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2000年夏の旅(5)モスクワ~ウグリチ~リビンスク貯水湖 [2000夏ロシア・ヴォルガの船旅]

7/8(土)ウグリチ1530着/1730発  モスクワ~ウグリチ(266キロ)

 いくつもの水門を通過し、ほぼ24時間かかってモスクワからボルガ河を北上し、ウグリチに到着しました。直線では200Kほど離れていますが、蛇行する河をゆるやかな速度で運航します。ロシアの大地を流れる大河とはいえ、運河も張り巡らされていますから、水深も浅く川幅も細いところもあり、船長さんのお話ではかなり難しい航行も部分的にあるとのことでした。正直かなづちなので怖いなあと思いました。

↓ウグリチの船着き場から血の上の教会が見えました。

船着き場からの血の上の教会.jpg

↓ 町の小さな広場に小さな子供のダンサーが・・・上手に踊って見せて、さすがバレエやフィギアスケートなど有名なお国柄です。学校はこの日は土曜日だったのでアルバイト?

ウグリチ・ダンスの子供達.jpg

ウグリチには先ほど船着き場から見えた血の上の教会の近くにも立派な教会(プレオプラジェンスキー変容教会)があり内部を見学。修道僧のグループの聖歌アカペラを聴きました。

↓そしてイワン大帝の幼い息子が殺されたという舞台の、その名も血の上の教会(ドミトリーナクラヴィー教会)へ。

ウグリチ・血の上の教会入口.jpg

血の上の教会・壁画の天使.jpg

 この悲劇はプーシキンの原作により、ムソルグスキーが作曲したオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』にもなり知られています。イワン大帝の死後、1591皇帝後継者の8歳だったドミトリーがウグリチの館で殺され、当時摂政だったボリス・ゴドゥノフが暗殺したという噂が流れ、大動乱の時代に突入。偽ドミトリーを旗頭にポーランドの侵攻を受け、その後ロマノフ王朝によってロシアは統一された後、ロシア正教会によって皇子ドミトリーは列聖され、聖人になりました。ウグリチは巡礼の地となり、館の跡地に教会が建てられたのは1690年でした。

オペラはウグリチを訪れる3年前にザルツブルグで観たこともあって、このストーリーには大いに興味がありました。ドミトリーが死んだときに鐘を鳴らして人々に知らせた家臣?は舌を切って流罪にされたとか・・・公式には事故死ということでした。今はその説が正しいとみなされています。当時の鐘は今も残って堂内に保存されています。ヤロスラヴリ州の小さな古都ウグリチには美しいいロシアの教会がいくつも残っていて、*黄金の環の都市のひとつとして今はかなり有名な観光地になっています。

次の停泊地のヤロスラヴリは直線では100Kもありませんが、迂回したヴォルガに沿って進み(多分夜間は停泊していたようです)翌日着きました。

船内は夕食後の催しも多く、ピアノ演奏会やロシア民謡の夕べ、ロシア語教室など盛り沢山。退屈する暇もありませんでした。

*黄金の環(Wikipediaより)

ロシア史、ロシア正教会における精神文化、芸術、建築などにおける源流が形成された地域として重要視される。これらの都市は、11世紀から15世紀末にイワン雷帝が各地を征服し中央集権体制を構築するまで、ロシア諸公国の首都として栄華を誇った。都市自体が野外建築博物館とも言える。12世紀から18世紀におけるロシアの都市に特徴的なクレムリン(城塞)、修道院、大聖堂、教会を擁する。

「黄金の環」の都市が観光地として喧伝されるようになったのはソ連時代の1974年のことである。ソ連崩壊後も外国人向けの観光地として整備が進められている。

「黄金の環」の都市には今回訪れたウグリチ、ヤロスラブリの他に、スズダリ、セルギエフ・ポサード、ペレスラヴリ・ザレスキー 、ロストフ、コストロマ、イヴァノヴォ(イワノボ)、グス・フルスタリヌイ、ウラジーミル、 ルイビンスク、アレクサンドロフが含まれています。黄葉の美しいころ(9月)は文字通り、黄金に輝く珠玉のロシア聖堂や建築が各地で観られるとか、きっと素晴らしいことでしょう~☆

  


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