(10)ボローニャ(ポンポーザ&フェッラーラ) [2003春パリからベルリンへの旅]
4/17(木)ボローニャ→フェッラーラ→コディゴーロ(ポンポーザ修道院)→フェッラーラ→ボローニャ
矢張り昨日の疲労が残って、腰の調子が良くありません。今日はポンポーザとフェッラーラを訪れる予定ですが、場合によってはフェッラーラをパスする覚悟で、恐る恐る出かけました。でも、春らしい陽気の朝、フェッラーラまでの列車に乗っているうちに気分も体調も好くなってきました。
フェッラーラからは私鉄ですが、乗り換えの列車がすぐ出発しますので、駅舎に入って切符を買う暇もなく飛び乗りました。終点のコディゴーロまで1時間ほど、早春の緑の少ない平野をガラガラの列車は走りました。で、結局無賃乗車(汗)事前にポンポ-ザ修道院のHPで調べたところ、駅前からミニバスがでるとのことでした。降りてみると駅前には小さなBarが右手に見え、留置所の高い塀が目の前に聳えています。今は使われているかどうかわかりませんが、第二次大戦時、政治犯の牢獄としてバッサーニの小説に登場、そのせいかうらぶれた感じがしています。ここでキョロキョロしていると、ドイツ人のご夫婦が現れて、「ここで待っているとバスが来るらしいよ」と教えてくれました。そして「日本人の女性がひとりでこんな田舎にくるなんて、とても珍しいね~」と驚かれてしまいました。私達3人以外は地元の人たちという10人乗りくらいのミニバスで10分くらい走るとポンポーザの高い鐘楼が見えてきました。バスはおみやげセンターのようなところで止まります。ここを抜けると農道の脇に修道院が建っています。美しい後姿を眺めてから前面に回ります。
☆ポンポーザ修道院L'ABBAZIA DI POMPOSA
ポンポーザはポー川の河口近くに位置し、オリジナルは6世紀で、当時のイタリアはランゴバルド族の支配下にありました。ベネディクト派の修道院として祈りと労働の場として最適な土地だったこともあり、有力な修道院長のもとで繁栄。現在の教会は後期ラヴェンナ様式で、8~9世紀の建築です。高くそびえる鐘塔(高さ50m)や西正面のナルテックスは11世紀の増築です。
↓プラン
ファサードに面したチケット売り場で入場券を買ってから見学です。一番素敵だなあと思ったのは外壁の煉瓦の色です。修道院付属のサンタ・マリア聖堂のナルテックスはところどころマジョリカ焼の陶器がはめられ、その煉瓦色を引き立たせています。
↓ファサード
↓ファサード
聖堂の内部は14世紀のボロ-ニャ派のフレスコ画で飾られています(撮影禁止)。この時はボローニャに宿泊し、国立美術館でボローニャ派の絵画を数多く鑑賞したばかりでした。
地方の特色有る美術をこうして繋げて見られるのは嬉しいこと。修道院のなかの博物館や食堂に描かれたフレスコ画も一見の価値があります。
↓中庭から見た教会
↓ バスの時間まで教会近くのビストロで軽い昼食をとり、ここの看板ワンコもパチリ。
ドイツ人のご夫婦は御主人がイタリア語が堪能なので、いろいろお世話になりました。イタリアが好きで毎年イースター休暇にはあちこちのテルメに滞在して周辺を日帰りで回られるそうです。ドイツ人も温泉好きなのですね。そういう方法もなかなか良いなあ~と羨ましく思いました。
フェッラーラの駅でお互いにBuon Viaggio!!でお別れ。肥満気味の奥さんは足が弱いので、ご主人が労わりながら、遠ざかっていきました。
腰痛が激しくなってきて腰を曲げた情けない姿でしたが、フェッラーラ派の愛好家としてはどうしてもここを見学したいという気持ちが強く、駅から距離がかなりあるのでタクシーで向かいました。
フェッラーラの町はジョルジョ・バッサー二の「フェラーラ物語」でも描かれ、とても興味のある町です。腰さえ調子良かったら、ゲットーの残る路地を歩いてみたかったのですが、結局はこの美術館だけで退散・・・とても残念でした。おまけに両替を忘れ、手持ちのユーロがぎりぎり。帰りのタクシーや電車賃を考えると、絵葉書をほんの2,3枚しか買えませんでした。(涙)
↓ スキファノイア宮の大理石の扉口
フェッラーラの町はジョルジョ・バッサー二の「フェラーラ物語」でも描かれ、とても興味のある町です。腰さえ調子良かったら、ゲットーの残る路地を歩いてみたかったのですが、結局はこの美術館だけで退散・・・とても残念でした。おまけに両替を忘れ、手持ちのユーロがぎりぎり。帰りのタクシーや電車賃を考えると、絵葉書をほんの2,3枚しか買えませんでした。(涙)
↓ スキファノイア宮の大理石の扉口
↓ 月暦の間の見取り図
チケット売り場から上階への階段をようやく腰をさすりさすり登りました。月暦の間は神話プラス世俗的主題のフレスコ画が超有名です。フランチェスコ・デル・コッサ、エルコレ・ロベルティほかの15世紀後半のフェッラーラ派の画家たちの手になる一連の作品が北と東の二面の壁画に飾られています。(装飾全体の構想はコズメ・トゥーラによる)12か月の場面のうち3月から9月までが現存。
12暦とはいいながら、ロマネスクのゾディアックとはまったく違う月歴がそこには展開されています。図像学的にも説明は難解を極めています。異教的、占星的な場面と描かれた人物もフェッラーラ派らしい激しさを持っています。うち最もすぐれた東壁の3,4,5月はコッサの作と認められています。撮影禁止。
12暦とはいいながら、ロマネスクのゾディアックとはまったく違う月歴がそこには展開されています。図像学的にも説明は難解を極めています。異教的、占星的な場面と描かれた人物もフェッラーラ派らしい激しさを持っています。うち最もすぐれた東壁の3,4,5月はコッサの作と認められています。撮影禁止。
コッサFrancesco del Cossa(1436頃~77/78)
15世紀フェッラーラ派の画家。トゥーラ、ロベルティと並ぶフェッラーラ派の三大巨匠のひとり。トゥーラのもつ鋭い表現主義的な傾向にピエロ・デッラ・フランチェスカやマンテーニャの影響もあり、主にフェラーラとボローニャで活動。
↓コッサ「3月 ミネルヴァの勝利」
↓北壁より作者帰属不明「9月ウルカヌスの勝利」
部屋の真ん中に置かれていたベンチに腰をかけながら、謎めいた主題、表現のフレスコ画を眺めるだけでした。帰りは受付の方に頼むとタクシーを呼んでくれました。
フェッラーラからボローニャまでの列車の座席も固く、ますます腰痛・・・おばあさんスタイルでホテルに戻りました。今夜が最後のボローニャの夕食です。ベットで横になって休息してから近所の適当に選んだレストランで食事…味は普通でした。スーツケースを整理し、腰に湿布薬をベタベタ貼って就寝。
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