでした。

そのため、寄るはずだったトゥルニュは通過せざるをえなくなり、駅の近くのサン・フィリベール教会を悔し涙で見送りました。いつ来られるかしら・・・(忘れるはずはなく、10年後に訪問)クリュニーとベルゼ・ラ・ヴィルの見学をした後夕方までリヨンに入らなければならず、無理を避けたのでした。


 さて、マコンの駅はコインロッカーは満杯。他に預ける場所はないとのことで、事務所に置いてくれないかと頼んだの
ですが、にべもなくNONとの返答(涙)。仕方なくバスの予定を変更して、タクシーで回わりました。初めはとても愛想の良い運転手だったのですが、降車のとき事前に交渉した金額より高く要求され、文句言いながら結局払うことになって、後味の悪い思いをしました。
駅員さんたちの冷たい態度といい、悪質タクシーといい、マコンの印象はすこぶる悪いものでした。ここに寄る事はもうなさそうです。

☆Chapelle Priorale Berze La Ville ベルゼ・ラ・ヴィル礼拝堂 /クリュニー修道院の付属小修道院として、クリュニーの南12Kに建てられました。

車はマコネ地方の葡萄畑の丘の上の小さな村に入っていきました。礼拝堂というより民家の納屋のような入口でストップ。そこから裏庭へ抜けて2階への階段を昇ると礼拝堂です。中に入るとカウンター(ブックショップ)があり、入場料を払い見学しました。

↓ 入口で

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小さな礼拝堂は窓も大きく、輝くような色彩の壁画が目に飛び込んできました。
保存状態も良く、正面のマンドラに立つイエス、背景の青に散る星も鮮明で綺麗。ビザンチン美術の影響が見受けられます。カメラ禁止。 

今でも礼拝堂として活用されているのかどうかわかりませんが、木のベンチが並べられていましたので、座ってじっくり鑑賞できました。マンドーラに囲まれた大きな目のキリストの表情が印象的。またこの教会の守護聖人というサン・ヴァンサン(またはサン・ロレンツォ)の殉教図((鉄網の上で焼かれる)があります。聖女たちやアーチの縁取りもビザンティンそのもので、イタリアのモンテ・カシーノから呼ばれた画家が描いたといわれています。

クリュニーの付属の小修道院であったことで、クリュニーの修道院長,聖ユーグの第2の住まいとなったといいます。
大修道院のクリュニーとは違うこの小さな祈りの空間を気に入ったのでしょう。フランス革命の破壊からも免れ、
のどかな周辺の景観にとけこんでいます。

↓ パンフレット

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↓ 見学の後、車の中から振りかえって撮影

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↓ マコネの葡萄畑

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↓ クリュニーへ向かう道路。丘の上にシャトウ・マコネが見えました。

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☆ Abbey de Cluny クリュニー修道院  ブルゴーニュの南に建つベネディクト派のクリュニー修道院は11世紀から12世紀の半ばのヨーロッパで最も権威のある修道院でした。1450か所にのぼる西欧の修道院や教会などの頂点に立っていました。910年の創設ですが、その発展に伴った富の蓄積や贅沢により批判が高まり、1098年にその批判をもとに清貧を旨とする新しいシトー派の修道院が生まれました。ブルゴーニュ地方に二つの大修道院が80Kの距離で相対していたのです。クリュニー修道院は度重なる増築を経たのち、フランス革命で大きな破壊を受け、ロマネスク史上最大の教会だった第三教会堂はほんの一部を残し消えてしまいました。

TAXIをオシエ美術館前で降車し、まずここから見学しました。破壊を免れたいくつかの石の彫刻を見た後、

↓丘の上の地図のあるところから

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聖水塔に向かって降りて行きますと、修道院の入り口(記憶が薄れていますので、どの部分だったのか?)がありました。女性が一人机に座っていて、ここで入場料を払い、回廊を右に、左に壮大な空間を仰ぎ見つつ・・・この時点では今まで観たこともない高さのある身廊空間に驚きながら、通り抜けました。

↓ 穀物倉庫のある庭園から

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☆ ファリニエ美術館 穀物倉庫の二階を上りますと、素晴らしい柱頭が並んでいます。高校生の修学旅行のグループと一緒になりました。引率の先生が熱心に説明しますが、半数はあらぬほうを見て聴いていません。つい10年前には娘たちもこんな感じだったわと微笑ましくもあり・・・。柱頭の並ぶ手前のガラスケースに破壊される前の教会の模型があるだけで、がらんとしていました。現在は改装されています。2010.9再訪。

↓ カメラ禁止なので絵葉書です

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↓ 第三教会堂の周歩廊の柱頭彫刻「単旋律の音、第3音」マンドーラのなかでリュートを奏でる男。

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エミール・マールによるとグレゴリオ聖歌の八つの旋法のひとつを擬人化したものだそうで、「広大な教会に鳴り響く聖歌の力強いハーモニーは、彼らには森羅万象の至高の表現と思われたのである」とあります。その当時の教会音楽には疎いのですが、バッハやモーツアルトの教会音楽の原点になったのでしょう。

  今はもうほんの一部しか残されていませんので、その広大な修道院は残されたプランで想像するしかありません。フランス革命の嵐が奪い去ったものの大きさが、あの場所に立つことでヒシヒシと胸に迫ってきました。周辺の住民が破壊したわけでないことも知りました。時代の波に流されて、修道院が消えていく様を見つめた彼らの気持ちを考えざるを得ません。
ここクリュニーがブルゴーニュ=ロマネスクの旅の最後の訪問地でした。お天気にも恵まれましたが、一番観光客が多く、カフェなども賑わっていました。マコンの駅に戻り列車でリヨンに向かいました。

 リヨンに着いたのは夕方6時半頃。ベルクール広場に面したホテルに泊まりました。夕食はさすがに連日のフランス料理に飽きて、中華レストランをホテルで紹介してもらって、久しぶりに餃子や焼きそばをいただきました。

↓ ホテルは古い建物ですが、内部は改装されたばかりのようで、裏庭に面した静かな部屋でした。

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2000年春の旅(7) ボーヌ [2000春ブルゴーニュ・ロマネスクの旅]

4/18(火)

 道路側に面した部屋でしたが、車の騒音はあまり気にならなくて幸いでした。朝食は果物や生絞りのオレンジジュースなど充実。サービス係も笑顔を絶やさず良い感じ。昨日泊まっていた日本人客はもう見かけませんでした。

9時半ごろインフォに行き、14:30からのワイナリ―見学のバスツアーを予約しました。その後は向かいに建つオテル・デューの見学です。

↓ 再訪問のオスピス・オテル・デューの中庭

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↓ 施療院の病室 突き当りにチャペルが設けられています。

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☆ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「最後の審判の祭壇画」1442~51 オテル・デュー/ボーヌ(絵葉書)

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Hotel Dieu de Beaune(1443)の一室に飾られているこの祭壇画はもとは施療院の病室の奥に設置された祭壇に飾られていたようです。色瓦の美しいフランス・ゴシック(フランボワイヤン)様式の建物はブルゴーニュ王国の宰相ロランによって建立されました。その歴史の展示室や上記の病室、台所などが見学ルートになっています

いったん中庭にでますが、ここで帰ってはいけません。目立たない表示があり、小さな美術館になっています。部屋に入りますと、すぐ目に飛び込んでくるのが、この「最後の審判の祭壇画」です。大きな拡大鏡が秤を手にするサン・ミッシェルの厳しい目を写し、思わずたじたじ(笑)ひるみました。ウェイデン前半生の集大成的傑作です。この祭壇画の前にたつと美術館に移されなくてよかったと、天に感謝したい気持ちになりました。病に倒れ死を目前にした患者さんの目に映った魂の計測はただただ祈りのみによって救われる天国への入り口だったことでしょう。

↓ 次はノートルダム教会へ。

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堂内はタぺスリーが飾られ、ロマネスクの雰囲気はあまり感じられませんでした。

↓後陣へ回ってみました。こちらのほうがロマネスクらしいところが残っていて、屋根の上のランタンも珍しい。

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果物やお惣菜を買って部屋食のランチと休憩。近くの公衆電話から留守宅に電話をすると、次女が丁度勤め先から帰宅していて、ボーヌの話などをしました。夫も元気とのことで安堵。

時間になり、ワインツアーに出発です。7~8人の参加者のうち日本人は私を含めて3名。二人はロンドンに語学研修に来ていて観光に来られた若い女性たちでした。

↓ ボーヌの南方面のコート・ドールを回りました。マイクロバスなので揺れて写真はピンボケです。

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超有名なロマネ・コンティの畑に寄って記念撮影したあとは、とある農家の庭先から入った地下のワイン倉庫に行き、ここで名もない(笑)ワインを試飲。車でボーヌまで来られた方たちはダースで購入されていました。もう少し小奇麗なところだと思ったわと日本人3人はブツブツ文句でした。4月なのでまだ葡萄畑も緑の葉も茂っていませんから、寂しい感じでした。

 ボーヌに戻り次女と来たことのあるワインショップに寄ってみました。マダムはまだ健在でしたが、あのときお手伝いしていた娘さんの姿はなく、お客さんの姿もなく、ひっそり・・・今回は前回のように持って帰ることもできないので、6本を船便で送ってもらいました(送料込みで2200f)。札幌の自宅に届くまで韓国経由で1か月かかりました。直接持って帰った時のほうが美味しかったのは、当然なのでしょうね。

夕食は昨夜閉まっていたホテル内のレストランへ。↓ ホテルの中庭の見えるテーブルでした。ライラックも咲き始めて、急に春が訪れたようなブルゴーニュでした。

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 ア・ラ・カルトで前菜に生のフォゴラを炙ったものに焼き林檎の付け合せ。メインは赤鯛のグリル、お腹いっぱいになってデザートはパス。夜1時半頃隣室がうるさくて目が覚めました。それからなかなか寝付けなくなって、睡眠導入剤を半分飲んでようやく眠れました。


タグ:ボーヌ
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2000年春の旅(6) オータン~ボーヌ [2000春ブルゴーニュ・ロマネスクの旅]

4/17(月)オータン15:42→ボーヌ17:17(列車)

ボーヌ/ル・セップ ホテル2泊

 今日は珍しく朝から晴れました。ホテルの朝食室には行かず、エスぺランス(ヴェズレーの宿)からもらってきたパンにミカン、手持ちのコーンスープで部屋食。チェックアウトして、荷物を預けてオータンの街へ。ホテル近くの銀行でトラベラーズチェックから1000Fを両替。手数料はゼロでした。

↓ オータンの街

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★ロラン美術館 Autun★

1泊したオータンのホテルから徒歩5分くらい。低い丘を登るとサン・ラザール教会が目前に現れ、その手前の左手に古風な館風の美術館が建っています。開館時間の関係でまずここの見学をしました。館内は数えるほどの見物客しかいません。ローマ時代のモザイクなどの展示室から進みますと、

↓以前は教会に飾られていた「聖ラザロの蘇生」の群像彫刻。いったん葬られていたラザロが蘇り、死臭がするので鼻を覆っている人も・・・。このキリストの奇跡の場面で鼻や口を覆う描写は6世紀以降に現れるそうです。ここでも現実的なユーモアが見られます。

 さて、ここの目玉「イヴの誘惑」はいったん中庭に出てから違う棟?に入ります。係員もごく少ないのですが、この展示室だけ別格の厳しい監視でした。もちろん撮影禁止。元はサン・ラザール教会にあったらしいギスレベルトゥスの彫った傑作です。この浮き彫りは写真と実物ではまったくの別物です。実物を観ることの素晴らしさを認識させられました。まさしく口あんぐり状態でした(笑)まず感嘆したのは石の冷たさを感じさせないこと。そして、女のあどけなさとしたたかさの2面性の表現。官能的な誘惑者としてのイヴの姿態は横長という構図にもドンピシャはまっています。



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 ↓「聖母被昇天 または聖マグダラのマリアの昇天」

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↓ サン・ラザール大聖堂の西正面扉口「最後の審判」、リンテルには巡礼者たちの列が刻まれています。

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☆サン・ラザール大聖堂 Cathedrale Saint Lazare(オータン)

 古代ローマ時代にはガリアの首都であったという歴史を持つオータンです。聖堂も5世紀には創建されていましたが、11~12世紀にかけて規模は拡大されました。10世紀から持っていたといわれるマグダラのマリアの兄弟である聖ラザロの遺骨を奉り、巡礼教会として発展しました。

ここの柱頭彫刻は一部ですが取り外したオリジナルを上階の展示室で見ることができます。南側廊のブックショップ横の螺旋階段を上った塔の部屋は、教会の暗い内部とちがい窓も大きく明るいので、細部まで良く見えます。目の高さの鑑賞なので、大きさや石の質感などが実感でき、素晴らしいです。
ヨセフの思案顔(東方三博士の贈り物)や口を開けて笑っているような顔(エジプトへの逃避)が傑作。選ばれたものの恍惚と不安我にあり。現実的な解釈で、マリアの夫としての、キリストの父?としての、戸惑いを表現。ヴェズレーのシンボリックな格調の高いものや悪魔の跳躍するものなどとは別の、人間的な心理描写に親しみを感じました。(カメラ禁止)
    
 

↓ミレニアム・オータンのポスターにもなった「眠る3人のマギと天使」は特に魅力的な図形です。(絵葉書)

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半円形に彫られた布団、一人目を開けて天使のお告げを聞くマギの眼が印象的。じーっと観ていると12世紀に観ていた人々と自分との垣根の無くなるような、時空を超えた不思議な感覚に捕われました。

後陣の屋根はブルゴーニュ地方独特の色瓦をのせて、ロマネスクにしてはちょっと立派すぎる感じ。


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 思っていたより大きい街ですが昼さがりのせいか人影もなくひっそりしていました。教会周辺は古い歴史を感じさせる趣きのある建物も多く、城壁のトンネルを抜け散策しました。白いこぶしの花が満開の、見晴らしのよい坂道を気持ちよく歩きました。前日までの寒さも和らぎ、復活祭まじかの春のポカポカ陽気になってきました。



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散歩の後は再び教会へ戻り、ロマネスクのタンパン彫刻のなかでも異彩を放つ「最後の審判」を名残惜しく見納めました。


ランチは教会前のレストランで、軽い食事のムニュから野菜クレープをチョイス。フランスの野菜は力強さがあり美味しくいただきました。 ホテルに戻って荷物を受け取り、列車でボーヌへ向かいました。(乗り換え2回)

 ボーヌの駅からはTAXIでホテルへ。宿はボーヌの旧市街にあり、観光に便利でした。ボーヌは次女が大学2年のときディジョンに泊まって日帰りした町です。とても気に入ってましたから、ここに2泊してのんびりすることにしたのです。

ホテルに入るとロビーに日本人のツアー客が数人。久しぶりに聴く日本語は関西弁のおばちゃんたち、懐かしいというより悪いけれどうるさい~!

↓ シングルの部屋はやや狭いけれど、トイレがバスルームとは別になっていて使いやすかったです。

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 夕食はホテルのレストランがお休みでしたので、近くのレストランを予約してもらいました。ここは安くて美味しくて大満足。満席で予約がないと入れないようでした。 旅のメモをみますと前菜があさりのラビオリ、メインは帆立貝とアスパラガスのグリル、フロマージュでした。グラスワインを頼んでも銘柄や産地を訊かれるのは、さすがにブルゴーニュ!

   


  


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2000年春の旅(5) ヴェズレー~オータン [2000春ブルゴーニュ・ロマネスクの旅]

4/16(日) Vezelay→Semur-en-Auxois→Saulieu→Autun

Autun/Hotel saint-Louis et de La Poste 1泊

 昨夜は夜中に目が覚め少し寒かったせいか、風邪を引いたようで、熱っぽく持病の咳が激しくなりました。出発を10時ころに延ばし、朝食はルームサービスにしてもらいました。

↓ 窓辺でのプチ・ディジョネ

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↓ ホテルの小川の流れる庭

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↓ ホテル玄関前で、名残惜しくも出発。

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 昨日と同じ運転手さんに予約していました。ヴェズレ―の西近辺はブルゴーニュ地方でもモルヴァンと呼ばれる深い森の続くエリアです。そちらとは反対に西に向かってスミール・アン・ノーソワまで走り、ここで降車してあとはバスの予定でしたが・・・この日は日曜日でインフォもお休みで、バスの時刻もわかりません。TAXIの運転手さんも通りがかりの人に尋ねてくれたのですが、わからないのです。結局荷物をTAXIに預け、1時間ほどこの街を散策してから、ソーリューまで行ってもらうことになりました。

↓ Semur-en-Auxoisのノートルダム大聖堂/この日は枝の主日(復活祭の1週間前の日曜日)で、教会の前から行列がでましたので、大勢の人たち。教会は壮大なゴシック様式のもので、一応中に入りましたが、ミサの前後だったのでしょう、あまりよく観られませんでした。

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↓ しかも時々雨の降る寒い日でした。街は少し高いところにあり、川が湾曲して流れているのが見えました。下りてみますと、中世の趣の美しい風景が目の前に現れました。雨の日でも熱心にスケッチする人の姿もあり、ここはかなり有名な観光ポイントらしいです。

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↓絵葉書

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あまり寒いのでカフェに入り、ショコラ・ショーを飲んで、TAXIに戻りました。ここから南下して30Kほどでソーリューです。

 ソーリューのサンタンドーシュ教会の近くでタクシーを降りる前に、親切な運転手さんはバスの出る駅まで行ってくれて、丁度停まっていたバスをソーリュー行きと確認して、荷物も荷台に預けるからと運転手さんに頼んでくれました。大層助かりました。すでに1時を回っていましたので、ランチを食べてねとチップを多めに差し上げて、お別れしました。

さて、バスの発車まで2時間ほど時間があり、まず教会へ。ところが、さきほどのスミールと同様の枝の主日のミサがあり、中は大混雑です。見学はランチの後にすることにしました。

↓ ソーリューの有名なレストラン「ロワゾー」このころはまだシェフはご存命でした。昨夜のご馳走の後では食欲もあまりなく、その右に建つホテル・ド・ラ・ポストのレストランへ。

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 食事が終わるころにミサ帰りのお客さんが入ってきましたので、時間もぴったりと教会へ。

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ところが「が~ん!」閉まっているではありませんか~。また再訪問できるかどうか・・・涙でした。

バスの発車時間まで1時間もあり、途方にくれながらもなんとか時間をつぶし、駅へ。ここのSNCF駅はほとんど廃線?なのか駅員の姿もなく、時間になってもバスの乗客は現れず、結局私一人だけでオータンまで走りました。女性の運転手さんが深い溜息・・・その気持ちも良く分りますよ。たった一人の乗客がジャポネーズ…おしゃべりもできやしない。

 オータンの駅前で降り、TAXIでホテルへ。このときはベスト・ウエスタンの系列だったのですが、現在は違うようです。古い建物で部屋数も多く、立派なレストランも併設。若い女性のレセプションも感じよかったのですが、部屋はバスタブなし。

↓ 部屋からの中庭の眺め。

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夕食はホテルのレストランでとりましたが、ランチもですが何をいただいたかは記憶になく、まあ普通のお味だったのでしょう。

 


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2000年春の旅(4) モンバール~ヴェズレー [2000春ブルゴーニュ・ロマネスクの旅]

4/15(土) Montbard→Vezely

L'Esperance 1泊

 モンバールの静かな朝、復活祭まじかの4月とはいえ予想したよりずっと寒く、厚手のコートが欲しいほどでした。

↓ 出発の朝@モンバールのホテルロビー

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 モンバール駅前からバスに乗り、1時間ほどでアヴァロンに到着。ここから連絡のバスは無く、タクシーでヴェズレーの丘の麓の村サン・ピエールのホテルへ。まだお部屋の用意ができていないのでと、ティールームに案内され、お茶の接待がありました。さすがミッシュランの評価の高い料理宿(2☆)。まもなく案内された2階の部屋は小川の流れる広い庭に面しています。白いこぶしの花が咲き美しい眺めでした。この素敵なプチ・ホテルの滞在はサント・マドレーヌ教会とセットになって良い思い出になりました。
ひと休みの後、ここから教会までは徒歩は無理とのことで、タクシーで5分くらいのヴェズレーへ。

↓ 丘の上の町ヴェズレーを遠望

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 丁度、昼食の時間でした。見学はゆっくりするつもりなので、はやる心を押えて運転手さんに紹介された坂道のレストランでランチ。素敵なマダムがサービス係で、寒そうにしている私を暖炉のそばのテーブルに案内してくれました。
まぐろのタルタルステーキに付け合わせの野菜がとても美味でした。

レストランから丘を100Mほど登ると教会が見えてきました。目指して歩く私・・・不思議に懐かしい感じがじわじわ湧いてきました。幼いころ、祖母に手をひかれて町はずれのお寺詣りに行っていたことがふいに思い出されました。優しく穏やかな信仰に篤い祖母でした。毎月一度は隣村の農家の叔父の家から檀家の寺のある町の私たちの家に泊りがけで遊びに来るのが習慣でした。祖母が懐かい・・・もう子育ても済んだおばさんなのに、ふいに子供の気持ちに帰ってしまいました。



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サント・マリー・マドレーヌ教会   Vezelay

ブルゴーニュ・ロマネスク巡りには欠かせない名刹として知られ、世界遺産にもなっています。サンチャゴ巡礼の「ヴェズレ―の道」の基点として11~12世紀には多くの巡礼者が訪れました。教会の名前になっているマグダラのマリアの遺骨が納められているという伝説があり、教会のナルテックスや身廊を飾る多彩な彫刻の見事な輝きに圧倒されました。

↓ 正面ファサードは19世紀に改修されています。

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教会の前は駐車場になっている広場があり、正面右の扉からに入ると、ナルテックスです。
身廊への入り口中央のタンパン彫刻が目に飛び込んできましたた。写真では何度も観ていたのですが、実際に見上げるとキリストの大きく広げた手の大きさに驚きました。それはキリスト教の信者であるかどうかなどの思惑を越えたもの、すべての人々への救いのためにおおらかに広げられた暖かい手に想えました。

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↓ 内陣は12世紀に火災で焼失。ゴシック様式に改修されています。

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 出発前に柱頭彫刻の見取図をNETで見つけ持参したものの100もあるというのですから、途中でギブアップ。ピンボケですが何枚かアップします。

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ヴェズレ―で一番気に入ったというか感銘を受けたのは「神秘の粉ひき」(絵葉書↓)


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これがいわゆる旧約から新約への変化を象徴的に表した柱頭彫刻です。エミール・マールの「ロマネスクの図像学」によりますと。。。シュジェールは以下の詩句を詠んだ「パウロは挽き臼で小麦からぬかを取り去り、モーセの律法の深遠なる意味をあらわにした。かくも多くの穀粒からぬかの無い真のパンを、われら天使の永遠の糧を作った」

 現代に生きる我々の新しい真理とは・・・首が痛くなるほど眺めながら、なぜか不安な気持ちでいっぱいになったことを今でもありありと想い出されます。

あの2000年春の旅で感じた言いようのない不安は不幸にも的中してしまいました。9.11からイラク戦争へと。。。
混沌とした世界に生きる我々と、暗黒とも言われる中世の時代に生きた人々
の想いは変わらないように思えるのです。
この時代の人々の新しい真理を希求する気持ちが切ないほどに伝わるロマネスク美術の傑作です。

↓ 後陣外観

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↓南側面

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 見晴らし台からモルヴァン地方の緑豊かな風景を眺めていましたら、急に雲行きが怪しくなり教会横のカフェに避難。激しい雷雨にTAXIの運転手さんが心配して早めに迎えに来てくれました。

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 夕食はホテルのレストランで。ひとりなのでマダムがいろいろ気を使ってくれて、感じの良いサービスはさすがでした。グラスワインでも丁寧に説明(あの~聞き取れませんの 笑)してくれるソムリエ。お料理はアラカルトで牛の骨髄のキャビアづめなるものをいただきました。これぞ!本場でしかいただけないフレンチ・・・ですよね~。デザートのチョコレートケーキも小さいとはいえたっぷり4人前くらいのホールまるごとででてきたのにびっくり!部屋代は普通でしたが、夕食は部屋代より高いということに・・・いつもは3★ホテルを使っていますが、たまには清水の舞台から飛び下りて優雅なマダムの気分にひたりました。お腹いっぱいで動くのもようやくでしたが、階段登ったら部屋ですからバタリとベットに倒れました。夜中に目覚めお風呂に入って就寝。

↓優雅なバスルーム/絵が飾ってあるのは珍しいです。

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