2001年夏の旅(2)フィレンツェ [2001夏イタリア美術とオペラの旅]
7/28(土)
ホテルの朝食室は混んでいて、古いトッレ(塔)のほうに案内されました。なかなか美味しい朝ごはんで、少し機嫌がよくなりました。この塔は夜はバーになってるらしく、メニュー表が置いてあり、眺めていた隣のテーブルの女性が「すごく高い!」と驚いていました。この朝の客層は落ち着いた感じの欧米人がほとんどでした。
10時ごろ外出。フィレンツェは今回で3回目でしたが、ここを中心に移動するので、結局5泊しました。今まで未訪問だった教会や美術館を中心に歩き回りました。まずはドゥオーモにご挨拶と行ってみましたが、夏休みのうえにウィーク・エンドとあって、凄い数の観光客で行列。洗礼堂の天国の門も近寄れないほど。
↓ サン・ジョヴァンニ洗礼堂&ドゥオーモ付近の建物
それを横目にアンヌンツィアータ広場へ。孤児院の美術館は午後からオープンとのことで、隣のサンテイッシマ・アヌンツィアータ教会に入りました。
☆サンテイッシマ・アヌンツィアータ教会 /Basilica dlla SS.Annunziata
広場に面した柱廊入口からはいりますと中庭(15世紀)。廻廊の壁面にフレスコ画(ロッソ・フィオレンティーノやポントルモなど)の保護のためでしょうか、天井はガラス張り。
内部はバロック様式ですが暗くて撮影できませんでした。教会の側廊から「死者の回廊」(15世紀)に出られますが、ロープが貼られ見学は禁止されていました。アンドレア・デル・サルトの「袋の聖母」が残っているとのことでしたが、遠くで判別できず・・・。
↓ 再々訪問予定だった孤児院美術館は時間が合わず、今回は通過。
↓アヌンツィアータ広場からドゥオーモ方向。
真夏のイタリアは強烈な日差しです。屋内に避難しなければと、近くのサン・マルコ美術館へ。
☆ サン・マルコ美術館(2)
ここはツアーで来て以来10年ぶりでした。混雑しているという情報でしたので、ホテルで前売りチケットを購入してきましたが、すぐに入館できて、拍子抜け。フラ・アンジェリコのコレクションが並ぶ展示室から、今回は2階の僧坊をゆっくり見学できました。階段を上がった正面の壁にかけられた、アンジェリコの傑作「受胎告知」。観ている人の心も洗われるような清らかさがここに確かに静かに存在しています。美術館と言っても元は修道院の建物ですから、祈りの空間の中に、あるべき場所にあるということですね。
↓ フラ・アンジェリコ Fra Angelico (1387~1400)「受胎告知」
僧たちが祈り暮らしていた個室にはアンジェリコとその弟子たちによって描かれたフレスコ画が残っています。全部で何室あったでしょうか。絵葉書ですが紹介します。
↓ もう一枚の「受胎告知」は僧坊の第3室にあります。こちらも上に劣らず傑作です。装飾など省かれている分、空間表現やマリアの表情。。。朝に晩にこれを仰ぎ、祈り、ここで一生を終えた僧がいたことを想わずにいられませんでした。
↓ 「聖母戴冠」 第9室。
この後はパラッツォ・メディチ=リッカルディへ。
↓ 中庭と回廊
見物する人もごく少なく、入口が分かリにくいです。廻廊からの階段を上がって
☆メディチ家の礼拝堂
初期ルネッサンスのフィレンツェの建築物の傑作でミケロッツォの設計。壁に描かれたゴッツォーリの「東方三博士の旅」を観るために訪れました。意外に狭い空間に華麗なメディチ家の人々が行列に参加しているという壁画です。これでもかという感じの豪奢な衣装を着けたメディチ家の人々を観ていると、なぜか息苦しくなって・・・退散。
↓ べノッツオ・ゴッツォーリ Benozzo Gozzoli(1420~97)「東方三博士の旅」(部分)絵葉書
いったん階下に降りて、違う階段を上ると豪華な広間(ジョルダーノの天井画)があり、手前の控えの小部屋の片隅に「聖母子」が飾られていました。確かフィリッポ・リッピだったと思います。
昼食はホテルからも近いIL Caminettoで。前菜は盛り合わせ、パスタはポルチーニのタリアテッレ、メインはアスパラとチーズのオーブン焼き。とても美味しかったです。暑いうえに満腹とくればお昼寝しなければ身が持ちません。ホテルに戻りひと眠り。
ウフィッツイ美術館も予約(16:00~)していましたので、入口はまだ混雑していましたが、人をかき分けて進み入館しました。
☆ウフィッツィ美術館(3)
今回の旅はピエロ・デッラ・フランチェスカの名画を巡るという目的もありましたので、ここの収蔵品である「ウルビーノ公夫妻の肖像」にご挨拶と展示室へ。でも残念なことに、夏休みの里帰り?でウルビーノへ貸し出し中でした。
代わりに展示されていたのは最近までピエロの作とされていた「理想都市の景観」、春のイタリア年の記念展で東京で観たばかりでしたが、上から見下ろすように低く展示され、東京と違い人はまばらですから、じっくり観られました。
「ウルビーノ公~」は1991と1998の2回観てますが、今回は一応、裏側に描かれた「それぞれ凱旋の馬車に乗る公爵と公爵夫人」の図像解釈について、少し予習して来ましたので、肩透かし。。。
↓ 「フェデリコ・ダ・モンテフェルトロとバッティスタ・スフォルツァの対面肖像」1472~74頃 各47×33 絵葉書
今回は3回目で初めてトリナブイーナと呼ばれる八角形の展示室に入ることができました。メディチ家のビーナスの彫刻を背景に赤い壁面を埋める名画の数々。
↓ ロッソ・フィオレンティーノの「リュートを奏する天使」 39.5×47 絵葉書
ロッソ・フィオレンティーノは別室にあった「エテロの娘たちを救うモーゼ」もマニエリスティックな激しさで魅かれました。いつも思うことですが美術館は見学するたびに新しい発見があるのが嬉しいです。春にルーブルで観た鮮やかな色彩の「ピエタ」も思い出されました。
↓ 同じくトリブーナに展示されていたブロンズィーノの「ルクレティア・パンチャーティキ」夫の肖像と対画になっています。絵葉書
展示室もすべて回ることはできませんから、今回は第何室か忘れましたがこちらへも
↓ G・ベッリーニの「聖なる寓意」 主題は謎とされ、様々な解釈があるようです。絵葉書
他はコズメ・トゥーラの「聖ドミニクス」なども初めて気がつきました。カラヴァッジョの「メデューサ」はまだ修復中でした。
↓ウーゴ・ヴァン・デル・フースHugo van der Goes「ポルティナリの祭壇画」1475-76 初期ネーデルランドのエイクやウェイデン以降最大の巨匠とされているフースの代表作。メディチ家のブルッへ代理人がフィレンツェの私用礼拝堂のために注文、フィレンツェに持ち帰った祭壇画。
数年前、一人旅で訪れたブルッヘ(現在のブルージュ)の街や美術館で観たフースの絵画を思い出しました。またこの作品がここウフィッツィでも最も重要視されているボッティチェッリと同室に展示されていることも、嬉しいことでした。
館内のバールでオレンジジュースでのどをうるおし、テラスからの眺めを楽しみました。そして、まだ明るいフィレンツェの町を散策。夕食にピッツアをテイクアウトして、ホテルに戻りました。夜、偶然ツアーでフィレンツェに来ていた姉から電話が来て、明日シニョーリ広場で待ち合わせをすることなりました。途中から添乗員さんが替わり、間違いなく広場に案内しますというので安心でした。
冷蔵庫は直っていましたし、お詫びにとワインをもらいましたので、まあいいか。。。今日はフィレンツェ観光の初日の上、猛暑で大層疲れました。
2001年夏の旅(1) 札幌~フィレンツェ [2001夏イタリア美術とオペラの旅]
札幌のオペラの会のグループで春の旅に続いて夏のマチェラータ音楽祭に出かけることになり、参加しました。そして春と同じようにグループにプラスして、マチェラータの前後にトスカーナとウンブリアも加え、追っかけの画家たち巡りをしました。
スケジュールは札幌→成田&ミラノ乗り換え→フィレンツエ(3)→シエナ(1)→アレッツオ(1)→ペルージャ(2)→フィレンツエ(1)→マチェラータ(4)→フィレンツエ(1)→ミラノ&成田乗り換え→札幌 13泊15日
7/27(金)千歳7:50(JAL)→羽田9:20/成田発13:00(AZ)→ミラノ18:10/21:00→フィレンツェ21:55
フィレンツェ/ホテル・ブルネレスキ3泊
羽田から成田までは初めて京成電鉄に乗ってみました。ところが意外に時間がかかり、アリタリアの第一ターミナルに着いたのが12:00でした。そして宅急便で送ったスーツケースを引き取りに行きました。ところがJALとの共同便なので、第二ターミナルにスーツケースも預かっているとのこと。大慌てで連絡バスに乗り移動。スーツケースを受け取り、さすがに顔色替えてJALのチェックイン・カウンターまで走りました。辿り着いたのは30分前でしたからギリギリ。もうチェックインは閉めたのよといいながら、電話してくれてOKでした。京成電鉄の所要時間に加えてこの共同便の勘違い・・・きちんと確認しなかった私のミスでした。大いに反省しながらも、胸はドキドキ、吹き出す汗をぬぐいながら搭乗口へ。機内誘導が遅れていたので、なんとか滑り込みセーフでした。
ミラノで乗り換えフィレンツェにはほぼ定刻に到着。出発前にホテルからメールがあり、出迎えリムジンサービスを勧められていました。夜遅いことですし、さほど高額でもなかったので、お願いしました。ところが見当たりません。10分ほど待っていましたが、最終便だったらしく人は少なくなり心細く、結局はタクシーでホテルへ。ホテルのチェックインカウンターの男性は私を見て、「入れ違いになったんですね~」ですって(苦虫)。TAXI代はリムジンの半分で済んだので、結果的には良かったかも。携帯電話はまだ持っていないときでした。
このブルネレスキ・ホテルはドゥオーモに近く、路地の奥に建っていて、由緒ある建物ということに魅かれ予約しました。しかし、シングルルームは狭い上にバスタブもなく、用意されたバスローブの紐ベルトも見当たりません。翌日気が付いたのですが、冷蔵庫も壊れていて、踏んだり蹴ったり・・・今回の旅はついていないみたいと元気なくベットへ(涙)。
↓ ホテル外観とトッレの朝食室はNETから拝借。