(2-2)カリアリ(ドリアノーヴァ) [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
~続きです。
Cagliari(Monserrato)13:30→Dolianova14:10/15:44→Cagliari(Monserrato)16:34
サン・サトゥルノ教会裏手からイタリア旅行協会公式ガイドの地図をたよりにDolianovaへ行くための駅を探しました。徒歩数分の裁判所のある大きな広場へ。しかし地図にある駅付近にはバス停があるだけです。運転手さんに聞いてみると、このバスに乗って途中から列車に乗り換えるというような説明です。まあ何とかなるでしょうとバスに乗り込むとまもなく出発。10分ほどでカリアリ郊外の駅へ。すでに列車が待機していました。市内だけ廃線にしたのでしょうか?列車には観光客はほとんど乗っていなくて、切符は車内で買いました。そのためお財布を出したのですが、向かいに座ってた女性がなんとかかんとか言って、手を出すのでびっくり(小銭狙い?)ノンノンですぅ~。40分ほどでDolianovaに到着しました。この町の地図はガイド本には載っていません。駅員さんが何人か立っていましたので教会の場所を尋ねましたら、ちょうど昼食に家に帰るから車で送ってあげるというのです。丘の上1キロほどの距離でしたから、助かりました。サルデーニャで初めて親切明朗な男性に会えました。
☆ドリアノーヴァのサン・パンタレオ教会San Pantaleo
12~13世紀のロマネスク様式。プランは翼廊のないバジリカ形式で正面左に鐘塔が付随。外壁は煉瓦、屋根は赤い瓦。長い年月を経ていますが、元の姿を大きく変えることなく凛とした気品を漂わせて建っています。扉に鍵がかかっていて入れませんので隣の管理棟らしい家の呼び鈴を押しましたが、応答なし。内部は見学かなわずでした。左の鐘楼や付け柱もがっちりした印象を強めています。
↓正面中央の扉口の大理石の(歪んだ写真では白く見える)まぐさ石は修復が済んだばかりでしょうか、珍しい絡み合った蛇やさそりの浮き彫り。その上のタンパンを縁取るアーチトレーヴも蛇です。すぐ脇に小さなアダムとイヴの浮き彫りがありますので、この蛇は誘惑のシンボルと思います。教会に入る前の戒めでしょう。写真ではよく見えませんが、壁面はところどころに人や動物のプリミティブな小さな浮き彫りで飾られています。
↓北側扉口の記念墓所の上の浮彫
↓後姿も素敵です。
↓振り返りながらお別れです
↓Google Earthより
教会の周辺は比較的新しい住宅が並んでいます。カリアリに通勤する会社員が多いのかも。暑い日の昼下がり、眠ったように静かな町でした。遅い昼食を駅の近くのBarで簡単に済ませ、カリアリに戻りました。元のバス停に到着した後は徒歩15分くらいのホテルへ。夕方でもまだまだ陽は高く、たまらず途中のバールに飛び込みビールをぐぃっ!。
部屋で休んだ後は8時ごろ夕食へ。ホテルの近くの食堂の並ぶ横丁で、散歩中のおじいさんご推薦の海鮮レストランへ。魚介の前菜やパスタ。味は普通。(期待しすぎたようで・・・)
(2-1)カリアリ [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
6/22(水)
涼しい北海道から出てきた身には辛い暑い一日でした。快適な冷房の効いたホテルを出たとたん「うわ~暑い!」ホテルの前の坂道を登りながら強い日差しにクラクラ状態でした。地図をたよりにまずサン・レミの見晴台Bastione di Saint Remyで、カリアリの町並みを眺めたあと、
細い路地↓を歩くと突き当たりに大聖堂の広場が見えてきました。
↓右手の階段を上ると大聖堂。ピサ様式の正面の装飾が素敵です。
☆カリアリ大聖堂Cattedrale
カリアリの丘の上の旧市街に建つ大聖堂。ピサ・ロマネスク様式のファサードが明るい日差しに映えています。
↓ファサード内側の説教壇は修復工事中でした。巨匠グリエルモがピサの大聖堂のために制作したものの一部で1312年にカリアリに贈られました。
↓14世紀の黒いマリア像?(確認取れてません)
☆国立考古学博物館
大聖堂から聖パンクラツィオの塔の脇をくぐり抜けて、国立考古学博物館へ。先史時代から中世初期までの発掘した出土品を展示しています。カメラ禁止だったのか、写真は残っていませんが小さな多分お墓の副葬品だったと思われる、戦士や母神像など。フェニキア~古代カルタゴ~古代ローマとサルデーニャの他民族に征服された歴史や文化を知ることができました。特にヌラーゲ時代のもの、初期キリスト教美術に関するものは興味深く見学。
↓聖パンクラツィオの塔
博物館からカテドラーレへ戻る途中に広場があり、エレベーターの表示が見えました。方向からいっても次に目指すS.Saturnino側です。これで降りると広い道路に出ます。少し歩くと元のサン・レミの上り口。ここから緩やかな坂道をくだり旧市街へ。迷路のようなチッタ・バッサ(下町)を10分ほど歩くと、サルデーニャで最も古い教会の遺構に到着しました。係員が待機していますが、時間制(昼休みあり)です。見学者は私ひとりでした。
☆サン・サトゥルニーノSan Saturnino教会
創建は6世紀ですが、11~12世紀にロマネスク様式に建て替えられました。前の部分は崩れ落ちた後は写真でもお分かりのようにガラスで囲われ、保護されています。(向かいの建物が映っています)内部に入るとすぐが大きなドーム天井の下のホール。左右ともガラス張りなので明るい空間になっています。建物の両脇の発掘のあとは2~5世紀の異教及び初期キリスト教の墓地だったとのこと。内部は撮影不可。古代の柱頭や簡素な祭室がいかにもプレ・ロマネスク。気持ちが洗われるような空間でした。いったん外に出てから広い敷地の建物の後ろに廻ってみました。高い柵がめぐらされ大事に守られています。紫のジャカランダの花を背景に建つ姿をうっとり眺めながら次の目的地へ。
↓Google Earthから
続きます~。
(1)札幌~ローマ~カリアリ [2005年夏サルデーニャ・ロマネスクとオペラ]
6/21(火)札幌8:30→東京羽田10:00/成田13:00→ローマ18:40/20:40→カリアリ21:45
Cabliari/Regina Margherita 2泊
早朝涼しい札幌を出発して、午後の東京発JAL便でローマへ。到着したローマの空港はあまり冷房が効いていないので、イタリアはもう真夏?スムーズな乗換えでサルデーニャへ向かいました。飛行機の窓からは、夕日が海面に反射して黄金色に染まったティレニア海です。息をのむその美しさにサルデーニャの旅の実感がわいてきました。島に近づくころは夕闇が迫り、カリアリ上空にさしかかったころはすでに夜です。初めてのサルデーニャ上陸で、少々心細い気持ちになっていました。
空港では荷物を待つ間、留守宅に「無事到着」のEmailをしましたが、送信できません。ローマでは送信できたのに・・・不安な気持ち。そしてトランクがターン・テーブルに現れません。ロスト・バッゲージのカウンターに行ってみますと行列です。ようやく、順番がきて訊ねてみました。奥のインターナショナルのほうにあるとのこと。何故?別のところにあるのかしら・・・係員も無愛想。指差す奥の部屋に行ってみましたら、隅に私の大事なトランクが転がっていました。おまけにタクシー乗り場も行列。心細そうな東洋のおばさんを見ても、「お先にどうぞ」と、順番を譲ってくれることもなく…イタリアらしくなくない陰気な雰囲気が漂ってました。ようやくタクシーの順番が来て、ホテルに着いたのは11時半過ぎていました。そんなこんなでハラハラのサルデーニャ上陸の夜でした。
↓MAP
↓日程/17泊19日
札幌→カリアリ(2)~オリスターノ(2)~サッサリ(2)~オルビア(1)~カリアリ(1)→ミラノ(2)~ヴェローナ(1)~ミュンヘン(3)→パリ(3)→札幌
(12&13)~オークランド~帰国 [2005冬オセアニアの船旅]
12日目、13日目
ここまできて1日分が抜けているような気がしています。途中の町で下船してショッピングだけした記憶があるのですが、資料が残っていないので・・・。ニュージーランドは食品の持ち込みに厳しい国なので、一時的な下船でも手荷物検査があります。食べ物は何も持っていませんでしたが、ビーグル犬が私の所へ来てピタッと座りました。手提げバックに果物の匂いが浸み込んでいました。風邪で寝込んだ時果物しか食べられずルームサービスで頼んだのを、バックの横に置いてあったからです。「怪しいおばさんだよー」とばかりに私を見上げる可愛いワンちゃんでした。
朝、船旅最後のオークランドに入港しました。あいにくの今にも雨が降りそうな曇天。
名残惜しく下船した後は市内観光へ。
↓見晴らしの良い展望台からクライストチャーチの街を眺め、同じドメイン広場に建つ
オークランド博物館の見学をしました。マオリ族及び南太平洋諸島の秘蔵コレクションがあります。
↓ガイドブック
市内中心部に戻り中華ランチを済ませ、午後便でオークランドからシドニーを経由して帰国しました。私が風邪をひいたくらいで、心配だった夫の体調には問題なく、留守中大雪に見舞われたという札幌に帰りました。
船旅の長所は何といっても荷物を持たずに旅ができること。のんびり青い海を眺めて過ごせることです。短所は
、停泊地だけの半日観光で終わることが多かったのが残念でした。夫も私も貧乏性なのか、あちこち見て回りたいほうなので物足りなかったのです。
以前のHPがニフティの都合で無くなり、コピーとして残らず消えてしまいました。資料もなくなり
今回は写真だけでアップしましたので、記憶違いがあったようです。確か2週間の旅なのに1日足りません。
4月には初孫が誕生、お産扱いでロサンジェルスへ。続いて6月は念願のサルデーニャ・ロマネスク巡りなど2005年は今思うに私の人生の中でも特に充実した年だったと思います。感謝の気持ちいっぱいで終わります。
タグ:オークランド博物館