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2000年春の旅(8) ボーヌ [2000春ブルゴーニュ・ロマネスクの旅]

4/19(水) ボーヌ→マコン→リヨン

リヨン/ロイヤルホテル 2泊

 この日はお得意の?うっかりミス、リヨン行のはずが反対方向のデジョン行の列車に乗ってしまいました。どうやら駅の小さなモニターのホームの表示を見間違えたようです。デジョンで次の列車までの待ち合わせで結局2時間の時間ロスでした。

そのため、寄るはずだったトゥルニュは通過せざるをえなくなり、駅の近くのサン・フィリベール教会を悔し涙で見送りました。いつ来られるかしら・・・(忘れるはずはなく、10年後に訪問)クリュニーとベルゼ・ラ・ヴィルの見学をした後夕方までリヨンに入らなければならず、無理を避けたのでした。


 さて、マコンの駅はコインロッカーは満杯。他に預ける場所はないとのことで、事務所に置いてくれないかと頼んだの
ですが、にべもなくNONとの返答(涙)。仕方なくバスの予定を変更して、タクシーで回わりました。初めはとても愛想の良い運転手だったのですが、降車のとき事前に交渉した金額より高く要求され、文句言いながら結局払うことになって、後味の悪い思いをしました。
駅員さんたちの冷たい態度といい、悪質タクシーといい、マコンの印象はすこぶる悪いものでした。ここに寄る事はもうなさそうです。

☆Chapelle Priorale Berze La Ville ベルゼ・ラ・ヴィル礼拝堂 /クリュニー修道院の付属小修道院として、クリュニーの南12Kに建てられました。

車はマコネ地方の葡萄畑の丘の上の小さな村に入っていきました。礼拝堂というより民家の納屋のような入口でストップ。そこから裏庭へ抜けて2階への階段を昇ると礼拝堂です。中に入るとカウンター(ブックショップ)があり、入場料を払い見学しました。

↓ 入口で

DSCF0092.JPG

小さな礼拝堂は窓も大きく、輝くような色彩の壁画が目に飛び込んできました。
保存状態も良く、正面のマンドラに立つイエス、背景の青に散る星も鮮明で綺麗。ビザンチン美術の影響が見受けられます。カメラ禁止。 

今でも礼拝堂として活用されているのかどうかわかりませんが、木のベンチが並べられていましたので、座ってじっくり鑑賞できました。マンドーラに囲まれた大きな目のキリストの表情が印象的。またこの教会の守護聖人というサン・ヴァンサン(またはサン・ロレンツォ)の殉教図((鉄網の上で焼かれる)があります。聖女たちやアーチの縁取りもビザンティンそのもので、イタリアのモンテ・カシーノから呼ばれた画家が描いたといわれています。

クリュニーの付属の小修道院であったことで、クリュニーの修道院長,聖ユーグの第2の住まいとなったといいます。
大修道院のクリュニーとは違うこの小さな祈りの空間を気に入ったのでしょう。フランス革命の破壊からも免れ、
のどかな周辺の景観にとけこんでいます。

↓ パンフレット

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↓ 見学の後、車の中から振りかえって撮影

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↓ マコネの葡萄畑

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↓ クリュニーへ向かう道路。丘の上にシャトウ・マコネが見えました。

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☆ Abbey de Cluny クリュニー修道院  ブルゴーニュの南に建つベネディクト派のクリュニー修道院は11世紀から12世紀の半ばのヨーロッパで最も権威のある修道院でした。1450か所にのぼる西欧の修道院や教会などの頂点に立っていました。910年の創設ですが、その発展に伴った富の蓄積や贅沢により批判が高まり、1098年にその批判をもとに清貧を旨とする新しいシトー派の修道院が生まれました。ブルゴーニュ地方に二つの大修道院が80Kの距離で相対していたのです。クリュニー修道院は度重なる増築を経たのち、フランス革命で大きな破壊を受け、ロマネスク史上最大の教会だった第三教会堂はほんの一部を残し消えてしまいました。

TAXIをオシエ美術館前で降車し、まずここから見学しました。破壊を免れたいくつかの石の彫刻を見た後、

↓丘の上の地図のあるところから

DSCF0097.JPG

聖水塔に向かって降りて行きますと、修道院の入り口(記憶が薄れていますので、どの部分だったのか?)がありました。女性が一人机に座っていて、ここで入場料を払い、回廊を右に、左に壮大な空間を仰ぎ見つつ・・・この時点では今まで観たこともない高さのある身廊空間に驚きながら、通り抜けました。

↓ 穀物倉庫のある庭園から

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☆ ファリニエ美術館 穀物倉庫の二階を上りますと、素晴らしい柱頭が並んでいます。高校生の修学旅行のグループと一緒になりました。引率の先生が熱心に説明しますが、半数はあらぬほうを見て聴いていません。つい10年前には娘たちもこんな感じだったわと微笑ましくもあり・・・。柱頭の並ぶ手前のガラスケースに破壊される前の教会の模型があるだけで、がらんとしていました。現在は改装されています。2010.9再訪。

↓ カメラ禁止なので絵葉書です

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↓ 第三教会堂の周歩廊の柱頭彫刻「単旋律の音、第3音」マンドーラのなかでリュートを奏でる男。

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エミール・マールによるとグレゴリオ聖歌の八つの旋法のひとつを擬人化したものだそうで、「広大な教会に鳴り響く聖歌の力強いハーモニーは、彼らには森羅万象の至高の表現と思われたのである」とあります。その当時の教会音楽には疎いのですが、バッハやモーツアルトの教会音楽の原点になったのでしょう。

  今はもうほんの一部しか残されていませんので、その広大な修道院は残されたプランで想像するしかありません。フランス革命の嵐が奪い去ったものの大きさが、あの場所に立つことでヒシヒシと胸に迫ってきました。周辺の住民が破壊したわけでないことも知りました。時代の波に流されて、修道院が消えていく様を見つめた彼らの気持ちを考えざるを得ません。
ここクリュニーがブルゴーニュ=ロマネスクの旅の最後の訪問地でした。お天気にも恵まれましたが、一番観光客が多く、カフェなども賑わっていました。マコンの駅に戻り列車でリヨンに向かいました。

 リヨンに着いたのは夕方6時半頃。ベルクール広場に面したホテルに泊まりました。夕食はさすがに連日のフランス料理に飽きて、中華レストランをホテルで紹介してもらって、久しぶりに餃子や焼きそばをいただきました。

↓ ホテルは古い建物ですが、内部は改装されたばかりのようで、裏庭に面した静かな部屋でした。

Lyon1.jpeg


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