(2-2)ミラノ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
♪~ドニゼッティ『ルクレツィア・ボルジア』ミラノ・アルチンボルデイ劇場 20:00~
指揮:Lenato Palumbo 演出:HUGO DE ANA オーケストラ:Teatro alla Scala
ルクレツィア・ボルジア・・・MARIELLA DEVIA
フェッラーラ公・・・MICHELE PERTUSI
ジェンナーロ・・・MARCELO ALVAREZ
マッフィオ・オルシーニ・・・DANIELA BARCELLONA
私の席は一階中央左より、新しい劇場とあって、とても見やすく音響もGOOD。舞台はなかなか豪華な鈍色の鉄製に見える壁板を場面毎に組み替えながら展開。ヴェニスやフェッラーラの宮殿や街角の雰囲気が良くでていました。ルネッサンスの光と影、芸術の華開く人間復興の時代、そして聖職者をもまきこんだ血なまぐさい政争の嵐。官能的なダンスとともに堕落したカソリック法王の衣裳からあらわれる美女たち、ルクレツィアの出生のいわれを思い起こさせます。さまざまな悪女伝説に彩られたルクレツィアですが、2002年はルクレツィアがフェッラーラのエステ家に嫁いで500年ということもあり、フェッラーラでは記念の展覧会も開催されています。翌日バーリに飛んだため、残念ながらフェッラーラを訪れるのは不可能。
デヴィーア、ペルトゥージ、バルッチェローナ、アルバレツが丁々発止!!とでもいったらよいのでしょうか、火花の散るような歌を聴かせてくれました。デヴィーアはもの凄い人気、ファンクラブ?フライング気味の拍手にちょっと気分がそがれることも・・・もちろん、ミラノ名物?の「シーッ!!」は何度もかかり苦笑い。
このオペラは一度サザーランドの映像を観ただけで、予習用のCDもさらっと聞いただけ。まったくの予習不足で臨んだのですが、舞台美術、衣装もルネッサンスらしい華麗なもので素敵でした。最高のキャストをそろえ、タイトルロールのデヴィーアの入魂の歌唱が特に印象的。悪い噂や非情な夫との荒れた生活の中で、ようやくめぐり合えた吾が子の死に悲痛な最後のアリアに・・・涙。
演出は当時の16世紀のヴェネチアやフェッラーラを舞台に政治、宗教の荒廃や堕落のエピソード的なシーンを挿入した見事なもの。この日はカメラが入っていて、後日映像を観ることができました。ペルトゥージの細かい演技には改めて感心させられました。
↓プログラムの表紙は当然ながら、ヴァチカンの壁画に描かれた憂い顔の細面の美しいルクレツィア。
夕食はオペラの前にアルチンボルディ劇場のカフェでカナッペとコーヒーで軽く済ませ,
夜食にはお湯を沸かして即席うどん。明日からは本命のプーリア探訪です。
参考CD:Donizetti『LUCREZIA BORGIA』1989録音
指揮:Jonel Perlea RCA Italiana Opera Orchestra & Chorus
Don Alfonso:Ezio Flagello Lucrezia Borgia:Montserrat Caballe Gennaro:Alfredo Kraus
Maffio Orsini:Shirley Verret
参考映像:ドニゼッティ『ルクレツィア・ボルジア』1999.10 道新教室にて
(2-1)ミラノ(パヴィア) [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]
7/4(金)朝食はブッフェスタイルでコーヒーも美味しく満足。昨夜は出発まで予約ができていなかったオストゥーニとターラントのホテルもレセプションに頼んで、プーリアまで何度も電話してとってもらえました。なので、印象はかなりアップ。
このホテルは中央駅がすぐ近いと油断してのんびりし過ぎ、切符売り場も混んでいたのでビナリオに駆け込んだのが、発車5分前・・・そしてやってしまいました。9:10 Genave行きをGenova行きと間違えて乗ってしまいました。同じ時間に、紛らわしいことしないで・・・と怒ったものの、後から調べたら私の勘違いで終点はGenovaではなくLa Speziaだったんです。。。とにかく次の駅で降りミラノに戻り、予定より2時間遅れでパヴィアに着きました。駅からサン・ミケーレ教会まで15分ほど歩きます。丁度お葬式が終わったところでした。お見送りが終わって人々が立ち去るまで入るのを遠慮しているうちに・・・お昼休みでキューゾ。
2時半に開けるというので、近くのサン・ミケーレ書店でお買い物ついでに
「この近くににブゥオン・リストランテある?」と店番のお嬢さんに尋ねたところ、店の名前と通りの名前を(徒歩数分)書いてくれました。入り口はめだたない小さなレストランですが、なかは人がいっぱい、そこのリブレリアで紹介されたというとニコニコして、一皿目のパスタは注文なしに「なんとかかんとか」とかってにもってきて、うちの自慢のパスタだといいます。今までで一番美味しいペンネ・アッラビアータでした。隠し味に何とかいうナッツ?を使ってるとか言ってましたが、よく聞き取れませんでした。二皿目は牛肉、とてもシンプルな味付けで、これもGOOD。フルーツのデザート・ワイン・水・エスプレッソ込みで20EUR ★★★
↓パヴィアのティチノ川にかかるコぺルト橋も眺めて
この後は念願のサン・ミケーレ教会(ロンバルディア・ロマネスク)の見学です。当時のデジカメは画数も少なく、教会の壮大なファサードも全体は入りきらず、内部も暗くてほとんど撮れませんでした。
☆サン・ミケーレ教会La Basilca di San Michele a Pavia (初)
パヴィアはローマ時代から栄え、6世紀にはランゴバルド王国の首都になり、この教会もランゴバルトの創建ですが、12世紀半ばには改修。ロマネスク建築の傑作のひとつです。砂岩の彫刻や浮彫の風化が激しく、補修も目立ちますが、それも最小限にとどめたいという想いが伝わってきます。
↓パネル状のファサード(中央上部)付け柱で3等分され、段違いに連なる小開廊アーチ
↓中央扉口
↓他の扉口
内部は三廊式で、暗くて柱頭彫刻も良く見えません。通りがかった神父様に絵葉書を買いたいと言いましたら、奥のデスクのある部屋に案内され、箱から取り出して売っていただきました。
↓プラン
↓ 後陣はどうなってるのかしら?とファサードの北方向をみましたら、アーチが
↓アーチの向こうは民家。洗濯物を干してある庭先を遠慮しつつと回りますと、さすが高さのある堂々たる後陣が見えました。参考書のデッサン(1865-1882)とほとんど変わらない姿。
↓ロマネスクの厚い壁と窓がいかにも~!
さて、ファサードを飾る大天使サン・ミケーレさんたちに別れを告げサン・ピエトロ・イン・チェル・ドーロ教会までは街の散策を楽しみながら歩きました。
↓ほぼ地中に埋まった7〜11世紀のクリプト(屋根、鉄柵で保護されている)
ロマネスク時代の塔(あちこちにある)、15世紀に創建されたというパヴィア大学の美しい中庭を横切って行きました。
サン・ピエトロ・イン・チェル・ドーロ教会San Pietro in Ciel d'Oro(初)
1132年に奉献されたロマネスク建築の教会。ファサードは先ほど見たサン・ミケーレ教会と似ています。付け柱で3分割され、上部の小開廊のアーチなど。サン・ミケーレは黄みを帯びた砂岩で、こちらは煉瓦です。中央の扉口は一部大理石で、細かい彫刻で飾られています。
夜はオペラなので早めにミラノに戻るため、内部は覗いただけで駅に戻りました。
↓パヴィア駅の近く
博物館も他のロマネスクもまだ観たいところが残っています。ミラノからも近く、また来れると思い列車でミラノへ帰りました。
続きます~