2000年夏の旅(14&15.16)サヴォンリンナ&帰国 [2000夏ロシア・ヴォルガの船旅]
7/17(月) サヴォンリンナ11:00→プンカハリュー(Punkaharju)13:15/15:40→18:00
朝食を済ませ、目の前の遊覧船乗り場へ。今夜はオペラがありますから、3時くらいにはホテルに戻って休息をとらなければなりませんが、それに適した湖遊覧コースがなくて迷いました。しかし、飛行機から見た風景の森と湖を巡ることを諦めることはできなくて、夕方に戻るコースに参加しました。到着からオペラの開幕まで2時間ありますし、船の中ではのんびり座っているだけですから・・・。
↓ 波止場の花壇には百合やアスチルべが咲いていました。
出航までお散歩。北欧では都会に住み夏休みになると、別荘で過ごす人も多いようです。鄙には稀なといっていいほど、垢抜けた北欧の若いカップルにベビーカーの赤ちゃん。思わず見とれてしまいました。今まで、ラテン系の国に行くことが多かったので、すらりと背の高い金髪の美男美女たちにうっとり。またそれ以上に子供たちの可愛らしいこと!
↓ さて出航。左の建物が泊まったホテルです。
↓ ほとんどの船はスチーム・ボートだったみたいです。
↓ まずはサヴォンリンナ音楽祭の会場になっている中世のオラヴィンナ城の近くを通り
↓ 湖上には無数の小島が点在。コテージ風の別荘が建っています。釣りをしている人も。
↓ 船内に貼ってあった地図。目的地のプンカハリューまでは赤いライン。
↓ 船内のカフェで、景色を眺めながら軽いランチ。
↓プンカハリューに到着。ロシアの境界線まで30Kの町です。鉄道も通っています。
↓ 同じ船に乗っていた女の子。船着き場で。
↓ 乗ってきた船は出発まで待っています。
さて、私は何処へ?するとフランス人で英語が話せるというカップルが「私たちと一緒に行きましょう」といってくれて助かりました。コテージや遊園地を通り過ぎると、徒歩5分くらいでアート・センターに着きました。ここではこの地方の昔の住まいや狩猟の仕方などが展示されています。壁にはジンべリのポスターが・・・今タンぺリで開催中の特別展のもの。
↓ センターの前は芝生が広がり、ワンコたちも首輪などつけず、のびのび。
カフェやショップもありウロウロしているうちに時間になり、船着き場に戻りました。
↓ サヴォンリンナに到着。小さな女の子もお洒落です。
さて、ホテルで休息、着替えてオペラへ。湖に沿って会場のお城まで徒歩15分くらいでした。
↓ 途中で民族衣装でダンスをする人たち。これも音楽祭の余興の一端かもしれません。
↓ 少し暗くなってきました。桟橋を渡ってお城へ。
♪ 『運命の力』ヴェルディ
指揮:ペルッテイ・ペッカネン 演出:ミカエル・ハンペ
レオノーラ:エレーナ・ザレンスカヤ ドン・カルロ:ライモ・ルッカ ドン・アルヴァーロ:カルデイ・カルロドウ プレジオシッラ:ペイヴィ・ニズラ
@サヴォンリンナ オラヴィンナ城中庭
♪~オペラ会場は湖に突き出す形で建つ中世の古城です。昼間は晴れていましたが、夕方オペラが始まるころには雨模様になりました。でも、お城の中庭には大きなテントが張られ天候には左右されません。レオノーラの「パーチェ~」のアリアの時、雨脚が強くなってきました。一層の哀れさを誘われ、シーンと静まる会場。自然とアーティスト、観客との一体感は忘れられません。運命の力は東京でゲルギエフの指揮で聴いて以来2度目でした。簡素な舞台でしたが、大きなキリストの磔刑像が見下ろすなかでの悲劇は心打つものがありました。この音楽祭には日本のカメラメーカーも協賛していましたが、見渡せど日本人はおろかアジア系の人も皆無。背の高い北欧人に埋まるような日本人の私はかなり異質?注目を浴びていました(汗)
暗くなった帰り道で、徐々に人も少なくなりましたが、何の心配もなくホテルに戻りました。今日は美しい北欧の景色と音楽を満喫した日でした。明日は帰国の途に就きます。
7/18(火)サヴォンリンナ14:30→ヘルシンキ15:10/17:20→
昨日の疲れもあり、正午のチェックアウトまでのんびり荷物の整理。ヘルシンキの乗り換えも国内線と国際線のターミナルは隣接しているのでスムーズでした。国際線のターミナルは日本人も多く、いきなりジャパニーズの世界へ。現実の世界へ(笑)。ショップで木彫りのムーミン人形(別々に売っていて)を5体揃えて購入。ところがスナフキンが足りないことが帰国後に娘の指摘で判明。日本で追加購入しました(高い!)
フィンランドに行ってきましたと言っても、ヘルシンキとサヴォンリンナだけでしたが、居間に飾ったムーミンたちを見てムーミン谷にも行ったつもり・・・。
7/19(水)成田8:55・・・羽田12:30→千歳14:00
このころはまだ旅の期間は15日間くらいでした。隣家に独りで住む夫の母が85歳を過ぎ、衰えが顕著になってきたころで、放浪癖のある奥さん(夫の弁)としてはそろそろ年貢の納め時かなと思いつつ札幌に帰りました。
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