2001年夏の旅(11)マチェラータ(アンコーナ) [2001夏イタリア美術とオペラの旅]
8/6(月)マチェラータ10:13→アンコーナ11:43(チヴィタノーヴァ・マルケで乗り換え)
この朝も寝ぼけ眼で簡素な朝食をとり、トコトコ坂を下りて、マチェラータ駅からアンコーナへ列車で行きました。列車で約2時間、ロマネスクの先輩でもある友人と二人で日帰りの小旅行でした。アンコーナはマルケ州の州都でアドリア海に面した港湾都市でもあり、丘に広がる旧市街に見どころがあります。まず、駅からタクシーで港を見下ろす丘の上のサン・チリアコ聖堂へ。
☆サン・チリアコ聖堂 ANCONA
マルケ・ロマネスクの教会の中でも屈指のロケーション、アンコーナのシンボル的な存在です。11~13世紀にロマネスク様式で建てられましたが、ビザンティンの影響や一部ゴシックの様式もみられるということです。ところが残念なことに中に入ろうとしましたら、丁度昼休みで閉められてしまいました。
ファサードは全面修復かまたは洗浄したばかりのようで、いささか磨き過ぎの感じがしました。柱廊玄関の柱を支えるライオンも真新しく見えて、少々綺麗にし過ぎねとちょっぴり文句。しかし、ここからの港の眺めは素晴らしい。眼下にはクロアチアなどに向かう大型フェリーも停泊していて、賑やかな港の風景。創建された当時は中世にアドレア海を行き来する船の安全を願って建てられたのかもしれません。ここからアドレア海を越えてダルマチアのザダール(クリヴェッリが一時期滞在していた)へ行ってみたいものだとぼんやり夢想・・・。
余程がっかりしたのか、外観の写真を撮っていませんでした。このまま坂道を降り、次に目指すのが、さきほど港を眺めながら夢を見たカルロ・クリヴェッリのある美術館です。
☆カルロ・クリヴェッリ巡り@アンコーナ
アンコーナ市立美術館
カルロの数ある聖母子のなかでも、1等賞をあげたいと思う珠玉の名画がこの小さな美術館にあることを知ったのはいつごろのことだったででしょう。
入館すると、係員からローマ時代の彫刻などから観るように勧められたのですが、心ここに在らず状態。で、適当に覗いて係の青年にあまり時間がないと告げると、中庭から別棟の2階の小さな部屋に直行して案内してくれました。
その部屋は照明を落とし、「聖母子」はスポットライトに浮かび上がるように展示されていました。なんと美しい!
↓Carlo Crivelli「聖母子」1486頃 21×15.5(絵葉書)
聖母の我が子を見つめる気品のある表情、オリエント風マントも優雅に纏って、やさしく幼子イエスのつま先をつまみ持つ優雅な手。将来の悲劇はともかく、今はこの腕に抱く子への、あふれる愛情が素直に、そしてまた神性を失わずに表現されています。背景の吊るされた果物は林檎と瓜。緻密に描かれた人物のいる田園風景はマルケを描写したものでしょうか。ザダールの流浪からここマルケに落ち着いたカルロの充実した時期の傑作。
この後は旧市街を散策
遅くなったランチをプレビシート広場で。列車の時間までゆったり過ごしました。
レストランでタクシーを呼んでもらい駅へ。アンコーナ15:35→マチェラータ17:35
乗り換えのチヴィタノーヴァ・マルケで小1時間ほど待合室で列車を待ちました。マチェラータ駅に着いたのは夕方ですが、まだまだ太陽は沈む気配もない夏の日です。タクシーで、コッリドニアへ向かいました。コッリドニアはマチェラータから南東へ10Kほどの丘の上の小さな町です。かなり傾斜があり、胸突き八丁のような坂道をタクシーはぐんぐん飛ばして、目的の司教館に到着。
☆カルロ・クリヴェッリ巡り@コッリドニア
コッリドニア司教館付属美術室
教会(サンタゴスティーノ)の向かって右隣りの建物(突き当たり)が Pinacoteca Parrocchiale 。
イタリア語の司教館美術館という意味を理解していなかったのでウロウロ。
そこへブルーのワンピース姿の私達にとっては天使のようなおばさまが何処からともなく現れ、「ここよ」と言って何度も呼び鈴を押してくれたのですが、応答がありません。
教会内も一緒に探してくれて・・・でも、誰もいません。もうほとんど諦めて帰ろうとしたその時、「ガラガラ~」とガレージのシャッターの音がしました。行ってみるとParrocco(司祭)がホースを持って洗車中です。あまり機嫌がよくなくて「もう閉めたよ」みたいなことを言いましたが、天使のおばさまが交渉してくれたので、洗車の終わるのを待ってようやく入館できました。天使のおばさまは安心されたような笑顔で、去って行かれました。グラッツェ・ミーレ!
司祭の案内で書斎を通り抜けた奥の部屋にくすんだ暗い色調の「授乳の聖母子」がありました。他にも数点の後期ゴシック~ルネッサンス期と思われる祭壇画が数点。 意外にも司祭のご自慢はカルロよりカルロの弟ヴィットーレの祭壇画のようで、「サン・セヴェリーノでの特別展に貸し出し中だから、ここには今ないよ」とのこと。(いいんですよ。カルロを見に来たのですからと心の中でつぶやく)
↓ Carlo Crivelli カルロ・クリヴェッリ「授乳の聖母」127×63
授乳の聖母の図像はロマネスクの彫刻にもありますが、古くはエジプトのコプト教の壁画に遡ると言われています。ケルビムたちの祝福に囲まれた聖母子の自然な授乳のスタイルは抑えた色調が特徴です。カルロの他の祭壇画に見られる豪華な金色の光もなく、落ち着いた地味な板絵。単独の作品でしょうか。
旅の前に調べたネット情報では閉館は19:00となっていたのです。司祭にお会いしたその時は18:15頃でしたが、もう閉めたと司祭にいわれて焦りました。予約したほうが確実でしょう。無料。
そしてマチェラータに戻りました。この夜はオペラもなく、ランチも遅かったので、夕食は手持ちのもので部屋食(おにぎり、カップみそ汁など)にしました。明日はマチェラータから南下してアスコリ・ピチエーノまで遠出します。
2001年夏の旅(10)マチェラータ [2001夏イタリア美術とオペラの旅]
8/5(日)
この朝の眠たさは半端ではありませんでした。それでもなんとか朝食をとり、マチェラータ近郊のマルケ・ロマネスク巡りに出発しました(同行3名)。タクシーはホテルから予約してもらい半日貸切。料金は良く覚えていないのですが、4人で割って、2000~3000円くらいでした。
目的の2教会はこの近辺に多い丘の上の街ではなく、平野に近い地にポツンと建っています。まずは、マチェラータから東へ10Kほどのサン・クラウディオ・アル・キェンティ教会へ。
☆サン・クラウディオ・アル・キェンティ教会
この教会は12世紀の建築です。小さな村の家々に囲まれた2階建の教会に、棟続きにはホテル・レストランも併設されていました。建物は四角形のプランに両脇に丸い塔がついた安定したフォルム。ビザンティン様式の影響もあり、円筒型の鐘塔はラヴェンナの様式がうかがえます。ロマネスクの修道院が建つ前は古代からの歴史があるとのこと、この地方では重要な建築物と紹介されています。
上下に分かれたお堂を正面の階段テラスで行き来しました。真夏でしたので教会を背景に赤い夾竹桃が咲き、庭の手入れも良く、美しい風景でした。夜にはライトアップもされるようです。
後背部の3室はプーリアにも見られるオリエント風ののっぺりとした細長い一層のもの。
内部は柱頭彫刻などの装飾はないのですが、ロマネスクらしい力感あふれる見事に太い柱と上部に続く天井は煉瓦積されたもの。いかにもイタリアらしい明るい色の煉瓦が印象的でした。
再び、待っててもらったタクシーでアドリア海に近いチヴィタノーヴァ・マルケの方向へ走り、
☆サンタ・マリア・ア・ピエ・ディ・キエンティ教会
ピエ・ディ・キエンティはガイド本には9世紀の創建とのこと。現在はほぼ11世紀の建築が残っています。明るい戸外から入りましたので、しばらくはここの暗さに盲目状態。内部は窓がアラベスターなので余計に暗く、内部の写真は撮りませんでした。
↓内部(絵葉書)三廊式の内陣。後陣は周歩廊になっているバジリカ様式。天井は木組み。上下二層構造になっていますが、上階には登れませんでした。14世紀のフレスコ画と15世紀の木製の「十字架上のキリスト」が残っています。
戸外は真夏の太陽がギラギラ。昨日と同じに40度近い猛暑の日でした。ひんやりした教会の内部は暑さからの避難場所でもありました。教会の外装は修復工事中でしたが、青空をバックに三層に積み重なった後陣はなかなか立派でした。簡素な鐘楼の形(壁式)も田舎の教会らしく可愛い。
↓下の2枚は絵葉書です。
これで本日のマルケ・ロマネスク巡りは終了、マチェラータに戻りました。4人で遅くなった昼食をセコンドというこの町随一のレストランで。マンマが手作りなんだと息子さんが自慢ののラザーニャがとても美味しくて・・・それで滞在中は何度か通いました。
ぐっすりお昼~夕寝のあとは夜のオペラ観劇へ。
♪~ヴェルディ『アイーダ』
指揮:ダニエレ・カレガーリ 演出:ウーゴ・デ・アナ
ラダメス:ニコラ・マルティヌッチ アイーダ:ノルマ・ファンティーニ アムネリス:ナージャ・ミカエル アモナスロ:ルチオ・ガッロ
♪~昨年もマチェラータに来られた友人の話では、マルティヌッチが素晴らしかったとのこと。でもこの夜は風邪気味で衣装の袖に薬(スプレー)を隠し、時々それを使いながら、苦しそうに歌っていました。
アイーダとアムネリスはまあまあ。このオペラはあまり好きでは無いのですが、2列目の席だったので、舞台を縦横にダンサーを使った迫力あるシーンなど凝った演出で、楽しめました。年寄り役のガッロと若い役のマルティヌッチは見た目はあべこべ。このときのガッロはそれほど記憶に残っていません。
終演後の夜食はランチに続いてセコンドへ。ワイワイガヤガヤ、美味しいマルケのマンマの味に舌鼓、ワインも良いものをチョイスしました。
明日の予定は友人と二人でアンコーナ、他の方たちはタクシーをチャーターしてアッシジへと別れることになりました。
2001年夏の旅(9)フィレンツェ~マチェラータ [2001夏イタリア美術とオペラの旅]
フィレンツェ10:13→ボローニァ着11:10/11:32〜アンコーナ13:44(2時間遅れで16:00頃到着)・・・タクシーでマチェラータへ。
マチェラータ/ホテル・クラウディアーニ4泊
今日は順調にいっても4~5時間はかかる列車移動の日です。ところが週末のアドリア海沿岸への海水浴客が殺到して、大変な混雑でした。日本からこの列車で合流するはずのオペラ仲間とは列車内では会えません。やはり、スーツケースをフィレンツェに置いてきて4泊分のキャリーケースで来たのは正解でした。 なにしろギューギュー詰め、トイレにまでお客さんが・・・。私も必死で、なんとか積み残されずに済み、デッキですが腰を下ろすことができました。せっかく日本から予約してきたファーストクラスの座席指定券も、そこにたどり着けないのですから、パー(涙)。そしてようやくアンコーナの駅に到着しました。ホームに降り立って友人たちを探しましたが、誰もいません。。。ミラノ始発から乗っているはずですが。。。
適当なバスもなく、タクシー乗り場へ。アンコーナの駅からしばらく走ると、前にもタクシーが走っていて、車の窓に友人らしい姿が見えました。ホテルに着いて訊いたところ、間違えてひとつ前の駅で降りてしまったとか・・・8人もいて?前日日本からの長旅で余程お疲れだったようです。タクシー料金は私独りで1万円ほど払いましたので、顔で笑っても心の中ではドジなんだからと不機嫌。
マチェラータの夏の音楽祭は私は初めてでしたが、オペラ仲間たちは2回目です。大層素敵な街の野外でのオペラ鑑賞の話は常々聞いていましたので、すごく楽しみでした。そのうえ、近辺の町や村には追っかけの画家カルロ・クリヴェッリの祭壇画がいくつか残っているのです。
ホテルの部屋はツインで広く、バスタブつき。やれやれとひと休み後、ロビーに集合して今夜のオペラの前に腹ごしらえ。オペラ会場になっているスフェリステリオ(19世紀の野外球技場)の近くのカフェで。
いったんホテルに戻り、着替えてから21:30開演のオペラへ。
♪ベッリーニ『ノルマ』
指揮:ロベルト・リッツィ・ブリニョーリ 演出:ダニエル・アバド
ポリオーネ:ファリンコ・ファリーナ オロヴェルゾ:アンドラ・パピ
ノルマ:シルヴィ・ヴァーレル アダルジーザ:マリアーナ・ペントチェーヴァ
昼間の40度近かった猛暑も去って、とても気持ちの良い宵でした。夕闇が迫るころの群青色の空の綺麗なこと!丘の町マチェラータは細い階段の通路があり、そこをカタカタとサンダルの靴音を響かせながら、降りて行きました。
さて肝心の『ノルマ』です。球技場として造られたこの会場は奥行きはあまりないのですが、間口が左右に拡がり、なかなかダイナミックな見せ場を観ることができます。
ヴァーレルは映像の『アイーダ』で観たことがあり、美人で歌も素晴らしかったので、期待は大きかったのですが・・・予習で聴いたカラスのアリアが耳に残っていて、ヴァーレルには不満足。昼間の移動で疲れていたこともあり、ボーッと観ていたのでしょう。あまり記憶に残っていないのです。残念。
↓席は3夜とも前列の中央付近でした。
終演後はみんな揃ってお楽しみの夜食。昨年に来店して、リーダーのO先生の顔なじみになったトラットリアで、乾杯~。就寝は当然午前2時過ぎになりました。
参考映像:ベッリーニ「ノルマ」
ポリオーネ・・・ロス・スティーブス(テノール)オルヴェーゾ・・・・・・・クリフオード・グラント(バス)ノルマ…ジョーン・サザーランド(ソプラノ)アダルジーザ・・・マルグレータ・エレキンス(メゾ・ソプラノ)クロティルデ・・・・・・・エテラ・ピハ(メゾ・ソプラノ)フラーヴィオ・・・・・・トレヴァー・ブラウン(テノール)シドニーオペラ管弦楽団指揮:リチャード・ボニング演出:サンドロ・セクイ合唱指揮:ペーター・シーモア制作:1978年 8月1日 シドニーオペラハウス
2001.6道新教室にて。
参考CD: