(6)アンコーナ~スポレート [2004夏ペーザロ、スポレート&ザルツブルク]
8/22(日)アンコーナ→スポレート スポレート/Palazzo Dragoni 2泊
汽車の中でKさんにいただいた美味しい羊羹をおやつに、車窓からながめる緑豊かなウンブリアへ入りました。
スポレートの駅からはタクシーでホテルへ。古い館風の素敵な宿です。
↓ホテル(玄関と建物)
↓部屋の窓からドゥオーモが見えました
↓早速スポレート大聖堂ドゥオーモへ
12世紀にロマネスク様式で建立されました。ファサードと横の鐘楼がどっしりとした存在感です。ファサードの薔薇窓はリズム感があり重々しさを和らげて素敵です。ただ正面下層の玄関はアーチ状にルネサンス様式に改築されていて残念。内部も改築されていますが、ここの見どころはルネサンス期のフィリッポ・リッピとその工房によるのフレスコの祭壇画です。
↓フィリッポ・リッピ「聖母戴冠」ドーム部分に描かれたフレスコ画1466~1469 絵葉書
リッピの最後の仕事になったのは良く知られています。1469年スポレートで亡くなった後は主に息子のフィリッピーノ・リッピに引き継がれて完成しました。
↓大聖堂広場から振り返るとサンテウフェミア教会の後背部が見えました。
↓クローズされてました。司教館の中庭からの外観。
町の中心のリベルタ広場まで、まるで迷路のような街を歩きました。
リベルタ広場の(i)で郊外にあるサン・サルヴァトーレ教会へのバスの時間を調べてから、遅いランチ。
なんとか3時ごろのバスはありましたが、帰りのバスはないので、2つの教会を見学後は徒歩でした。
↓郊外からスポレートの街の眺め
テッシーノ川を渡り国道沿いのバス停で降りると、運転手さんの指差す方向へ山道を登ると、すぐ右側に
サン・ポンツィアーノ教会が建っています。教会の扉が閉まっているので諦めようとしたら
向かって右側に立つ管理人さんの家?からおじいさんが出てきて鍵を開けてくれました。そしてクリプトも特別だよと案内してくれました。この教会の名前にもなっているスポレート出身の殉教者サン・ポンツィアーノの埋葬された場所に建てられた教会です。12世紀と13世紀にロマネスク様式に改築されています。シンプルな扉口とバラ窓の周りに四人の福音史家のシンボル。
↓サン・ポンツィア―ノ教会へ
聖人の殉教の場面の壁画など、そのいわれを色々説明してもらって(私のイタリア語ではほとんど聞き取れないのですが)帰ろうとしたら「オッフィーレ・・・」。ああ、そうでしたねとお財布をだしたのですが、小銭がなくて・・・しぶしぶ10ユーロを手渡すとおじいさんはニッコリ。そのときなんとなく、そのうちご利益があるかもと思ったのですが・・・。
あったんですよ~!次女のおめでたのニュースが翌朝飛び込んできたのです。
さて、サン・ポンツィアーノから今来た山道を登っていきますと、墓地があり、花屋さんもあります。
その向こうにサン・サルヴァトーレ教会が見えました。この教会は初期キリスト教のバジリカ(4~5世紀)
スタイルの聖堂として有名です。ファサードと後陣部は創建当時のものですが、さすがに傷みが激しく、最
近修復されたそうです。
あったんですよ~!次女のおめでたのニュースが翌朝飛び込んできたのです。
さて、サン・ポンツィアーノから今来た山道を登っていきますと、墓地があり、花屋さんもあります。
その向こうにサン・サルヴァトーレ教会が見えました。この教会は初期キリスト教のバジリカ(4~5世紀)
スタイルの聖堂として有名です。ファサードと後陣部は創建当時のものですが、さすがに傷みが激しく、最
近修復されたそうです。
内部に入ると小さな机を前に受付の若い女性が座っていました。(有料)夕方ですので見学者は私だけ。
とにかく開いてて良かったのですが、カメラの電池切れで,出る時撮るつもりだったファサードの写真があり
ません。
↓半円形の後陣のフレスコ画は14~16世紀のもの。
帰途は疲れて足を引きずるようにしてホテルに戻りました。夕食はホテルに紹介してもらった近くの割合大きなトラットリアで。遠くにTVがアテネ・オリンピックのニュースを流していて、女子マラソンに日本人が金メダル?眼鏡を忘れてきたので良くみえませんでした。
タグ:ウンブリア・ロマネスク スポレート