2001年夏の旅(12)マチェラータ(アスコリ・ピチェーノ) [2001夏イタリア美術とオペラの旅]
8/7(火)
今回の旅は夏のマチェラータ音楽祭がメインでしたが、それと同時にマルケ地方に点在するカルロ・クリヴェッリの名画を観て歩くことも大層楽しみなことでした。幸運なことにNETで知り合いになったカルロが好きな先輩や友人たちに恵まれ、旅の前に多くの情報を得ることができました。
車がないと行かれない辺鄙な町や村にある祭壇画はタクシーで回らなければなりません。独りでのクリヴェッリ・ツアーも覚悟していたのですが、3名のオペラ仲間たちが同行してくれることになり、本当にありがたく思いました。
朝食を済ませ、タクシーを予約していた9時少し前にレセプションへ。これから訪れる教会の管理人に電話予約をしてもらいました。すでに来ていたタクシーの運転手さんも到着の予定時間をアドバイスしてくれて、スムーズでした。そして張り切って出発ゴー。
↓ルートマップ(マチェラータ9:00→マッサ・フェルマーナ10:00/10:30→モンテ・サン・マルティーノ11:00/11:30→アスコリ・ピチェーノ12:00/13:00→アドレア沿岸経由→マチェラータ14:30
まずはマチェラータから南へ1時間ほどのマッサ・フェルマーナへ。丘の上の小さな村の駐車場にはすでに若い女性のドットレッサ(クリヴェッリの研究員?)さんが待っていてくれて、祭壇画のあるサン・シルヴェストロ教会とPinacoteca Comunaleに案内して下さって、そのうえポスターやパンフレットも沢山いただきました。日本に帰ったら宣伝させていただきます~。ポスターは大切に持ち帰りました。
↓マッサ・フェルマーナのPinacoteca Comunale地区絵画館(Google earthより)。左の旗のある建物です。この道の先にサン・シルヴェストロ教会があります。
☆カルロ・クリヴェッリ巡り@マッサ・フェルマーナ
サン・シルヴェストロ教会(マッサ・フェルマーナ)。写真はNETから拝借、このときはやはり舞い上がっていたのでしょう。教会の外観なども全く見ることもなく、カルロの祭壇画にまっしぐら(笑)でした。
↓「マッサ・フェルマーナ多翼祭壇画」(玉座の聖母子と聖人たち)1468製作 180×128 ダルマチアのザダールからイタリアに戻ったカルロが初めて署名と1468の年記を残しています。写真撮影は禁止でした。
中央に聖母子、左右に4人の聖人たち(左から洗礼者ヨハネ、聖ラウランティウス、聖シルウェステル、聖フランチェスコ)、上部にピエタと受胎告知。プレデッラはキリストの生涯の4場面。このなかでお気に入りは「受胎告知」、戸惑った表情のマリアと浮遊してる天使がキュート!マリアの部屋の左奥の年輩の男性はヨセフでしょうか?背中に哀愁が漂っています・・・。
熱心に英語で説明してくださった若い女性(名前忘れ)と名残惜しくお別れして、次の目的地を目指しました。30分ほど走りモンテ・サン・マルティーノに到着。モンテはイタリア語で山ですから、その名の通り標高600M近く(札幌の藻岩山くらい)の山の上に築かれた城壁跡に囲まれた町です。(写真はパンフレットより)
頂上付近のサン・マルティーノ教会に直行。教会は町はずれに建ち、外観は素朴な石積み、何の装飾も見当たりません。こんな辺鄙なところに、カルロの多翼祭壇画が?と思う間もなく現れた多分ボランティアと思われる若い男性が鍵を開け、英語で案内しくれました。カメラ禁止。
☆カルロ・クリヴェッリ巡り@モンテ・サン・マルティーノ
サン・マルティーノ教会(モンテ・サン・マルティーノ) 写真はGoogle earthより)
↓「モンテ・サン・マルティーノ多翼祭壇画」1476-85頃製作
先に観たマッサ・フェルマーナの祭壇画からほぼ10年以上の歳月が流れた後に製作されたモンテ・サン・マルティーの祭壇画は比べると明確にゴシック的な装飾は過剰なほどです。豪華な衣装に身を包み、しかしそれに負けない強い輪郭線には驚きました。アレクサンドリアの聖カタリナをはじめ聖人たちの容貌や佇まいは華やかな個性にあふれています。
↓左「アレクサンドリアの聖カタリナ」、右「聖マルティーノ」
実はこの作品はカルロの弟のヴィットーレとの共作です。中央の「ピエタ」と「聖母子」下段右の聖人たちをヴィットーレが担当し、他の聖人たちをカルロが描いたのでしょうか?ヴィットーレの画風は兄カルロに比べると甘くソフトな趣があり、兄の陰に隠れながらも、それなりに人気が高い画家です。この時も同行の友人たちは激しい個性を見せるカルロより、ヴィットーレの優しさに評価が高かったです。
↓ヴィットーレ・クリヴェッリ「モンテ・サン・マルティーノの多翼祭壇画」1489
そして、アスコリ・ピチェーノへ。ところがアスコリの街へ入る道を間違えたタクシーの運転手さん、そしてぎりぎりの時間で計算した私のせこさもあって、町のドゥオーモに着いたのは昼休みにはいる5分前。全速力で走って大聖堂に駆け込んだのですが・・・。無情にも目の前でカルロの祭壇画のあるサンテッシモ・サクラメント礼拝堂の鉄柵が閉められました。柵越しに眺めたのですが遠い・・・涙。
☆カルロ・クリヴェッリ巡り@アスコリ・ピチェーノ
サンテミディオ大聖堂
ローマ時代のバジリカの遺構を基に建立。以後はさまざまな改築がなされましたが、現在の姿は15世紀末のもの。正面ファサードはルネッサンス様式で1525~1540年にかけて付け加えられたもの。
↓ 大聖堂の左に洗礼堂(12世紀/八角形)が見えましたが、内部拝観には予約が要るとのことで、見学できませんでした。
「玉座の聖母子」136×66と 「ピエタ」61×64を含め大小21枚のパネルによって構成される。
1472年にアスコリの司教より大聖堂のために委嘱された中期の代表作。
↓ 「アスコリ・ピチェーノ大聖堂多翼祭壇画」1473
↓ 中央下段の「聖母子」(部分/絵葉書)と上段左の「アレクサンドリアの聖カタリナ」
バラバラに分解されて世界中に散らばった多翼祭壇画のなかでパネルごとオリジナルの場所に保存されていた数少ない例がこの日見てきたマルケ地方の3つの多翼祭壇画です。その点でもクリヴェッリ愛好家にとっては貴重な一日だったと言えるでしょう。
大聖堂の右隣の司教区美術館(Museo Diocesano di Ascoli Piceno)は夏休みなので昼休みなしでの開館でした。日本語の簡単なパンフレットもあり、日本人の私たちは歓迎され、係りの方も親切でした。いくつかのクリヴェッリ派の展示室を通り奥のカルロの部屋へ。
通常の額に入った絵画ではなく、青いパネルに重ねられた展示。その配色のせいもあって、とても
モダーンに見えました。幼児キリストの表情、涼しげなワンピースが可愛い。この優雅な聖母マリアの作品は1930年までクリヴェッリ派のP.Alemannoの手になるものとされていたそうです。
↓「子イエスを礼拝する聖母」71×50 絵葉書
↓ クリヴェッリ派のアレマンノ(P.Alemanno)の祭壇画 1485製作 絵葉書
こうしてようやく忙しいクリヴェッリ巡りも終了。アスコリにはほかにもカルロの作品はあるのですが、画集で観たところではかなり傷んでいることもあり、友人たちをこれ以上お付き合いさせることは遠慮しました。
大聖堂の前のアッリンゴ広場でアイスクリームを食べて休憩の後、アドリア海沿岸のハイウェイを走り、昼食のためセコンドの近くで降車。メーターでは走行距離216K、5時間半に及ぶ行程でした。チップを含めて、ひとり7000円ほどかかりました。
夜のオペラまで時間はありますから、ゆっくり昼食をとりました。残念ながらラザーニャは売り切れ、暑いのでデザートに西瓜が食べたいと注文したのですが、通じず・・・絵を書いたりしてようやく ココメロですって!普通はレストランで出すデザートではないみたいです。家族用?なのか出してもらえました。ホテルに戻って仮眠。
♪~プッチーニ『トスカ』21:30開演
指揮:レナート・パレンボ 演出:ジルベルト・デフロ
トスカ:エリザベート・マトス カラヴァドッシ:マルチェロ・ジョルダーニ スカルピア:ルッジュエロ・ライモンディ
♪~マチェラータ滞在の最終公演は昼間のクリヴェッリ巡りの疲れと安堵もあり、またもやボーッとしていました。マトスはなかなか頑張って歌っていましたが、肝心のアリア「歌に生き~」は失敗。その反対にジョルダーノは前半はひやひやものだったのに、処刑される前のアリア「星は光りぬ~」は素晴らしい出来で、アンコール。ライモンディの1幕目は存在感のある歌と演技でテ・デイムのシーンはぞくぞくするほどでした。しかし、2幕はちょっとパワーが落ちた感じで残念。舞台が広くて疲れちゃったのかしら?カーテンコールにも現れませんでした。
野外なので途中、オートバイの音が聴こえたりするのが気になりました。ヴェローナやオランジュも経験しましたが、音響はやはり良く無いのと、演奏が天候に左右されるということもあり、まあ一度、夏の祝祭的な雰囲気を味わったから、それで満足。再訪はもうないかも知れません。
皆で最後の夜食はまたまたセコンドへ。夜でも遅くまでオープンしていますが、夏の音楽祭が終わったら夏休みに入るとか。今夜も午前さまでお帰り、皆元気でしたね~。