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(9)アルル~マルセイユ [2003夏南仏とザルツブルクの旅]

7/30(水)

アルル最後の日はやはりサン・トロフィームの回廊へ再び行きました。柱頭彫刻の細かな作業に心惹かれます。特にある一本の柱頭には受胎告知から降誕、産婆さんによるキリストのもく浴、おまけに隣の柱の陰になって見えない部分にまで彫られた聖ヨセフには驚きました(写真は初回訪れたときにアップ済)。信仰篤いとはいえ、自分の仕事に誇り持ち、愛情を注いだであろうその人の手技を目の前に、800年の時を経て身近に感じる不思議さに時がとまるとはこのこと。

↓お別れの前に教会の写真を撮り

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出発の時間が来てあわててホテルに戻り、チェックアウト。昼ごろの列車でマルセーユへ。TGVが開通したマルセイユは駅の大改装中。夏のヴァカンス客でごった返す構内で救急隊員が熱中症?、倒れた若者を介抱していました。近くを通りかかりましたが、意識はもうろうとした感じでした。若いだけに油断もあったでしょうが、人通りの多い駅で見つかって助かったのではないかしら?

 

 日本から到着した夜に泊まった旧港のホテルに8日ぶりに舞い戻りチェックイン、預けてあったトランクを引き取り部屋へ。窓からの港と丘の上の教会の眺めが素晴らしく、娘と眺めていますと、10年前に亡くなった義父が20代はじめに農業機械の勉強のためにロンドンに渡航、マルセ−ユにも寄港していました。これと同じ風景を見たかも知れないという想いがこみあげてきました。

幸い、ホテルの前から丘の上のノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂までプチ・トランが登っているというのでさっそく乗り込みました。チケットを買おうとすると「ノッテ、ノッテ、ノッテレバ」と日本語の上手な運転手のおじさん。急勾配の坂道を登ってマルセーユのランドマーク、大きな聖母子像の立つバジリカへ。ここで皆降りて見学し、30分後の次ぎのプチ・トランで帰るシステムになっています。ここも要塞をかねていたとみえ、跳ね橋があり、物々しい雰囲気があります。

 

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☆ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂Basilique  Notre-Dame de la Garde

 

下のクリプトと上の聖堂の二層式。ロマネスク・ビザンティン様式の壮麗な内部。内陣に比較的新しい船の図柄のモザイク、飾り物、絵画にも港町らしい航海にまつわるものは船旅の安全を願って奉納したものでしょう。「おじいちゃんもきっとここへ来てお参りしたにちがいないわ」と無口で優しかった義父を思い出しました。ひと休みしようと椅子に腰掛けようとしたとき、「どちらから?」と日本人のシスターが声をかけてきました。「札幌です」というと一瞬声をのんだように見えました。札幌出身の方だったのです。天使女子大を出られた保健婦さんの資格をもつシスターでした。札幌、神戸、モロッコそして今はこの聖堂の隣接する修道院に居られるとのことでした。プライベートなことはほとんどおっしゃらず、この聖堂は船の安全ばかりでなく、人生の荒波にもまれる人々を守ってくださるということなど説明してくださいました。娘もクリスチャンの青年と結婚して、来春からアメリカで暮らすことになります。近じか、洗礼を受けることにも決まっていました。とても熱心にこのかたのお話に耳を傾けていました。神戸の病院は海星病院というので、次女のフィアンセの母上が系列の女学院出身なので、いろいろな偶然に驚きました。

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Google earthから拝借したノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂の全景(海抜154m)

 

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外へ出ると地中海のきらめくような地中海の青が目に入り素晴らしい眺めです。眩しくもあり、遠く暮らすことになる娘とのふたり旅も終わりに近く、その感慨も迫ってきて、泪がじわ~と、慌ててサン  グラス。プチ・トランにも乗り遅れたので、急な坂を降りてサン・ヴィクトール修道院を目指しました。

 

 ☆サン・ヴィクトール修道院Abbaye St-Victor

 ここは4世紀からと古い歴史を持ち、地下のクリプトも今までになく広大です。外観はここも港の要塞を兼ねるのでしょう。強固な城塞のようにも見える厳めしさ。ロマネスクらしい楚々とした魅力にははずれますが、内部は静寂、神聖な雰囲気にあふれていて、内陣の簡素な佇まい、その外観との落差も強く印象に残りました。クリプトは有料。聖人たちの墓が並べられています。布教のためにマルセイユから異国に出発して、そして命を捧げてお骨になって戻ってきたのです。

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↓プラン

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 既に陽が暮れようとしていますが、まだ西からの日差しが照り付け暑ーい!ホテルの反対側の旧港の近くまで来ましたが、ダウン寸前。カフェをようやく見つけて一息入れました。ここはインターネット・カフェでしたので、札幌にメールしました。札幌は冷夏で昨夜はキムチ鍋にしたとの長女の返信に眼が点!でした。2003年当時は携帯電話を持って歩いてなかった頃で、あちこちのネット・カフェを利用して、なんと便利な!と思っていたものでした。

 夕食は豪華に某有名レストランにて本場のブイヤベース。もちろん全部は食べきれないほどの量があります。お隣のおじいさまはひとりで来て、2人前からのこのブイヤベースを頼みました。結構食べ切って、ワインもボトルでぐいぐいあけてました。好きなだけ食べて飲んで、ある日突然のお迎え・・・なら良いのですが(汗)

ヨットやボートの停泊する旧港付近は夕涼みのお散歩の人たちで夜中まで賑やか。2003年夏のプロヴァンスの旅はこうして終わりました。明日から私はザルツブルク、娘はロスアンゼルスと別行動になります。


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(8)アルル(レ・サント・マリー・ド・ラ・メール) [2003夏南仏とザルツブルクの旅]

7/29(火)


  今日は午前中はエスパス・ヴァン・ゴッホとアルラタン博物館の見学。午後からはレ・サント・マリー・ド・ラ・メールへ行ってきました。

ゴッホといえばアルルに滞在していた1888年2月から1889年5月までに描いた傑作が目に浮かびますが、アルルでは一枚も本物を観ることはできません。100点以上も描いたというのに物足りない思いがしました。


↓昨日ランチで立ち寄ったカフェがモデルの「夜のカフェテラス」(クレーラー・ミューラー美術館/オランダ、オッテルロー)


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↓「アルルのゴッホの家(黄色い家)」(ファン・ゴッホ美術館/アムステルダム)


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↓「アルルのゴッホの部屋」(ファン・ゴッホ美術館/アムステルダム)


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エスパス・ヴァン・ゴッホはゴッホが耳切り事件を起こした後に収容された病院で、現在は再現された中庭や資料館が残っています。


↓エスパス・ヴァン・ゴッホにて


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前年スイスの美術館で「アルル施療院の庭」を観ていましたので、「あの庭だわ~!」と感動(笑)


 アルラタン博物館はバスターミナルからも近いので寄ってみました。女性の係員が民族衣装姿でしたので、カメラを向けましたが…撮影禁止でした。アルルの女=美人がこの伝統のドレスを着ることでますます美しく見えますが、現実は暑い日でしたし、仕事で仕方なく着てるのよの気分満載で苦笑。

アルラタン博物館はノーベル賞受賞の詩人フレデリック・ミストラルが賞金を基に作った博物館です。ミストラルの郷土愛が詰まっています。ミストラルがプロヴァンス語(オック語の一方言)で作品を書いたことで、その保護のための展示などもありました。邦訳で出版された『プロヴァンスの少女ミレイユ』がグノーのオペラ『ミレイユ』の原作だったとはこの時気が付きませんでした。


 さて時間になり12時30分発のバスで出発。何人かのツーリストのほかは地元の 海水浴の家族なども乗って、海辺の町へ50分ほど走りました。途中にはカマルグの白い馬が放牧され、乗馬学校も併設したホテルや民宿などさまざまなタイプの宿泊施設が並んでいます。

娘は高校生のとき、乗馬教室に通ったくらいなので、ここにも泊まりたかったと羨ましげ。カマルグの沼をぬって、乗馬をのんびり楽しむ人々を眺めているうちに教会の鐘楼が見えてきました。

 教会の見学前に腹ごしらえ・・・昼食は教会近くの魚介専門レストランで、大きなプレートに山盛りの牡蠣、ムール貝、海老などの盛り合わせを頼みました。今朝捕ったばかりと自慢げなおかみさん、真夏でしかも猛暑、最初は恐る恐るでしたががナント!!新鮮で美味しいこと。ブルターニュにも負けていません。レモンをたっぷり絞って…..キリリと冷えた白ワインも欠かせません。

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☆レ・サント・マリー・ド・ラ・メール教会Eglise les saintes Maries de la Mer

 さて伝説に彩られた教会の見学です。外観は要塞のようなそっけなさですが、海岸にある立地条件から、外敵や海賊から町の人たちを守る役目もあったのでしょう。単廊式の内部が暗いのは襲撃にも耐えるように窓がとても小さいから。暗いので写真は撮れませんでした。

キリストの死後ここに流れ着いたマグダラのマリアらの3人のマリア達の遺品や彼女たちの召し使いサラの像もクリプトに祀られています。サラが黒人だったということで、とりわけジプシーの巡礼者たちの信仰が篤いとのこと。他の南仏の港町には見られないちょっとエキゾチックな、流浪の雰囲気ともいえる感じ。海の聖母マリア達と名付けられたこの町は以後何世紀にもわたって巡礼地として人々を受け入れてきました。最近見かけないジプシーの煙草売りのおばさんも何人かたむろしていました。

外観はロマネスクの教会としては?でしたが↓プラン

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教会の階段を登って屋根にも上ってみましたたが、午後の強烈な陽射しにさきほどのワインがまわって、クラクラ状態でしたが、ここから見る地中海のまばゆい青、カマルグ湿地帯の眺めは素晴らしい。

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↓絵葉書ですが、カマルグからのサント・マリー・ド・ラ・メールの眺め

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↓ バス停近くから

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帰りのバスまで時間もあるので、土産物やの並ぶ細い道を歩き、ビーチにも行ってみました。

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ここは南仏のニースなどコートダジュールのビーチとは大違いで、フランスらしい洒落たところは少しもなく庶民的。周辺のカマルグの景観も含め、乗馬にビーチ、海の幸とのんびり安く過ごせそうです。そのせいか5時過ぎの帰りのバスは英語圏からの若者の観光客も多数乗っていました。

 夕食は8時過ぎに、また昨日のレストランへ。テラス席で食事していたのですが、そのうち暗くなり、蚊に刺されてしまいました。教訓:明るいうちに食事は済ませること。

アルル3泊の滞在もまたたく間に終わりました。明日はマルセイユに戻ります。


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