2001年春の旅(4)エズ~アンティーブ [2001春南仏、パリ、ウィーンの旅]
4/21 エズ...ニース→アンティーブ
アンティーブ/ホテル インペリアル ガロープ1泊
朝食はレセプション横のベランダで。朝はかなり気温が低く、朝食もシンプルな内容(これも期待外れ)でした、海をゆっくり眺めることもなくさっさと済ませ、部屋に戻り、9時半ごろにはチェックアウト。
↓ シャトウエザで
ポーターさんに下まで送ってもらい、TAXIでニース駅へ(250F)。列車でアンティーブまで、11時には到着。ホテルはアンティーブ市街から離れた(車で10分くらい)カップ・ダンティーブの海岸近くのリゾート風のホテルです。
↓ 南欧スタイルの素敵なホテル。サーモンピンクの壁に白の窓枠が綺麗!
↓ 案内された部屋は1Fベランダつき。エズもそうでしたが、とても良い香り(ハーブ)に建物全体が包まれている感じ。廊下は回廊式、エレベーターの壁はバンブー(竹張り)
エズに続いて、またまた独りではもったいないほどの素敵なホテルです。しかし、のんびりホテルライフを楽しむ暇はありません。アンティーブ市街に戻り、ホテルで紹介してくれた海鮮レストランで海老のパスタランチ。ピカソ美術館やカテドラルの並ぶ海岸通りや旧市街も日曜日とあって、車や人でごったがえしていました。
↓ 裏通りはひっそり、洗濯物が干され、猫が歩いていていました。
さて、ピカソ美術館の昼休みも終わって開館です。
★ピカソ美術館
1946年、ピカソはアンティーブのグリマルディ城とよばれる古い要塞に招かれ、ここに滞在して作品を制作。さまざまな素材を使って実験的な制作をしたことでも有名です。絵画、彫刻、陶芸などアンティーブ時代の優れたコレクションを収蔵。
ただ個人的にはこの時代のピカソの作品にはあまり魅かれませんので、さーっと眺めて、お目当てのニコラ・ド・スタールの部屋へ。ここにはいる人はぐっと少なく、ほぼ独占状態でした。
↓ ニコラ・ド・スタールNicolas de Staël(1914~1955)の写真も何枚か展示されていました
↓ 「アンティーブの城」暗いグレーの色調の作品。ほかの青い色が主体の海の絵など、どれも素晴らしかったです。
↓ 最後の作品「ラ・コンセール」はガラッと変わって鮮やかな画面になります。この作品に魅かれたのはいつのことだったでしょう。。。
ド・スタールはロシアの貴族の子でしたが、ロシア革命でポーランドに亡命したあと、各地を回り1938年からパリに居住。戦後のエコール・ドパリで最も重要な画家のひとりになりました。抽象と具象のはざまで、その画風の変化と心理的な葛藤があったのでしょうか?ここアンティーブに移住、この地で自らの命を絶ったのです。41歳でした。
この部屋の窓から青い地中海が見えました。その生の愉悦のような輝きが彼には何の慰めにもならなかったことが、哀しく想えました。でも彼の最後に頭に浮かんだのは故郷ロシアの雪の風景だったのでしょう。そこへ還って行ったと思います。
↓ 係員の方が写してくれました。
ここから海岸の道を5分ほど歩きますとニコラ・ド・スタールの家が建っています。ここから海に飛び込んで自殺したそうなのですが、現在は家の前は自動車がひっきりなしに通る道路になっています。当時はどうだったのでしょう?殺風景な人の気配のない家に窓辺の白いカーテンが風に揺れていました。
なお、ド・スタールについてネット上で素晴らしいページを見つけましたので、紹介させていただきます。
http://www3.ocn.ne.jp/~quinquin/stael.html
旧市街の狭い通りを散策し、カフェでお茶してから、マダムにTAXIを呼んでもらってホテルに戻りました。
夕食は別棟になっているレストランで。8時のオープンに行きましたが、また一番乗りでした。ここで、今までにない経験をしました。旅の疲れもあり、夕方ベットでうとうとして予約の時間になり、あわてて起きてきたので、あまり食欲もなかったのです。それがソムリエさんも感じたらしく、プロヴァンスの白(シャトウ・ド・ラスク)を勧めてくれました。前菜の白身魚のカルパッチョも超美味しかったのもあって、胃もすっきり、急に体調が回復するという不思議?・・・にっこりでした。お肉はパスしてサーモンのメインにデザートは苺尽くし。この旅で一番美味しい食事になりました。
食後、レセプションの前を通ったら、食事はいかがでしたか?と声をかけられて・・・トレトレボン!贅沢なコートダジュールの宿と食事が続きました。そろそろお財布のひもを締めなければ・・・。
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