2000年夏の旅(6)ウグリチ~ヤロスラヴリ [2000夏ロシア・ヴォルガの船旅]
7/9(日)ヤロスラブリ15:00着 18:00発 ウグリチ~ヤロスラヴリ(209キロ)
毎朝、朝食の前にデッキでストレッチ体操のクラスもありました。指導の若い女性は見覚えがあると思ったら、レセプションの係りの方でした。他にも兼務の仕事をしている従業員の方が多く、きびきびとした働きぶりでした。また食事のサービス係はロシア人よりウクライナとか周辺の小国からの若い女性が多く、なかには日本的な顔立ちの方もいました。日本人ツアーのテーブルに同じ人がつくので顔見知りになり、下船のときはお別れを惜しんでくれました。日本人以外はドイツ人が多く、朝の挨拶も交わしたり、友好ムードでした。
↓ 船からは荒れた教会や改修工事中のところも多く見かけました。
さて、ヤロスラブリ州の首都であるヤロスラブリに到着。ウグリチと同様の「黄金の環」に名を連ねる古都ですが、なかではここヤロスラブリが最大の町であり、2005年にはユネスコの世界遺産にもなりました。多くのロシア正教会の聖堂が残っている歴史地区の観光をしました。街の紋章は「熊」。
●預言者イリヤ教会(イリヤ・プロロク)
17世紀に遡る「ヤロスラヴリ式」と呼ばれる、赤レンガで建てられ白い明るい色のタイルを外観に張った聖堂がいくつかあり、預言者イリヤ聖堂(イリヤ・プロローク聖堂)はその中でも代表的なもので、北東ロシアの「黄金の環」と呼ばれる古都群の聖堂の中でも印象的なフレスコ画で飾られています。
↓ 内部はカメラ禁止なのでNETから拝借。奥行きの浅い祭壇の後にそびえる豪奢なイコノシタシス(信者用の身廊と至聖所を分ける)
そうそう、玄関入口のところにロシアの青年が古本を抱えて、売っていました。英語も話し、ここはカメラ禁止だからと「ヤロスラブリ」という本を勧めます。貧しくも知的な感じのする青年に思わずお財布を出してしまいました。1500円くらいでした。
↓表紙が聖イリヤ聖堂です
18歳で上京した頃(1960年代初め)には、駅で自作の詩集を売っている人がいたことを想い出しましたが、こんな風に数冊の本を抱えて、控えめに立っている人を見たのはこの時が初めてでした。このころのロシアはソ連時代からの脱却がまだ地についていない、経済的に困難な時代でした。大学の先生でもタクシーの運転手をしているなどの話もあった頃でした。
ロシアの聖堂については詳しく書きたいのですが、記憶が薄れているうえに教会の名称がまちまちなので、この現地で購入した本を見ても?困りました。一応ツアー会社のHPとWikipediaを参考にしています。
●スパソプレオブラジェンスキー修道院
ヤロスラヴリで一番古い建物は、救世主修道院(スパスキー修道院)にある救世主顕栄聖堂(スパソ・プレオブラジェンスキー聖堂)である。現在の聖堂の建築年代は1506年から1516年にかけてで、1216年から1224年にかけて建設された最初の聖堂の基礎の上に建てられた。16世紀には石の城壁が修道院の周りに建てられ要塞となった。動乱時代のロシア・ポーランド戦争で、ポーランド軍に占領されたモスクワを解放するため、クジマ・ミーニンとドミトリー・ポジャルスキー公爵の国民軍はこの修道院から出撃した。1787年には修道院は閉鎖され、建物はヤロスラヴリおよびロストフ府主教の邸宅に転用され、建物の増築や再建が行われた。
↓ 鐘塔
↓修道院の庭で鐘の演奏する青年。自分で作曲もするそうです。
↓ 同じく修道院の庭にて(ポラロイド)。背景に見えるのはChurch of Epiphany(ここは遠くから見ただけ)
↓ 上と同じ場所でこちらはデジカメです。初めてのデジカメは今のものとは比べものにならない画像数で、SMも500MBで8000円くらいと高価、けちけち撮ってました。
他には子供のための人形劇場も見学しました。子供たちは100円くらいの入場料だそうですが、経営が苦しいとのことで、こうして観光客に来てもらって少しでも補助になるようにしているのでしょう。人形遣いの人が「蜜蜂マーヤ」の人形を見せてくれました。なんと懐かしい~!幼かった娘たちが大好きなアニメで、絵本も何度も読まされました。マーヤってロシヤ語っぽいのでロシアがオリジナルと思いましたが、ドイツのアニメだそうです。あの劇場はその後どうなったでしょう?
時々ポラロイドの写真をアップしています。写りは悪いのですがツアーでご一緒した方が撮ってくださったので、大切に保管していました。この旅日記を終えたら写真はすべて整理するつもりです。
夕食の後はピアノ演奏会がありましたが、疲れてお部屋で休息、そしてシャワーを浴びて就寝。
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